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優先席に座らない自分がいい人だと思ってた

電車に乗る時、電車で座ってる時、電車から降りる時。
私の中である種ポリシーとして、「優先席に座らない」がある。
これは、たしか小学生と時ぐらいに母親と電車に乗ってる時に「このマークがある座席は、お年寄りとか赤ちゃんがお腹にいる人とかが座る席だよ。誰もいなかったら座ってもいいけど、座っちゃだめだよ」と座りたくてうずうずしていた私にどっと乗っかってきたコートみたいなもの。

そっから、私は何があっても涼しい顔して優先席に座らない自分をキラキラして魅せていた。
いや、もはや近づきもしてなかったかも。自分の欲望に忠実が故に、自分で決めた(決めさせられた)ポリシーを違反してしまう恐怖心から遠ざけるようにしていた気もする。

私はたぶん、ルールが厳密に決まっていないことが苦手。
だから俗にいう、「ゆるい」バイトとかコミュニティみたいなところにいると自分の良心が削れていく。
ルールとか、誰かが決めたことに対して守りきっている自分のことがちょととだけ誇らしくて、逆に守れない人を見るとなんだかちょっと驚いちゃう。
きっと誰かにいい人だと思われたいんだろうね。変な自尊心に支配されているなあと思う日々ですね。

でも、世の中「優先席に座っちゃう」ぐらいな人の方が人生を賢くそしてゆるく心を軽くして楽しめちゃうんだろうなと最近本当に思います。
それは本当に自分に対しての大きな冒涜であり、認めたくないことでもあり、捻くれをもっと加速させることでもある。
でも、認めないとやっていけないぐらい最近思います。もっと生きやすくなりたい、人にわがままを言いたい、甘えたい、頼りたい、あーだこーだ人を振り回して、人の顔色なんて気にしない、賢い人になりたい。

どうやったら自分を認められて、自分を可愛がることができて、自分を必要以上に卑下しなくなるんでしょうね。

雨が降っているので、気分と体がずんと下がっているだけです。
そういうことです。


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