瞼の皮膚の裏には肉塊が潜んでいる!
フィクションの肉塊は本当だったんだ、と思う。
私は具合が悪いときのことはそんなに嫌いではない。
具合が悪いというのは身体的に、が第一条件だ。
抗うような祈るような気持ちで目を閉じる。
そういうときには何が見えるだろうか。
私の瞼の裏にはそのときに身体にも精神にも影響が最悪であろうイメージが次々と浮かぶ。そのときに悪いだろうと判断されたものの中で選りすぐりの最悪が提供されるのだ。
緊張しているときにそれは顕著になる。家でじっとしているときよりは不特定多数が空間を共にしているときに、それらは嬉々として立ち現れる。
そして存在しないそれらをなすすべなく眺め、自分がホラー映画の監督だったら惜しみなく見たままを投影したのに、と思う。
体調不良は暖色である。もっと言えば赤色だ。
頭に血が集まっていて、物理的に瞼の裏が赤いのかもしれない。
見えるのは肉塊だ。
ところどころ黒かったり赤かったり黄色かったりの斑を見せながら、意思を持つように蠕動している。それが視界いっぱいにある。塊だと思うのはそれが「塊の動き方」をしているからだ。立体感をもった振動といえば伝わるだろうか。
肉塊を見ながら、正当にその生温い質感に眉を顰めたり、冷静にフィクションで見るグロテスクな肉塊の描写は間違っていなかったのだ、と感心したりする。
どちらが先だろうか。
冷静に考えると、フィクションで見る肉塊があるからこそこの瞼の裏の投影は成り立っているのかもしれない。しかし、その時の自分は「本当だったんだ」と強く思っている。ホラー作家は全員、瞼の裏の肉塊を創作の前に見ているのだ。
「ああ!瞼の皮膚の裏には肉塊が潜んでいる!」
きっとみんな気づいてしまっているのだ。
それから、肉塊と同じくらいの多さで皮膚や骨も見かける。
私は車酔いをあまりしないのだが、一度絶食と徹夜を携えて高速バスに乗った時は、延々と続く皮膚の下にロッククライミングの人工の岩のように突っ張った骨を下スクロールで、目を閉じるたびにずっと(本当にずっと!)見させられた。正規位置にない骨のことがかなり苦手なことがまるっとばれているのである。
不明瞭にグリッチのかけられた人の顔や、輪郭が不定の物体などが登場することもある。
ハリー・ポッターシリーズに登場する「その人が一番怖いと感じているものに姿を変える魔物」を知っているだろうか。きっとそれは誰の脳内にもいるのだと思う。そして身体の主の入眠時や具合が悪いときなどにそれらは現前する力を得て「しめた!」とばかりに形を変えながら眼前に躍り出て来ているのだろう。
この場合は、恐怖というよりかは不快感に特化したものの話ではあるが。(いずれ金縛りの話もどこかでしたい。そこで私が対峙しているのは紛うことなき"恐怖"そのものなのである。)
もっとコミカルでカートゥーンタッチのホラーが瞼で展開されているときもあるが、そのときの自分にとってはそれが"最悪"であることには違いないのでそれはそれで順当に苦しんでいる。
ああ悲しきかな、自分の敵はいつも自分の中にいる。
それなので、もっと高原に馬が草を食んでいるさまや、鉱石が光を受けて鈍く輝いているさまが一番怖いのだと、どうにかして刷り込んでいくしかない。
とにかくまんじゅうが一番怖い。
そうして体調不良の自分がもう二度とあの肉塊を見なくてもよいようにするのだ。
瞼の裏の暖色で塗装されて照り映えた、ホラー作家への道はまことに残念ながら自ら閉ざしていくことになるけれど。