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不在を確認し存在とする

ひとりも居ない

聖地巡礼とはフィクションキャラクターの不在性を確認する作業だと誰かが言っていた気がします。

誰かが言っていた気がする、というのは「ツイッターで見た」の言い換えなので笑ってやってください。でもこれって多分真理で、好きな作品が作り話だと確認するというのは我々にとって大事な儀式なのです。葬式みたいなもん。

アーティストがいないのでアー写の撮りようも無い

下北沢に行きました。良く知っている人間はひとりも居らず、同じ知り合いを探している人探し人間ばかりが居ました。

探し人の輪郭をしている空白だけがあるようで、不思議な感覚だった事を良く覚えています。

近くの公園ではビール・フェスをやっていて、店売りのプラコップに入った麦酒が嫌に美味しくて笑ってしまいました。空白に寄り添いながら摂取するアルコール。

ふたりめの視点

つまるところ一連の経験は、彼奴等の背景だった景色を追うほど、彼奴等の不存在は明らかになるのだという事を確認する行いでした。

あるいは作中で彼奴等を見送ったキャラクターの追体験とも言えるのかもしれません。

主人公が去った主人公が根城としていた空間。そこにはどんな音が流れるのか。無人の森で木が倒れるときに音はするのか、という命題を思い出しつつ、下北沢の空地で飲んだうまいビールの味を思い出しながら、安酒をあと少しだけ飲んで寝ようと思います

無人のステージを模した展示。
空調があまり効いていなくて蒸し暑い空間は、まるで雨の日のライブハウスのようでした。

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