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さようなら。

父は末期ガンがわかり余命半年と言われ入院中片肺が破れ、手術のため他の病院へ救急車に乗って転医した。
手術は成功したが、本人は「もう限界や」と言っていた。
そのうち父の病院と母の施設を行ったり来たりをしていた私が口唇ヘルペスでダウンした。
私が熱を出し回復して、さて病院に行こうかとしていた時
「心肺停止です」と電話があった。
車の運転は動揺しているから危険だと思いタクシーを呼んだ。
タクシーの中で叔父に電話した。
少し泣いた。
それを聞いた運転手はスピードを上げたが
私は「急がなくていいですよ」と言った。
何故だろう。

病院に着き、蘇生措置をされただろう機械に繋がれた父に会った。
そうすると父は薄っすら目を開け私を見ているように見えたが本当に意識があったのかどうかはわからない。
私は「しんどいね、頑張ったね、お母ちゃんに会わなあかんやろ」と言ったと思う。

その時医師は次また心肺停止になった場合について話しかけて来た。
私は「次に心肺停止になったら延命は必要ありません」と伝え、目を開けている父のそばに少しでもいたいなと思いながら諸々の同意書にサインをした。
看護師さんたちは私の言葉に少し意外な顔をしたような気がした。
そしてしばらくしてまた心肺停止状態になりそのまま亡くなった。
末期癌がわかってたった一ヶ月だった。
私はまた「しんどかったね、頑張ったね、ごめんね」と言った。

機械が外され浮腫んだ身体があらわになった。
本当に辛かったろうに、しんどかったろうに。
私なんで熱なんか出しちゃったんだろうね。

看護師さんたちは親切で、最後はお嬢さんの顔を見ることができはりましたね、と言ってくれた。
私は本当にそうだったのかは分からなかったが、そうかもしれないと思い、看護師さんたちにお礼を言って、父から聞いていた葬祭社へ電話した。

本当に父は私を見たのだろうか
見たとしても私しかいなかったから
母を探したのではないだろうか。

最後に聞いた父の声はその三日前
「そうやな、お前らにはお前らの生活があるんやもんな」だった。
お前らには迷惑はかけん、と母を守り頑張って来たはずの父の最後の言葉。
本当に辛かったのだろう。

ごめんなさい。

随分前ここまで書いてそのままにしていた。
そして今日父の日だと気づきこの文についてあれこれ考えていたら、ふとひとつの言葉が降りてきた。

「お迎え」
そう、あの日父にはお迎えが来たのだ、と。
ちゃんとさよならできたかな、お父さん。
さようなら。