恵那神社の石碑B 碑文書き起こし・解釈

【碑文の解釈】(中山道歴史資料館さんに依頼)
恵那山林は旧(かつて)幕府の直属の士であった山村氏が邑(村)を采配していた。明治維新に廃藩置県の令が下り、各々の藩は分割された。そして属官、属民は境界が接してしまった。
また神社数派の下級役人たちは境界を決定することができず、しかもその地域に居住している人たちは、そのことには関知しなかった。そこで中津川の郷(さと)の家柄高き小木曽彦十翁、諱(いみな)は政保、生まれつきの資質は「深着冷静で意志固く、志を奮い起こす」などの特徴が昔のどの書き物にも記しとどめてある。地面をならし、散らばっている土地を集め、川上の里人の協力心力を合わせ、官吏に同行し足を使って検討し、万事何もかも準備を尽くし苦労を重ね、始めは凡そ(およそ)三千町歩を永く民有のものとして後には村の利益は大興町に財産の基礎頼みをお願いしてここに確立したのです。今此の町の人々は、その当時のことを懐かしみながら、この偉大な業績を忘れることはできない。そこで町の人々はこぞって彼の立派な功績を石に刻んで、いつまでも内外に広めようと計画したのである。

【碑文の原文】
恵那山林舊為幕府麾下士山村氏采邑明治維新廃藩置県分屬官民境域相接不可復辨宮數派吏劃定經界而居民未關知焉於是中津川郷右族小木曽彦十翁諱政保資性剛毅慨然徴諸舊記稽諸地形糾合川上里人協心勠力與官吏同行檢踏苦楚萬端悉盡辛勞始以山林凡三千町歩永為民有而後邨利大興町有財産之基礎頼以確立矣今茲町民追懐住事偉績不能諼乃胥謀勒石建碑表功以博之不朽云爾其銘日

恵奈之嶽 千里洋洋
萬仭蒼蒼 嘻斯丕績
岐蘇之水 山高水長

農林大臣 山本悌二郎篆額
林学博士 本多静六撰文
成木貞書

西尾助洛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?