僕の宿毛高校物語 エピソード5番外編【もうひとりのキャプテン】
宿毛高校三代目チームが光とするならば、四代目チームは間違いなく陰でした。(※エピソード5【光と陰】参照)
少子化による中学校の部活動の団体競技の低迷に加え、そもそも男子バレー部が中学校にないという環境。県内でもチームが減っていくなか、宿毛高校はなんとか耐えてチームを存続させることができていたのは奇跡といってもいいかもしれません。それでも人数があと1人だけ足りませんでした。
そこで、四代目チームは隣にある宿毛工業高校と合同チームを組むことになりました。
当時の宿毛工業は紆余曲折あってキャプテンひとりしかいないチームでした。
この時の顧問をしていた先生(※大学卒業したばかり)とは運命の出会いとなるのですがその話はまた後日。(たぶんエピソード14あたり)
宿毛工業のたったひとりのキャプテンはシンジと言いました。彼は何をしても不器用で、誰かと話すことも得意ではありませんでした。合同チームとはいえ、シンジのことを僕は自分のチームメイトとして接しました。厳しいこともたくさん言いました。
物静かな彼は、僕に決して反抗的な態度をとりません。
(四代目キャプテンのカイトは不良なので反抗的な態度はよくとります(笑))
時には目に涙を浮かべながら、練習をがんばりました。そして迎えた冬季大会。
結果は敗退。
ルール上、シンジと最後の県体(インターハイ予選)に出場することはできません。(※合同チームでインターハイに出場することはできないため)
まだまだチームが出来上がらない、発展途上の状態の冬季大会がシンジとの最後の試合になりました。
もともと自分から話をすることのないシンジは、最後の集合の時も無言で僕の話を聞いていました。
チームに1人しかいない。
人付き合いは苦手。
中学校男子バレー部はない。
少子化による入学生の減少。
男子バレーの人気低迷中。
以上を加味すると、シンジの高校でのバレーは、誰が見てもこれで最後になります。
自分の力不足を痛感しました。
シンジに対してもっと何かできなかったか?
シンジにとって最後の試合が周りの人間より早くくるのであれば、それにふさわしい送り方ができたのではないか?
後悔先に立たず。
宿毛工業との合同チームは終わりを告げました。
迎えた4月。
宿毛高校には新入部員が入り、人数不足は解消され、最後の県体に出場することができました。
そして宿毛工業は・・・
奇跡が起こっていました。
合同チームを解消した後、シンジの同級生が1人入部し、その同級生が新入生を勧誘して県体に出場できるようになっていたのです。
素人集団の宿毛工業は、県体では1勝もすることはできませんでした。しかし、最後の県体にシンジが出場できたこと。そして楽しそうに試合をしている姿を見て、涙が止まりませんでした。
3月。宿毛高校校門に咲く桜が満開になった頃。校内で来客の知らせを受けた僕は来客用玄関に急ぎます。誰かと約束をしていた訳ではないので相手は誰だか分かりません。
そこに立っていたのはシンジでした。
驚いた僕は、とりあえず卒業祝いを彼に述べ、
「今日はどうした?」
と訪ねました。
すると、
「小島先生、ありがとうございました。卒業して専門学校に行くことになりました。先生に教えてもららえたおかげです。」
決して自分から話をすることのなかったシンジが、自分の意思で、他校である宿毛高校に、わざわざお礼を言いにきてくれたのです。
何も教えることはできなかったのに。
お礼を言いたいのはこっちの方なのに。
たくさん彼に言いたいことがあったのに、胸がいっぱいで言葉がでませんでした。
それから、シンジには会ってません。風の噂ではがんばって働いているそうです。彼のことなので、きっと、今でも真面目にコツコツがんばっていることでしょう。
もうひとりのキャプテン、シンジへ。
「こっちのほうこそ、ありがとう。」
今回はここまで。
次回、エピソード5.5【あと1点】
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