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#144『この世で一番の奇跡』オグ・マンディーノ

 不思議な読後感で「あれ、なんだったっけ」という感じである。良い本だった。小さな物語で善意に満ちている。自己啓発の大家が書いた小品だが、その優しい息遣いは文学の水準を満たしている(その点、『夢をかなえるゾウ』とは違う)。
 沢山の偉人賢人の言葉を引用しながら、オグ・マンディーノと架空の老人は話し合う。生涯の友と言っても良い仲になる。
 この老人は非常な栄光と苦しみを味わってきた。そして今は人知れず人を救う仕事をしている。それはどんな人かというと、自分の価値を認められなくなった人である。
 そんな人たちのために老人はある文書を書いた。それをオグに渡し、出版するように言い、姿を消す。
 最後から二番目の章は丸ごとその老人の文書で、そこには人間の魂を深い所から呼び起こす言葉が綴られている。

 という訳で構成的にはその文書がメインディッシュであり、それを呼び込むためにそれまでの全てがある。
 この点、難があると言えばある。あまりにもその分離が著しすぎる。それと虚構としての老人の存在の設定と処理が不完全すぎる。多分そのせいで、「良い内容だと思うのだが、全体を振り返るとなんだっけ?」という印象を私に残したのだと思う。
 もっとも、こういった明らかな霊感から書かれたものは齟齬や破綻を犯しがちだから、そこは仕方ないかとも思うが。これ以外の方法は、多分なかったのだろう。そしてこの問題を文学的に処理することも、本書にとって必要な作業ではなかっただろう。
 と、ここまで書いてもやもやが晴れた。改めて評価すると、これは良い本である。

 本題である老人の文書を読んで、思い出したことがある。20歳から25歳くらいまでの間、私には一つの考えがあった。それは「神の最高傑作になる」というものだった。それは私に強い自負心と向上心を与えた。自分で自分を育てるということを毎日忘れずに生きることが出来たのは、実にその思いがあったからだが、「神の最高傑作」という言葉が、この老人の文書の中に出てくる。「あなたは神の最高傑作なのです」と。良い気持ちになった。その思いを思い出すことが出来た。
 今私は41であり、夢を持つのも以前に比べれば難しくなっている。理想に従って現実を拒否するより、現実を受容して理想を下方修正する人生時期にどっぷりと浸かっている。しかしそれでもなお、神の最高傑作という自負を、多分忘れるべきではないのだろう。いや、今では違う言葉に変わったのかもしれないが、今でもそう思って自分を何かに方向付けているのかもしれない。
 もう一つ。
 日本人として成熟してくるということは、言葉に反応しにくくなることを意味していると私は思う。日本人の心性は言葉より深い層から響いてくるから、日本には西洋のように言葉で全てを明らかにする習慣がないのだと思うのだ。老人の文書はあくまでも西洋文明の所産である。成熟した、または成熟に向かいつつある日本人にはやや言葉が多いと感じる。その意味において、今の私が、というより、まだ数々の言葉のきらめきに叱咤激励されることのあった過去の私――今の私の中に息づいている過去の私――がこの本に感銘を受けた。そんな気がした。
 

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