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帰るところ

認知症になったお年寄りが
よく「帰る」と言う。
その「帰る」先は、つい最近まで住んでいた自宅でもなく、嫁いで子育てをした一番充実していただろう家でもない。
多くは、生まれ育った家だと聞く。

母の認知症が急に進んで、同時に父の末期癌がわかり入院したとき、私は東京から関西の実家に行ったり来たりしなくてはならなくなり、母はとりあえずショートステイのロングと言う制度で特別養護老人ホームに急遽入所した。
その時母は、施設のスタッフの男性が「種屋の◯◯ちゃんとに似てる!」とか「◯◯ちゃんやろー?」などと言い出し私を困惑させた。

「駅前の種屋の◯◯ちゃんはロッコウに行っていてな、カッコ良かったんよー!」
と言う。

ロッコウ?六甲?
六甲学院のことか?
いや、種屋?
全く分からなかった。

後日母の弟である叔父が様子を見に来た時また同じ話をし出した。

すると、叔父は、「あの岡山にある駅前の種屋の◯◯かいな。六高(第六高等学校)に通っていてな、六高の生徒はみんなマントに高下駄を履いてな、みんなの憧れやったんや。
この人(母)も憧れとったんちゃうか。」
と言う。

話が繋がったが、なぜ今頃自分が女高生だった頃の知り合いに施設のスタッフが似ているなどと言いだしたのだろう。

その時は親戚同士
「歳を取って認知症になったら、何を言いだすか分からないなぁ、危ないなー。」と目配せをした。

あれから6年近く経ち、実家はもうない。
私の帰る家は無くなった。
なのにより一層関西に思い入れが強くなる。
結婚し東京に住むようになった当時は、自分の家庭、家が出来たと思った。
しかし、最近帰りたくて仕方がない。
先日も親戚に不幸があり地域は違うが関西に戻った。
何故か妙に落ち着いた。

私が歳をとり認知症になったら
何を言いだすのだろうか。
少し楽しみでもある。
残念ながらそれを自分では楽しめないだろうけれど。
今からどこかに書いておこうか。
「神戸であったこと色々話し出したら深く考えずに、軽く笑って楽しんでね。根掘り葉掘り聞いてもいいよ。多分それはほとんど妄想だから。」と。