『論語と算盤』が無価値な世の中に

はじめに

皆さんは渋沢栄一の考えがまとめられた『論語と算盤』という本を読んだことがありますか?
おそらく多くの人が渋沢栄一の考えは「素晴らしい」と思うのではないでしょうか。
しかし、私は「当たり前のことを言っているだけ」だと感じました。
それがなぜかも踏まえて感想を書いていきたいと思います。

『論語と算盤』を読むことになった契機

私は2024年から執行される1万円札に渋沢栄一が採用されたニュースをきっかけにした何かの記事で「道徳経済合一」という考え方について簡単に説明されていたのを読みました。
そして、その考え方に引っかかった私はそれが著されているというこの本を読んでみることにしました。
なぜこの「道徳経済合一」に引っかかったかというと、私が以前から考えていることと同じではないかと思ったからです。
そして、『論語と算盤』を読んだ結果、私の考えと「道徳経済合一」はほとんど同じだけれど少し違うということが分かりました。

※ちなみに私の考えは私自身が書いた、
「すり抜けの経済学」
https://note.mu/oid/n/ncd321baba9e8
に著しています。
バイクの話ですが、私はこの考え方がほとんど全てに当てはまると思っています。

「道徳経済合一」の考え方

端的に「道徳経済合一」を表すと「道徳と経済は一致する」という内容の考え方です。
道徳がなくては経済が、経済がなくては道徳が立ち行かなくなってしまうという意味ですね。

渋沢栄一への賛成意見

道徳経済合一を知ってやはり私の考えは渋沢栄一と同じだと感じました。
その同じだと思う私の考えを以下にまとめました。
※渋沢栄一の考えは私が私のフィルターを通してここで書くよりも自分で読んで感じた方がいいでしょう。

以前からテレビや本などで、成功した実業家や経営者などの話を聞くと共通しているのが「今、世間に何が足りないか」を考えているということでした。
そして、それは結局「人の役に立つことは何か」を考えていることだなと思い至りました。

社会全体の利益は回り回って自分の利益にもなります。さらに言えばそれだけ社会のために頑張っていれば世間は「あの企業なら安心だ」や「あの企業のなら買ってみよう」という思いが出てきます。それが会社の利益に繋がるのです。
ですから究極までに自分の利益を考えたとき、つまり、長期的に利益を得続ける最大公約数を考えたとき、それは「社会への貢献度」が優先順位として一番になるはずです。

ですが世の中には自分の会社の利益だけを求めて、不正行為や違法行為、そこまでいかなくても倫理にもとる行為を繰り返す企業があります。
そんな短期的な利益を上げても、結局は違法行為だとして捕まったり、会社の評判が落ちて商品が売れなくなったりして経営が傾いていきます。
ですから一時的に利益が上がるとしても道徳がない利益は幻なのです。

だから「人の役に立つことは何か」を考えている人はなるべくして成功者になっているのだなと思いました。

渋沢栄一への反対意見

しかし、渋沢栄一の考えと私の考えでは違う部分もあります。
渋沢栄一は
「もし自分の利益にならずとも社会のためになるということがあれば自分はやる」
という意味のことを言っています。
しかし、これには同意できません。
なぜなら、それはボランティアだからです。
もちろんボランティアが悪いわけではないですし、そういう活動が会社の評判を上げることで自分の利益にも繋がるとは思います。
しかし、それは個人レベルで考えることであって会社として考えることではないのかと思います。
※自分の利益にはならないという仮定の話ですので今回はボランティアの面だけを取って話しています。また、企業レベルではなく個人レベルで言った可能性もありますがここではおそらく企業レベルの発言だろうとしています。

この発言をそのままの意味として取り考えると、「自分の利益にならず社会の利益になること」が続いて目の前に現れると、ずっと自分の利益が無い状態が続き最終的には財産がなくなります。企業レベルなら倒産します。
自分が立ち行かなくなってしまったら社会への貢献もできません。
ですからこれも長期的に見れば社会のためとは言えないのです。

まあ、元々の仮定自体があり得ないですけどね。社会の利益になることは自分の利益にもなりますよ。お金ってだけじゃなくて知識や経験なんかも積めますしね。

それにここまで話しておいて何ですが、それは渋沢栄一も分かっていたと思います。
なぜなら元々道徳経済合一は道徳と経済が一緒のものだという考え方だからです。
ただ、それだけ道徳を考え動くことが大事だと伝えたかったのだろうと思います。

「当たり前」にしたい

冒頭で言った通り、私は『論語と算盤』を読んで「当たり前のことを言っているだけ」と感じました。
そして、おそらく多くの人が「素晴らしい」と思うのでしょう。
なぜならこの本はロングセラーの本だからです。実際私が読んだのは図書館で借りたものだったのですが、確か予約してから半年以上待ったと思います。
それだけ人気ということはその本には価値があるということで、その本に価値があるということは自分の中にはその本が持っている価値が無いということです。
もちろんその価値がある人も読んでみなければ分からないので一度は読むと思いますが、全員が読んで「当たり前」と思ったならロングセラーにはなりません。

つまり多くの人は『論語と算盤』の考え方を持ち合わせていないのです。

そして私が願うのは、『論語と算盤』が見向きもされない世の中になることです。
なぜなら見向きもされないぐらい「当たり前」になって欲しいからです。

渋沢栄一の本当に凄いこと

ここまで読んでくださった方の中で、もしかしたら万が一勘違いしている方がいたら困るので、私は渋沢栄一を尊敬しているということをここで宣言しておきます。
私は私が好きなので同じ考えの渋沢栄一も好きです。
ただ渋沢栄一が凄いのはそれをずっと実践して実績を残したことです。
行動と共にこの考えを普及させたということが個人的には圧倒的に「素晴らしい」と思います。

最後に

なんだかんだ言いましたが
「渋沢栄一凄い」
「『論語と算盤』読もう」
でいいですよ。
自分で読んで自分と対応させて読むのが読書の正しい方法だと私は思っています。




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「お金を大切にする」というのはケチケチしてお金を貯めていくことではなく、よく稼ぎよく使うこと。無駄に使うのではなく正しく使う。金づかいの荒い人間にも守銭奴にもならないようにする。

これは『論語と算盤』の中で一番良いと思った考えです。道徳経済合一とは違う話だったと思いますが「それだ」と思いました。

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