海と星の贈り物
あめつちの便り「土の音」🌺
《金沢アンダンテ》下【海と星の贈り物】(善き可能性を拓く)
松葉づえをつき一段また一段と、吹雪が舞い込むプラットホームへの階段を上る人の「つめてえなあ」という溜息のようなつぶやきを耳にした。重苦しい気持ちになった。他日、障害のある人たちの詩集に見つけた一行の詩に救われる思いがした。
「何にもない。でも、いっぱいの空がある」。この勇気に満ちた強さはどこから来るのか。生まれた時に手足があるならそれだけで奇跡かもしれない。
無くて当たり前、無いから有るものへの感謝が増す。そして有っても無くても感謝できる....善く生きるために本当は何と何があればよいのか....きっとそんなことを求めて私は大海原への旅に出た。
設計図を描き横須賀の空き地を借り、同志の協力で木製マストの小さな帆船をコツコツ製作。帆に受ける風の力で太平洋を南下。
無線機も備えつけのエンジンも発電機もなく、灯油ランプと灯油コンロのほかは五感を研ぎ澄ませ体調の維持に努めるばかり。限りある食糧と天からのもらい水が唯一の医薬品でもある。
星を見て地球上の自分の位置を求める天文航法だから、曇って星が見えない夜は恐怖だ。嵐の日はマストより高い波が美しいほど大きなリズムで逆まき崩れる。
魚はいつもとれるものではない。波と共にデッキに上がったイカや不時着した飛び魚など思わぬ恵みはムダなく頂く。
風に運ばれ日本を出て最初に着いたのはトンガタプ島(聖なる南の島の意)トンガ王国の主島だ。 住民と畑仕事や漁に出かけ、長寿者から子どもにまで伝統的な生活の知恵を教えて頂いた。
食事はイモが主体で、味覚などの感性が萎えた自称文明人には苦行だろう。
「私たちは物もお金もないが、粗末でも食べ物はあり楽しく暮らすことができる」と誇らしげに語るのは、友人となった19歳の青年。粗食で頑健な心身だ。
この国に慢性病が少ない原因を知りたいと日本の医療調査団が来たこともある。
帆を上げる時が来た私を村の人たちが心を込めた歌や踊りで見送り、祈ってくれた。
海と星と聖なる南の島の人が贈ってくれた星の数もあろう玉手箱。きっと地球が太陽を巡るごと、一つ一つ開けて分かち合うために。
無人島での自然体験に来た子どもたちが海に潜り魚をとる。命がけで得た獲物は慣れないたき火で真っ黒になっても丁寧に食べ尽くす。炎天下の太陽の下の生ぬるい水が「とてもうまい」と満足げだ。
私は彼らの体験が、生物の系統発生35億年の智慧が詰まった自己の宇宙に善き可能性を拓くカギになると信じている。(ナチュラリスト)
(題字は五木寛之氏、朝日新聞2003.8.29)
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