僕の宿毛高校物語 エピソード0【繋いだ襷】
僕の教員生活は高知県の東の端、室戸高校から始まりました。そこでバスケットボール部の指導に2年携わり、小津高校でもバスケットボールの指導に1年携わります。
翌年、宿毛工業高校で仕事をすることになり、当然バスケットボールを指導するつもりでいたのですが蓋を開けてみるとバレーボール部の顧問でした。
高校時代にバレーをやっていたので、2,3年バレーの指導を経験してからバスケットボールに戻ろうと思い僕のバレーボール指導が始まります。
右も左も分からない中、右も左も分からない自分が大変お世話になったのが当時宿毛高校女子の監督をされていた町田先生でした。
町田先生は宿毛工業をよく練習試合に誘ってくれました。
その日も宿毛高校で練習試合をしていました。隣のコートで男子バレー部が練習しています。
「へぇ、男子バレー部があるんだ」
校区に男子バレー部のないこの地区で男子バレー部は珍しいんです。
町田先生から
「ちょっと教えちゃってくれん?(教えてあげてくれない?)」
と声をかけられます。
「任せてください😊」
軽い気持ちで引き受けた僕は彼らと一緒に時間を過ごします。
全員素人で、お世話にも上手とは言えない彼ら、
でも、一生懸命ボールを追いかけます。
一瞬で彼らのファンになりました。
最後の集合で僕は彼らに
「次に異動するなら君らと一緒にバレーがしたい!」
と伝えます。
※バスケットボール部に戻るのでは?
そこで目を輝かせながら僕に
「お願いします‼️」
と言ってくれた少年と固く握手をして
練習を終えました。
しかし、その年の異動で僕は
窪川高校定時制に転勤になります。
彼らと一緒にバレーをすることは叶わず
彼らの作ったバレーボール部は
彼らの卒業とともに一度消滅したそうです。
それから2年後、奇しくもその宿毛高校に
赴任することになります。
そこには、彼らの意思を継いだ男子が再びバレー部を作っていました。
あの頃の彼らと同じく、
下手くそで、
でも一生懸命で。
そして、再び町田先生から声がかかります。
※エピソード1参照
僕の宿毛高校男子バレーボール人生の始まりです。
宿毛高校で13年目を終え、宿毛高校での物語を終えようとしている今日、あの時「お願いします‼️」と言ってくれた彼が体育館を訪ねてきてくれました。
たった1日しか教えていない僕に会いに、大阪からやってきてくれたのです。
彼との約束が果たせなかった僕に、彼は言います。
「宿毛高校男子バレーボール部をここまで育ててくれてありがとうございました。」
こっちのセリフです。
涙をこらえるのに必死で言葉がでませんでした。
※基本泣き上戸です。
彼から受け取った襷を13年間ここまで繋いできて本当によかった。
そして、この襷はまた次へ、その次へ、いつかまた僕の手元に繋がるといいなぁ。
今日はここまでです❗
次回はエピソード2(予定)
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