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ものと出会い直す

ものとの出会い直しについて書く。
なんというか、自分はそのような精神の経験が多いが、なかなかまとめて考えることがなく、良い機会だ!と思ったから書く。

料理への欲求が少し前から高まっているのだが、この度エプロンとまた出会い直すこととなった。これはもう5度目くらいの出会い直しである。
私は料理や食事から心が離れている期間とその反動のように興味の矛先がむく期間があり(悲しいことに前者の方が長い)、心が離れている期間の離れっぷりは凄まじいものなのでエプロンの持つ要素ことをほぼ確実に忘れてしまう。

きっと料理に直接の関係はないからだ。たとえなくてもどうにか料理は成立してしまう微妙な立ち位置にいる。

「エプロンの持つ要素を忘れる」というのはどういうことかというと、掃除の際などに避けたりはするから「あるな」とは思っていて、エプロンを装着すると服が汚れなくって素敵!ということを忘れている。道ですれ違った人とかだと思っている。あらございますねと思って、それで終わりである。

そしてずっと忘れ続けたまま料理の回数が増していき、ついになんだか料理のときって汚れやすいな…と不快に思い始める。しばらく不快に思い続けて、(服が汚れるから料理用の服などがあれば便利かも…)というところまで考え及んでようやく、エプロンの存在をいつかぶりに閃くのである。
エプロンがあれば服って汚れないのでは!?と思い、ある!?と気づき、汚れない!!!と感動する。

この感覚がわかるだろうか。
幼少期はこの感動だらけだったので、言うなればこの瞬間前向きな退行が起こっている。この感動は人を少しの間子供にする。否応なく人間を「すごーい!」とはしゃがせるこの心の動き!ときめかずにはいられない。

誰かに伝えるまでもないのでここに記せてよかった。
もしここでエプロンのことを思い出した人は明日にでも使ってみてください。油が跳ねても服が汚れないんです…すごいね…


少し似ていることで、湯たんぽもこの冬に出会い直した。夜中は足がちょっとどうかしてるのではというくらい冷たいから、布団の中で暖を取れる猫以外の物体が欲しい…と思っていた。冷えた足先を猫に当てるのは些か気が引けてしまうからだ。

(語り)
物心ついたときから彼を「ゆたぽん」という商品名で親も子も呼んでいたから、ゆたんぽと名の付くものはすべて雲のような形をしたふかふかの黄色いぬいぐるみみたいな「ゆたぽん」だと思っていたときもあった。
懐かしい品。
(語り終わり)

ゆたぽんはうちでは年中ずっと床の上に落ちていた。部屋の衛生に耐えられなくなった私に埃をはたかれて、にこりっ!と存在していた。(ゆたぽんには顔が刺繍してあるのだが本当にそう表現するしかない表情なのだ。)
ああきっと己が湯たんぽであることも忘れてしまっていたに違いない。可哀想に。
今、家中で、布団の中で足を猫以外のもので温めたいという願望をここで叶えられるのはゆたぽんしかいない。奇跡のような需要と供給が一致した瞬間である。クラッカーを鳴らしくなったが、隣人と揉めるのでやめた。

さて数年の時を経て暖められたゆたぽんはもはや猫と同じくらいの眩さでぽかぽかになった。そしてにこりっ!としている。もっとはやく君がゆたんぽだと思い出せばよかったね。

おおゆたぽん!今日もありがとう。君のおかげで生き物はぽかぽか。床の上で埃を被った湯たんぽがこの世界から一つでも減りますように。その笑顔に幸あれ。


上の二つがそこそこ長く話せるエピソードである。まだあると思うので、自分のためにいずれ書きたい。

たしか半年くらい前に「ポーチって何に使うねんと長年思ってたけど、小さなものが散らばりにくくていいと気づいた」といった文を見た。
これこれこれ!!!と思った。他人のをあまりみたことないのですごく嬉しかった。そのものが持つ機能に気づいて「ああそういうことだったのか」としみじみするのは気持ちがよい。世界にまた少し身体が馴染んだようなうれしさがある。

自分の場合だと「そういうものだと思っていたから」への反発がものの使わなさに繋がっている場合もある。意味がわからないぞ?と思ったらすぐにやめる時期があったのだ。なんでも決まっていることに対して批判的な意見を持ちやすいのはそういう気質からきているのだろうな。かくいう私も梨本ういの曲を子守唄にして育ったのだ。
とにかく、自分の場合、意味をよく理解しないままやっていること(例えばエプロンをつけるという行為など)が多いからこそ、出会い直しているのかもしれない。

忘れていたにせよ、気づかなかったにせよ、自分にとって違う性質をもった新しいそれが目の前に現れるとき、私たちはもう一度それと出会い直しているのだと思う。私は他にも、靴、衣類、本などに出会い直しているし、なんなら自分は買ったものを開けずに詰むので開けたときも出会っている。


よい感じにまとまっただろうか。