見出し画像

2021年9月27日の乾杯

2021年9月27日の乾杯2027年9月27日の乾杯。
コロナ第5波がようやくおさまり、非常事態宣言も解除される見込み。
今、厳しい日々のなかで準備をされ、作りこまれ、解き放たれた、落語や写真展、演劇などについて語り合います。

👨こんばんは、演劇のおじさんと
👩おねえさんです。
👨今日もよろしくお願いします。
👩よろしくお願いします。
👨はやいもので、もう9月も終わりですよね。
👩もう秋めいてきましたよね。
👨風がね、もうぜんぜん違ってきましたものね。
👩ちょっと寒いですもの。
👨だからパーカーとかを持って歩いていますものね。私も。
👩私はもう着ています。
👨まあ、私の場合は脂肪を着ているから大丈夫なんですけれどね。
👩あははは。
👨1枚、ひとよりも多く着ているからね。
👩まあまあ。
👨でもね、コロナもようやっと終息してきて。
👩うんうん。
👨いよいよ非常事態宣言も解除かみたいな話になっていますからね。
👩そうですね。でも減っているわけではないんでしょ?減っているのかな。
👨減っているのではないですか。だって、東京都の新規感染者が1日3000人とか言っていたのが1日300人がどうのこうのいっているわけだから、これは間違いなく減っているでしょ。
👩そうか。
👨まあ、隣の韓国とかは今大変みたいですけれどね。1日の感染者が3000人を初めて超えて過去最高とかいっているから。
👩大変だぁ…
👨だから、コロナはいろんな国に交互にやってくるのでしょうね。
👩どこもみんな落ち着いて欲しい、ほんとうに。
👨まあ、私たちは、まだ大丈夫かなぁと思っている頃に落語とかを聴きにいってしまいましたけれどね。
👩はい。
👨でもさ、考えてみれば、流行の状態が数字で出るのはその時ではなくて一週間とか二週間とか先じゃないですか。
👩そうですね。
👨ということは、目には見えなかったけれどあのとき世間では感染は減っていたのですよ、実は。
👩そうなりますか!そうですね。
👨なんというか、そこが私たちの日頃の行いの良さと言いますか、心がけの良さといいますか、運の良さという感じがしますけれど。
👩うふふふ。十分注意をしていましたからね。
👨私はもう、今年は多分二重マスクは外せないなと言う感じがしているし。
👩うん。
👨だからいつも不織布のマスクと布のマスクを2重に欠けて過ごしているのですけれど。
👩ふんふん。
👨でも、顔がほぼほぼ隠れているにもかかわらず、知り合いには誰だかばれてしまうという。体型でわかってしまうという悲しい現実があるのですけれどね。
👩うふふふ。
👨ときどき、突然知り合いに声を掛けられて、なんでわかったのかって頭が真っ白になったり。
👩なるほど。
👨劇場の受付で顔見知りの制作の方にも名乗る前にしらっとチケットを差し出されて戸惑ってしまったり。
👩あははは。嬉しいですけれどね
👨まあ、当日受付もやっている制作さんにしてみれば、面体を覚えるのも商売の内だろうし。嬉しくはあるのだろうけれど、覚えて頂いてるのは顔だけではないのだなと。どこへいっても悪いことはできないなという・・。
👩うん。
👨でもまあ、それはそうとして、喬太郎さん面白かったですよね。
👩うん。あの、何でしたっけ。会の名前。
👨落語教育委員会。
👩そうですそうです!落語教育委員会。コントも見ることができるって書いてあって、実際コントから始まったのですけれど、そこからものすごく面白かったですもの。
========
コント ~総裁選挙編~
橘家文太 「黄金の大黒」
柳家喬太郎「親子酒」
 (お仲入り)
三遊亭兼好 「野ざらし」
三遊亭歌武蔵 「鹿政談」
========

👨あれ、毎回あって。で歌武蔵師匠が毎回台詞をトチるというのも、もはやお約束みたいになっていて。
👩あははは。
👨まあ、ノーサイドとオフサイドを間違えて、オフサイドは反則だって突っ込まれていましたものね。
👩うふふふ。
👨噺も最初に橘家文太さんの 「黄金の大黒」があって、喬太郎師匠の「親子酒」、お仲入りのあとは兼好師匠の 「野ざらし」に三遊亭歌武蔵「鹿政談」でしたっけ。「鹿政談」は上方の噺家さんでは良く聴くけれど、江戸の噺家さんで聴くのは初めてかもしれない。
👩「親子酒」かぁ。喬太郎師匠の親子酒、まあ、私たちも乾杯と銘打っているわけで、お酒を嗜む我々ではありますが、観ていてね、うふふふふ。その「親子酒」ってどういう噺かというと、お酒が大好きな父と息子がいて、いやぁこれじゃいかんぞと、禁酒をしようじゃないかと始まって。1日や2日くらいは大丈夫だけれど、4日も5日も10日も経つと父はもう呑みたくて仕方がない。だから、息子が仕事に言っている間に父がは奥さんを説き伏せてちょっとだけって呑むんだけれどもうベロベロになってしまって。息子が帰ってくる前に寝てしまえばよいっていうのだけれど、息子も寝る前に帰ってくるものだから。もうしっかりしております!みたいに言うんだけれど、帰ってきた息子も、べろべろに酔っ払っていて。そこから。よっぱらいとよっぱらいの会話がはじまって…
👨そうそう。それでね、喬太郎さんの「親子酒」って聴くのは2度目なんだけれどね。最初聴いたのは池袋演芸場でだったかな。まあちょっと噺の持って行き方はちがうんだけれど上方でも何度も聴いていて、だから人生で10回以上聴いていると思うのだけれど、その、家で父親と息子の間にはいる旦那のおかみさんなり、上方だと息子の嫁さんなのだけれど、彼女が呑むっていうのは喬太郎師匠だけなんですよ。呑んでいましたよね、おばあさん。これ見よがしに。もうそれが可笑しさをどがちゃかに倍増させていて。
👩呑んでいましたね。禁酒している旦那さんが一杯だけせがむんですけれど、駄目ですよって言ってたしなめるんですよね。お茶を出してあげるからって言って。で、旦那さんがお茶かぁって。
👨で、違う物をっていうと美味しそうに葛湯を出したりしてね。
👩そうそう。そうしたらその目の前で、おかみさんが徳利からお猪口にお酒をついでくいっと。。そうしたら旦那さんが、今くいっと、くいっとしたね、今って!!細かいですよね。
👨でまた、愚図る旦那の前で澄まして呑むその仕草や表情がいいんですよ。うふふ。しらっと、でもこれみよがしにね。
👩うふふふ。
👨オチも普通だったら父親が酔っ払ってこんな顔が四つも五つもある息子に身代を譲れるかって言って息子がこんなにぐるぐる回る家なんていらねぇとなるのだけれど、喬太郎師匠の場合はそこから父親がおかみさんに同意を求めたら、おかみさんもへべれけで訳がわからなくなっているという。
👩寝ろ!って。
👨そうそう。一家そろってぐちゃぐちゃになっていましたね。
👩先に寝ちまえ!みたいな。あははは。
👨ああ、面白かったですよね。
👩面白かった。
👨他の師匠方もよい高座だったし。ああ、そうそう、喬太郎師匠っていま上映中の映画にでていらっしゃるのをご存じですか?
👩知ってます。あの、映画館の映画ですね。
👨そう、私ね、実はあの映画をもう観たんですよ。
👩そうなんですか!!
👨ええ、たまたまね、端役ではあるんですが、ちらっと小劇場でも活躍されている私の大好きな女優さんも出ていらしたので。いやぁ、この映画はね、高畑充希さんと師匠の会話がすっごくいいの。
👩題名はなんだっけ。
👨えーと、浜のなんとかの、なんとかなんとか。
👩ええっ、それでは何にもわからないじゃん。
👨ちょっと待ってね、いま確認をするから。
👩ああ、はい。
👨平日の昼に新宿の武蔵野館で観たんですけれど、

武蔵野館 UP


👩うんうん。
👨休日でないにもかかわらず、まあまあの入りで。
👩ほう、ほうほう。
👨あと、大久保佳代子さんっていらっしゃるじゃないですか。
👩いらっしゃいますね。
👨彼女がね、またいいんですよ。その人物の作り方にすごく個性とか魅力があって。
👩へぇ。
👨ああ、タイトルは『浜の朝日の嘘つきどもと』ですね。
👩だそうですよ!みなさんっ!!
👨まあ、映画なのでね、中盤までは時間の推移が時にテレコにも思えてちょっと迷ったりもしたのだけれど、その時間の動きがわかる中盤からは作品の語り口の深さにもなって最後には綺麗に回収されていたし。なにかべたつかず良い話だったし。
👩うんうん。私も気になるんですよね。うふふふ、あのまくらを聴くまでそんなことは知らなかったんですけれど、あの、喬太郎師匠はなんというか私服がひどいといわれているらしく、
👨うふふふ。そうですね。
👩なんというか、で、その映画の時の衣装もなんかちょっと、こういう言い方をするのはなんですけれど、ちょっときちゃないというか、垢抜けないというか、みたいな感じだったみたいなのですよね。
👨いや、だから普段が超カジュアルなんですよね。
👩そうそうそう、すごくカジュアルみたいで。
👨で、その姿で劇場挨拶にもいったのではという疑惑を話されていましたよね。
👩うん。衣装合わせとかで選ばれてきた服が役柄的にそういう服だったわけで。でも、映画とか舞台挨拶を見てくださった兄さんとか同期の方から、口をそろえて「それ私服でしょ?」って言われたという。
👨あははは。
👩そこまでではないって。いやいやそういう風にみえるのかもしれないけれど、衣装なんですとね。いやでも、普段私たちが高座で拝見する師匠はパリッとしたお着物だから。
👨そうそう、で、色使いも粋なんですよね、喬太郎師匠は。
👩そう、粋だから、お洒落だなぁと思っているからね、普段がそういう風になっているとは思っていないわけですよ。あはは。
👨だけどね、コアなファンの方はそこにギャップ萌えするんですよ、きっと。
👩そうかぁ。
👨もしかしたらね。
👩でもだって、あれ、なんだっけ、ウエストポーチを前につけているっておっしゃっていましたよ。それで客席がちょっとざわついて笑っていたら、「いいんです、大事な物とかなくしてはいけないものをそこに入れるんです」って拗ねておっしゃっていて。
👨言い訳しているっていう態をつくるというかムキになってみせるというのもまた至芸でね。
👩大変魅力的な方でね、その技というか芸ももちろんですけれど、なんか出てくるエピソードがめっちゃ面白いんですよね。
👨そうそう。
👩喬太郎師匠をご存じの方はご存じでしょうけれど、まくらが長いんですよね、本編というかネタに入る前の、そのまくらが、ね。なんて言えばいいんだろうなぁ。
👨いやだから、こうまくらだけでのってきてしまうというか、ドライブがかかっていくまくらですよね、彼のまくらは。
👩うんうん、そうそう。で、その時にさ、お酒を飲めなくなったみたいな話をしていて、もう打上げなんかも殆どできないけれど。たまにちゃんと距離を取れるところで、お酒を買っていって飲む!みたいなのがあると。で、今ではないけれど、昔、コロナの前には、先輩の師匠の方のおひとりがべろんべろんになって帰られて、そのまま連れて帰って、ホテルにね。もうべろんべろんだから、起きてくださいっていっても起きないからそのまま寝かせて、で一緒にその方を連れて行った方とお部屋で話が盛り上がったらしいんですよ。そのあと自分の部屋に帰って寝てたら翌朝に鳥が大の苦手なその師匠から電話があって、俺の部屋に鳥がいたらしいって言う話になって、でもそれは喬太郎師匠が着ていたコートの、
👨ダウンコートのね。まあ羽が出るくらいだから年期のはいった。
👩で、それはわざとじゃなかったけれど、次に同じことがあった時にはコンビニで温泉卵を買ってその殻をばらまいて帰ったら、その師匠が卵の殻があるんだぁって大騒ぎをしたという。
👨あはは、馬鹿だねぇ。面白すぎる。
👩何をやっているのかと思いましたよ、あははは。何のいたずらをしているのかっていう。
👨だからさ、そういう無邪気さというか子供みたいなところがかわいいよね。それを笑いに昇華させていく力というか。
👩そう、ほんとかわいい。かわいいし、そういう風な心を忘れずにいないと思いますよね。やっぱりね。
👨そう、心が洗われるというか、いや、洗われはしないけれど。
👩うん、洗われはしない。でも、ちゃんと謝ったともおっしゃっていましたしね。私もその話を聞いたときに、ホテルの人が大変よと思ったけれど、ちゃんと謝っていらっしゃいましたから。ホテルの方、どうもすみませんって。
👨そこは偉いと。
👩いたずら、いたずらはいいよね、いたずら。
👨うん。それとね、私が落語を聴き始めたのは高校生の頃なのですけれどね、大阪で。
👩ふんふん。
👨昔のね、噺家さんってもっとお酒を飲んでいた感じがするんですよね。
👩うーん。
👨だって、勿論私はみていないけれど、あの古今亭志ん生師匠だって、呑んでいて、疲れて、高座で寝てしまったことがあったんでしょ。
👩あははは、マジかぁ。
👨あと、これは私が体験した実話だけれど、もう先々代になるのかな、あ、名前はやめとこ。なんかね、東西落語名人会みたいなものを見に行ったことがあるんですよ。大学に入った頃かなぁ。今は影も形もない梅田コマ劇場の横に小さめの劇場があってね、そこで上方の師匠達と東京の師匠がたも出ていらっしゃって。米朝師匠を初めて観たのもそこだったかな。東京から来たテレビやラジオにも出ていた師匠が高座に上がって。でね、もう見た瞬間に明らかにこの人は酔っているなというのがわかるんですよ。
👩ふはははははっ。
👨で、それでも落語家ですからね。折角だからお酒の話をって枕を振ったんですけれどね、もしそこにテレビとかが入っていたら。
👩はい。
👨まくらの端からほぼ全編「ぴーーー」
👩そんなっ…そんなことある?
👨うん。
👩どんな話をしていたんですか。
👨その、昨日の晩に自分がなにをやっていたかという話をするんですが。
👩あぁー。
👨あのときの女はどうだったみたいな話をするわけですよ。で、そこに即物的な名詞がはいるから、その時点で放送は駄目じゃないですか。今だったら即SNSで炎上みたいな。
👩あぁあ、なるほど。うふふふ。
👨で、結局噺には入らず降りちゃったんですよね。お元気でバイバーイとか上機嫌で手を振って。まあ、まくらだけでおりるというのも寄席なんかではあることだから。だけどあれは、ねえ、もしラジオなんかを録っていたら絶対使えないだろうなと思える話でしたね。しかも当時私はまだ、純情でうぶな大学1年生じゃないですが。いけないことなんてそれほどは知らない頃だったから。なんか聴き終わってからすごく恥ずかしくて。で、自分みたいな分際でこんな場所というか寄席に入っていいのかって考えましたもの。
👩ほんと、テレビが入っていなくてよかったですね。
👨そうそう、それに比べると今の噺家さんというのは洗練されてますよ。
👩うんうん。
👨まあ、それでもけっこう尾籠な話とか下世話な話とかされる方というのはいらっしゃいますけれど、でもね。昔のあれを聴いちゃっているとかわいいものだと思えちゃう。
👩あはは、それはねぇ、なんとも言えない気持ちになりますよ。それは、その時はさ・。まあ時代は変わるからねぇ。
👨だから、当時はまだ大衆芸能って色合いが強かったのが、今はもう洗練されてしまったのだとも思うんですよね。いろんな意味で。
👩そうですね。
👨昔の名人達の録音などを今聴いていても、今の人には、それは昔の名人はとんでもなく上手かったとか言うんだけれどそれはやっぱり今の語り口ではないので、今の語り口でやることでの今の洗練ってあるんじゃないかなぁとも思ったりね。
👩うんうん。
👨あと、今回喬太郎師匠の映画での演技を観ておもったのだけれど、彼は滑稽噺も人情噺も両方やられるじゃないですか。
👩はい。
👨まあ、たまに池袋のニッチな場所の噺とかもされますけれどね。
👩あははは!はい、そうですね。
👨だけど、基本は古典などもしっかりとやって、その中に人の思いの機微みたいなこと、その登場人物の元気がでたりとか落ち込んだりとか、怒ったり笑ったりとか、そういうことが全部映画にきちんと嵌まるんですよ。 
👩ほう、それは興味あるなぁ。
👨で、それは多分俳優の演技とはまたちょっと違うのね、
👩ああ、そうか。
👨違うんだと思う。
👩うんうん、もちろん違うのだと思います。
👨まあ、そういう意味では舞台と映画というのも違うとは思うんだけれど。
👩うん、まあ全部違うからね。そのやり方というか、その、一つ一つが全然違うから。
👨その語り口とかトーンとかからして違うのだろうと思うんだけれど。
👩うんうん。
👨映画の中では大久保佳代子さんと喬太郎師匠がちょっと喧嘩みたいに話をするシーンがあって、そこんところの、その、なんていうの、そのべらんめえ調の語り口とかがね、凄くいいんですよ。
👩ああぁ、うん。
👨そのね、ちょっと頑固な映画館のおやじみたいな感じで。で、大久保さんもなんかそういうちょっと口の悪いおばさんみたいな役って上手いじゃないですか。なんかそれがじわっとくるようなエピソードへと持って行ってくれるの。
👩でもあのふたりが話しているのはよさそうだなぁ。
👨なんか、不思議に変な相性がありますよね、あのふたりって。
👩うん。
👨だからなんか、その、アカデミー賞を取れるような映画ではないのかもしれないけれど、でも、常にアカデミー賞を取るような映画が心に残るわけではないじゃないですか。
👩うんうん、そうですよ。その誰かにとっての何かが残ればね、それは。
👨あと、描かれる時間の重さみたいなものがあって。
👩ふんふん。
👨ほんとうに深いところまで貫く映画が必ずしも良いわけではなくて、ちょっとほんわかしたような空気だからこそ、それは演劇でもそうなのだけれど、浸透圧があって心に残るみたいな話もあるじゃないですか。
👩ああ…ありますね。みんなにとってはそこまで嵌まるものではなかったとしても、私にとっては大切な一本というのはあるじゃないですか。それは舞台にしても、映画にしても、なんにしても。
👨うん、そうそう。なんか心に響くような時間というかね。
👩うんうん。
👨なんかそういうさじ加減が絶妙な映画だったので。いい映画だなぁっておもって心に残りましたけれど。
👩ふんふん。
👨心に残ると言えば、最近は観劇の本数も少しずつ増えてきていて。あの、関西にコトリ会議っていう劇団があるんですよ。もうけっこう古い劇団なのですけれど。で、東京にも一度ならず、今年も夏に東京芸術劇場シアターイーストでやった『もしもし、こちら弱いい派 ─かそけき声を聴くために─』という3団体が40分とか50分の作品を上演する企画に参加したりしているのですけれど。そこが先週こまばアゴラ劇場で『スーパーぽち』っていう作品を上演したんですね。

スーパーポチ UP


👩はい。
👨ポチが死んだからって一人暮らしをしていた女性が、預けていたお兄さん夫婦に呼ばれて昔住んでいた実家に帰るというところから、いろんなエピソードが少しずつほどけていくみたいな、いろんな記憶がずっと連なっていくみたいな話なんですけれど、でもね、ああいう記憶の解け方というか、ポチを入り口にいろんな記憶がとんでもない方向に広がっていくんだけれど、あれもね、やっぱり演劇ならではの心の残り方というか、逆にあれは映画では作れないのだろうなって。
👩面白いなぁ。
👨けっこう主人公の実家にあたるお兄さんの家のセットが具象というほどではないけれど、机があったりして形にはできていているんですけれど、でもそれを映画で撮っちゃった瞬間に台無しみたいな。
👩あははは。まあね。それはそうだ。作り方がそもそも違うからね。映像にするなら映画に合わせた脚本だったりとか作り方をしなければいけないだろうし、できないということはないだろうけれど、また別なものになるよね。
👨そう。だから観る方の記憶とか心におく感じも多分変わってくるのだと思うんですよね、そうすると。たとえば、コロナで暫くいろんなものが無くなっていて配信だなんだってなっても、配信でやると割合と抽象的なことをやってもどこかで映像の強さみたいなものが出ちゃうから、
👩うんうん。
👨ほんとの空気だけで紡いでいくということが意外と難しかったりもするのだけれど。
👩うん。
👨ああやって生でそういうものを観てしまうと、改めて演劇ってやっぱりすごいのねって思う。演劇でなければ表現しえないものというのはあるなぁというのは凄く感じて。
👩なんかさ、よく言われるけれど、演劇の良さはいろんな場所にあって、舞台には舞台の、映画には映画の、ドラマにはドラマの、アニメにはアニメの、なんか、いろいろね、いろんな場所で。で、そこはひとつずつ全部少しずつ違っていてということじゃないかなぁと思う。そうであるべきだと思うし、だからこそ面白い。いろんなものを観る楽しさがある。
👨うん。
👩と思いますよ、私は。
👨あれでもそうだものね、たとえば絵画とかにしても写真にしても、いろんなトーンとかタッチがあってね、
👩うん
👨その中での面白さみたいなものがあるし。そういえばさ、蜷川実花展をやっているでしょ、今。
👩うんうん、あの、綺麗なね。
👨うん。
👩もうあのさ、鮮烈な色使いというか、もう何回も言われていることだし、もう実花さんといえばというのはわかっているのだけれど、わかっていてもやっぱりさ、毎回びっくりするよね。だってあれがさ、そのさ、いろんな人ができるわけじゃないじゃない。蜷川実花さんのその撮った写真っていうのはやっぱり蜷川実花さんの世界っていうのが、もうなんていうの、ジャンルができたじゃない。それが凄いなぁって思っていて。蜷川実花さんみたいな世界というあれがけっこう出ているじゃない。

蜷川 花と床 UP


👨あれというか、形容詞がね。
👩うん、これって蜷川実花さんみたいだねぇみたいな。それが凄いなぁって思って。
👨だけどね、今回その蜷川実花展を観ると、そういう写真も確かにあって、たとえば花の写真がもうそれこそ100点以上あったのかもしれないなぁ。もう、ずずっと展示されていたりもするんだけれど、たとえば一方で、お父様はなんといってもあの有名な蜷川幸雄先生ですから、
👩はい、そうですね。
👨演劇界の重鎮のね。で、その方との亡くなるまでの暫くの間を撮った写真もあるのよ。割合と淡泊な色合いでね。で、その前に立つと、全然違った彼女の心風景みたいなものも見えるのよ、

蜷川 yukio UP


👩うん。
👨で、そもそも入場していきなり極彩色かっていうとそうではなくて、最初にはディスプレイが門柱みたいに並べられていて、そこに彼女のいろんな写真、それは時に街の写真であったり、もちろん花の写真もあるし、動物の写真があったり、いろんな写真がランダムに数秒ごとに投影されていくある意味インスタレーションのようなものがずらっとならんでいるのよ。で、その一つずつが彼女の感覚や視点の移ろいにも思えて順番に観ていたらけっこう時間はかかったけれど、それだけで面白くて。

蜷川 入り口 回廊UP


👩ああ、面白いですね、いろんなのが観れるやつ。いいなぁ。

蜷川 桜の部屋 UP


👨で、それって見ていると、結局花の写真というのも彼女の世界の中では一部に過ぎないということもわかるのね。
👩うんうん。
👨もちろん彼女は花だけではないって言うには花の写真たちのイメージから溢れてくるものはすごく強いんだけれど。でもね。

蜷川 花の道UP


👩私はね、あの、彼女は映像とかも取っていらっしゃるでしょ、映画とかさ。あとすごく昔なんですけれど、あの「嵐」の相葉雅紀君っているでしょ。
👨うん、いらっしゃいますね。
👩そう、私は蜷川実花さんが人を撮った写真がすごく好きなのだけれど。
👨うん。
👩その、人物を撮っている写真が好きななかで、相葉君が今の大人の男性になる前、もっと若いころに取ってもらっているんですよね。私もリアルタイムで観ているわけではないのだけれど。
👨ああ、はい。
👩見る機会があって、いやぁね、それがねぇ、なんというかなぁ、とても色気がある写真というかねぇ、それを引き出しているのか切り取っているのかわからないけれど、どっちもなのだろうけれど。蜷川実花さんが魅力的だと思っているのだろうなぁというのが凄く伝わってくる。それが凄い好きなんだよなぁ。映画を観たときもそうで、やっぱり相乗効果でね、もちろんお花とかもさ、すごく使われていたし。あれね、映画はあれですよ。タイトルが出てこない。えーと。
👨『DINER』ね。
👩そう『DINER』、キッチンしか出てこなかった。そう、ダイナー、ダイナーはよかったよね。
👨前にもここで話しましたけれど『DINER』は良かったですよ。あの色使いの中での藤原竜也さんっていうのはね。
👩そうそう。そうなんや。
👨玉城ティナさんもその中に存在感があってすごくよかったしね。
👩うん、良かった。私、小説を読んでから観たんです。
👨ああ、はいはい。
👩面白そうだなぁって思ったから。そもそも『DINER』という小説を知っていたわけではなくて、映画『DINER』ってすごく興味を惹かれるなぁって思って映画を観る前に、じゃぁ原作を読んでから行きましょうかしらと思って。で、原作も面白くて。原作と映画は別な形というか持つ印象が全然別だったけれど、でも、どっちも良くてねぇ。なんか、あの、二つの世界というか、その、なんか自分の中で、想像の中で、私の中の世界と外側の別の方が作られた映画の中の世界というのが良くて。とっても良くて。
👨今回の展示会の中でも、ポートレートが20点くらいかな、出ているんですよ。でね、私はその中でも、ほら、趣里さんという女優がいらっしゃるじゃないですか。
👩いらっしゃいますね。
👨彼女のポートレートとか特に好きだったんですけれどね。ほかの方についても一人一人が良くてずっと見つめ続けちゃいましたけれど。ほら、今年は夏に東京都写真美術館で篠山紀信さんをやっていたじゃないですか。
👩ああ、見ていないけれどやっていらっしゃいましたね。観たかった。
👨で、その中には、彼もそういうご商売をやってらっしゃるわけだから、ポートレートも出ていたわけですよ。で、やっぱりたくさんに展示されていたわけですけれど、ポートレートはポートレートだから所詮は人間なんですよ。着飾ろうが素であろうがなんだろうが人間なんだけれど、たとえば篠山紀信さんのポートレートから出てくるものって、でどころが・・、うーん、うまく言えないなぁ。えっとね、蜷川実花さんと篠山紀信さんのポートレートではでどころが違うような気がするの。それを誰々のポートレートって括ってしまうとそれは同じものなのだけれど、篠山紀信さんのものって、個性というかその人が持っているものの内側をきゅっと引っ張り出してくるような感じなのよ。なんていうか人間の色のようなものを。でも蜷川実花さんってその人になにかをすっと被せてその人の細微な色を、個性を浮き立たせるような感じなの。ほんと、それを表現としてうまく言えないのだけれどね、それは同じ被写体のポートレートではあるのだけれど、でも、ふたりの作品たちの印象を重ねあわせてみると、なんだろ、観ている方のこう、その観る側の焦点の合わせ方ってあるじゃないですか。ここに焦点を合うようにやってくるとか焦点を合わせて見ようという感覚ってあると思うのだけれど、それが違うの。蜷川実花さんの撮ったポートレートたちを観ながら、当然に篠山紀信さんのポートレートを観たことを思い出したのだけれど、そうすると、同じように人物の姿なのに、凄く良い意味での、色も形も捉えられないような異なりとか違和感がやってきて面白かったですよ。その、人物の顔っていうのは素材として同じものであっても、実はいろいろな所からいろいろなパワーが出ているのだと思うのね。で、それがカメラのレンズを通ったときに、どこをどう切り取りどう掬い取るかっていうこと。それを自らの感性と擦り合わせて、安定して自分の受け取ったものとして捉え焼き付ける技術の研がれ方がその写真家の値打ちなのだろうなって思った。
👩へぇ、いいな。あんまりたくさん写真作品というのを、私は観ることができていないんでしょうね、たぶん。その、プロの方のね。だから、あんまり自分の中での、なんていうの、指針になるものがあまりなくて。だから、もうちょっと見てみたいと思います。学び。
👨ほら、たとえば荒木経惟さんっているじゃない。
👩えーと。
👨アラーキーとか言う風にも呼ばれている。
👩ああ、わかりました。いらっしゃいますね。
👨私が彼の奥さんの布団から出ている手の写真を観て号泣した写真家ですけれど。彼のポートレートっぽい作品もまた全然印象が違うしね。
👩そうやって見ているのかなぁ。人それぞれの見え方、世界の見え方がさ、そうなのかなぁって思いますよね。そういう風に見ようとしているのかもしれないし。でも、少なくとも、その自分の目に見えているものとか感じているものが出るだろうから。
👨その感性によりそってカメラのフォーカスを合わせることができるのがプロの写真家なのかなぁとも思うしね、きっと。で、その感性はもちろんそれぞれに違っていて。
👩自分たちの方法論があって写真を撮っているというのは本当に凄いと思う。素人がさ、時たまぐわーっと何枚も撮って偶然みたいなのはさ、同じことができないじゃないですか。世界観を出してみたいなことはできないから、やっぱりプロっていうのは凄いなぁって。
👨そうそう。で、ちなみにあれですよ。蜷川実花展には、最後にインスタレーションみたいなやつもあって、これは是非に観た方が良いと思います。彼女の精神世界のようなものが一部屋にインスタレーションされているから。

蜷川 インスタレーション UP


👩すごーい。行きたい、本当に行きたい。いつ行けるかな。
👨まだ割と始まったばかりだから。もう暫らくはやっているから。しかも平日だったら日時までの指定ではないから、日を指定しての予約だから。
👩へぇ、ありがたい。
👨私もなんで早めにいったかというと、会期後半は混むと思って、凄く。
👩ああ、なるほど。
👨もうこれだけは是非に非常事態宣言が出ているうちにって、けっこう非国民みたいなことを考えてね。
👩写真展とか美術展とかって、正直人が少ない時の方がよいからね。
👨私はまだ始まってから2日目とか3日目だったから、がらーんとしている部分もあって。誰もいないところなんかもあって。
👩ああ、いいなぁ。絶対に楽しい。浸れるしね。
👨そう、浸れるし。あと、ポートレートのところはダメなのだけれど、肖像権があるからね。でもそれ以外のところは写真を撮ってもいいですよって。。
👩めちゃめちゃ大盤振る舞いだ。
👨でも写真を撮った瞬間に死んじゃうんだけれどね、自分がその瞬間に感じていたものは。
👩そうかぁ。そうだよね。
👨だって、あとで、その写真を観たり、その写真が掲載されている写真集を買ったとしても、なんでだろうね、絵はわかるんだけれど写真って本来
同じクオリティじゃない。でも、光とかの関係かもだけれど、自分が見たそこに飾られているものと違うんだよね。
👩うーん、切り取られているものは…記念だから。
👨そうですね。確かに。そうして切り取ったものは記念なのかもしれない。
👩あと、強烈なのでしょうね、体験だから。
👨まあ、光とか物理的な大きさとかいう話もあるしね、たとえば自分の視野のなかでどれだけを占めるとかいろいろあるのだろうとはおもうのですけれどね。
👩そうですね。
👨いやぁ、でも、今年はねぇ、そういうことで言えばゴッホも来るし。
👩ああ、そうか。ゴッホ観たい。
👨もう上野が大変ですよ。東京都美術館を観て、上野の森美術館に足を運んでって、二つはしごで観たら精神的にもう死ぬよ。
👩でも、飢えを感じるよね。あの、みんな芸術を観たい!観たい!っていう。やっぱりエンタメとか芸術とかそういう物がないと生きるのが辛いんだって、うふふ。
👨そうですよね。で、そろそろ時間なのですけれど、もうひとつだけ話をすると、今東京芸術劇場シアターイーストで「アンカル」という団体が公演をしていましてね。。
👩はい。

アンカル UP


👨で、ここはモダンスイマーズの蓬莱竜太さんが作ったソロユニットで、今回は俳優を27人集めて中学3年生の1年を造るという舞台をやっているんですよ。
👩なるほど。
👨で、それがもう、抜群によかった。
👩へぇー。
👨それなりに尺のある舞台でね、休憩込みで2時間半くらいあって。
👩うん。
👨若手を集めたというイメージを持って観に行ったのだけれど、若手といっても見知っている小劇場では舞台の中心にいたり支えたりしている人たちもいたし、青年団で活躍している方もいらっしゃって。加えてああいう語り口でシーンを作り重ねて、それを2時間半の中に1年として束ねるには相当な時間が掛かっていると思うのね。
👩ふんふん。
👨それを、今本番と言うことは、コロナ渦のピークのころを含めてずっと作り続けて、みんなで苦労して、試行錯誤をして、あれだけのものを築き上げたということで、演劇を作ろうというその意欲ってものすごいなぁって思って。
👩うん、そうですね。
👨その作品が、もう凄くよかったです。
👩でもちょっと観るのが辛そうだなぁ。そういうの、辛いんだよな。
👨いや、多分そういう辛さではない。ビビットだよ、すごく。
👩うーん。
👨痛みもあからさまな痛みではない、時として鋭いけれど。
👩うーん、でしょ。いやぁ、ほら、何が刺さるかわからないからさ。
👨ああ、それはあるけど。人によってはね
👩怖い、しんどいときは無理だってなっちゃうんですよ。
👨うん、まあ、後ろから飛んでくる矢もあるからね。けっこう。
👩そうなんですよ。
👨でも、私みたいな鈍感なおっちゃんにとっては、心が痛いこともあるんだけれど、それも含めて、中三のころに自分が観たり感じた物の浅さや深さや見た記憶や見なかった記憶とも共振して、いやぁすごいものをみたなぁっていう。
👩へぇ。
👨俳優個々の力に加えて、いまさらだけど、蓬莱竜太さんの力っていうのはものすごいのねとも思ったし。そもそも、モダンスイマーズのお芝居自体がね、やっぱり私大好きなので。
👩そうですね、モダンスイマーズさんっていいよね。私も好きだな。
👨そうして、作劇のシナプスの積み重ねでああいう世界を作り出していくというのは凄いなぁと思いましたけれどね。
👩うん、うん。
👨まあ、そんなこんなでだらだらと話し続けてしまいましたけれど。
👩いえいえ、楽しかった。いろんなことを知ることができて。蜷川実花さんの写真展は行ってみようと思います。みなさまもよろしければ是非。
👨ごらんになったら、是非におねえさんの感想も聞かせてください。
👩はい、もちろんです。
👨あれは、10人が行ったら、10人分の違うことをお伺いできそうで。楽しみですね。
👩はい、うふふふ、かしこまりました。
👨ということで、そろそろ終わりにしましょうか。
👩はい。
👨それでは、演劇のおじさんと
👩おねえさんでした。
👨また次回もお楽しみに。

東京芸術劇場 UP

(ご参考)

・『落語教育委員会』
 2021年9月16日 @練馬文化センター小ホール
 橘家文太、柳家喬太郎、三遊亭兼好、三遊亭歌武蔵

・『浜の朝日の嘘つきどもと』
 2021年製作/114分/日本
 配給:ポニーキャニオン
 劇場公開日 2021年9月10日
 監督・脚本: タナダユキ
 出演: 柳家喬太郎 高畑充希 大久保佳代子 
     甲本雅裕 佐野弘樹 神尾佑 
     竹原ピストル 光石研
     吉行和子

・コトリ会議 『スーパーポチ』 
 2021年9月23日[木] - 27日[月]@こまばアゴラ劇場
 作・演出:山本正典
 出演 :三ヶ日 晩、 花屋敷 鴨、 原 竹志 
     まえ かつと 山本 正典 
     吉田凪詐 (神戸公演は若旦那 家康)

・『蜷川実花展 -構と現実の間に-』
 上野の森美術館
 開催期間:2021年9月16日(木)〜11月14日(日)
(本文中の写真については、会場にて撮影、Web上での掲載などが可能である旨を確認をしておりますが、もし問題があるようでしたらお知らせください。)

・アンカル『昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ』
 2021年9月24日~10月3日 @東京芸術劇場シアターイースト
 作・演出 蓬莱竜太
 出演: 天瀬はつひ、安齋彩音、池ノ上美晴、伊藤麗、
     伊藤ナツキ、榎本純、江原パジャマ、大河原恵、
     大西遵、小口隼也、笠原崇志、蒲野紳之助、
     堺小春、田原靖子、中野克馬、名村辰、
     南川泰規、ばばゆりな、藤松祥子、益田恭平、
     瑞生桜子、森カンナ、山岸健太、山田綾音、
     山中志歩、山西貴大 / 吉岡あきこ

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは我々の会話をより多岐に豊かにするために使用いたします。よろしくお願いいたします。