当たり前のことを当たり前にこなす人間は、贅沢に悩む。
この感覚を、私はおそらく知っている。
言うも晴れぬモヤモヤ感。
4つ下の弟がいる。
弟は私より頭が悪くて、親にもよく叱られていた。
叱られている弟の影で、勉強も習い事もそつなくこなし、当たり前のことを当たり前のようにこなす姉。
それが私です。
叱られたことなんて片手で数えられるくらいで、いつも褒められて育った覚えがある。器用で出来がよくて手のかからない、「いい子」。
周りから見ればそうだろう、でも本人はこう思ってる。
叱られてる方が余程可愛がってもらってるじゃん。
私、私自身の悪いところ、直さなきゃいけないところ、客観的に分からないまま大人になっちゃったよ。
自分だけの判断じゃ不安だよ。もっと私を見て。
でもこれ、誰も悪くないんですよ。
弟が不出来だどうだなんてこの際仕方ない(失礼)し。
親も不出来な方を叱る・気にするのが当たり前だし。
普通に普通の事をこなす姉も悪くないんですよ。多分。
30代が見えてきた今、職場で同じようなモヤつきを覚えてる。
少し心身の弱い、仕事の出来る同僚が居ます。
担当部署が同じなので、私は職場内で最も近しい存在と言っても過言ではないです。
仕事は誰よりも早いし頭もキレるし、私は大切な話し相手として信頼を置いていました。
同僚に辛いことがあれば、話を聞きながら支え合って来ました。
私も支えてもらっていました、この子には。
ただ、時々無断で会社に出勤してこないことがありました。
最初は本当に心配しました。家に様子を見に行きましたし、連絡が取れれば誰よりも安堵しました。
これが月に数回続くようになると、「お、またいつもの感じか〜」と慣れてきました。
そして、出勤してくる事が珍しい状態になってきます。
仕事はもはや、同じ部署の私が全部フォローすることが当たり前になって来ていました。
そう、あの時のように「当たり前のことを、当たり前にこなす私」。
会社は私ではなく、体調不良の同僚への対応に追われている。
"連絡がつかない、家に行かなきゃ、見に行ってくれる?男性社員が見に行く訳には行かないからさ。"
"時々LINEしてあげてくれる?仲良いんでしょ、貴方。"
私が声掛けなければ、このまま同僚の担当していた全ての業務が、私に振り分けられていたと思います。それだけは避けました。さすがに。
上の人間のバタつく様子、同僚への鳴りっぱなしのコール音。
どこかで、プツッと何かが切れたんだと思う。
同僚に対しての感情が全て無くなってしまった。
むしろ、何も話したくないとさえ思っているのかもしれない。
かける言葉が何も思いつかない。
大丈夫だよ、平気だよ、気にしないで、だなんて、何万回言ったか分からないし。
これ、さっきと同じで
同僚はただ苦しんでるだけ。
上司はただ仕事してるだけ。
誰が悪い訳でもなくて、悪いとすれば「こんな感情を抱いてしまうちっぽけな私」だと思う。
私が悪い。私が頑張れば全部終わり。
魔法の言葉みたい。しっくり来てしまう。
遠くにいるもう1人の自分が、おそらくこう叫んでる。
違う。
貴方だけが悪い訳じゃない。
貴方は貴方を大事にして。
今、この声は辛うじて耳に入っているくらいの音量だ。
私は自責の念と、無感情に全てを取り込まれそうになっていることだけを感じてる。
今日もノイズキャンセリングイヤホンを耳に突っ込んで声を塞ぎ、泣きながら帰路に着くんだと思う。
ああ、ほんと
こういう日に見上げる新宿の空は、どうしていつも綺麗なんだろう。ズルいよね。
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