その人の美しい真実を聴くだけでいい

私の仕事は訪問介護。
利用者さんのお宅に伺って、
生活援助や身体介護をさせていただきます。

その中で、利用者さんとお話もするのですが、
私がその話を振ったわけではないけど、
どういう流れだったのかわからないけど、
連れ合いの方を看取った時の話になることが
あります。

掃除機をかけながら聴くわけにはいかないので、
少しの間、お話を聴くことに専念します。

さらっと話しているようだけど、
実際に何十年という期間、
共に過ごしてきた人の最期の時期に
立ち合うということが
現実に突きつけられていたその人は、
どれだけの不安、焦り、怖れ…
たくさんの思いを抱えて
毎日生きていたのでしょう。

そのような経験をした人は
たくさんいるでしょう。

珍しいことではないのだろうし、
もっと大変な状況を乗り越えた人も
たくさんいるのでしょう。

でも、今目の前で話しているその人が、
その時たくさんの思いを抱えて
毎日を精いっぱい生きていたことは
何も変わらないとても美しい真実。

責める気持ちがなくならなかったことや、
わだかまりがあって素直になれないまま、
連れ合いの方が日々弱っていく姿を見ていたとか、
そういう葛藤や後悔すらも美しい真実だと
思います。

そこに対して、
「もっとこうすればよかったのに」
「そのやり方は間違っている」
そんなアドバイスも評価もいらないし、
誰もすることができないことだと思います。

ただその人の美しい真実があるだけでいい。

そこには、私の知らない、
深く響き合うような喜びもあったのかも
しれません。

自分の真実を振り返り、
「あの時は大変だったな。よくがんばったな。
よく生きてきたな、私」

その人がそう思っているかどうかは
わからないけど、

そんな背景を背負って生きてきた
目の前のその人は、
体が思うように動かなくても、
認知症があっても、
とても大きく美しく輝いています。

そんな時間が本当に大好き☺️

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