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【偉大な生涯(中村久子さん)に感佩】

【偉大な生涯(中村久子さん)に感佩】

ヘレンケラー女史から「私より不幸な人、私より偉大な人」(1937年来日時)と賞賛された日本人を初めて知りました。

中村久子さん(2 ↓)で、病で3才までに両手両足を切断しつつも、親の厳しい教育と自身の努力で、筆記から料理や裁縫などの家事全般をこなせるようになりました。

が、生きるため、身売りされる形で「だるま娘」の名で見世物小屋での芸人として働く事もあり、結婚し出産・子育てまで経験したものの、夫の死という不幸にも見舞われました。

それでも見世物小屋で働き始めた時の決意「恩恵にすがって生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」から、生涯を通じて国による障害者の制度による保障を受けることはありませんでした。

その後、執筆や講演や施設の慰問活動を通じて、障害のおかげで強く生きられる機会を貰ったとして、「人間は肉体のみで生きるのではなく 心で生きるのだ」と語り、全国の身障者および健常者に大きな生きる力と光を与えたといいます。

    忘れえぬ光景の一つ、吹雪舞い散る横浜市 新杉田駅の階段で、松葉杖🩼で休み休み登っている 体が不自由な男性から漏れ聞く「冷てえなぁ〜」の囁き...

当時、世界共通の幸せの「青い鳥」の在処を求めて 大洋に出るための7m小型帆船を自作中で、この様な方に自分が出来ることは何かを自問していたのです。

その頃、障がいを持つ方が中心のイベントで一編の詩に触れました。

    「何にも無い    でも いっぱいの空がある❣️

今も胸に残る力強い言葉‼️

この強さはどこから来るのだろう⁉️
    その時の思いが 中村久子さんの痛烈な人生や語録に大きく重なり、改めて勇気のオーラに包まれた気持ちです。感謝🙇‍♂️❣️

《参考》
月刊「職場の教養」(1 ↓)から以下抜粋
2022(令和4)7月号 ()倫理研究所発行

729日【偉大な生涯】
「ある  ある  ある」というタイトルの詩を知っていますか。 詩の作者である中村久子さんは、岐阜県の飛騨高山に生まれ、特発性脱疽という病により、三歳までに両手と両足を切断しました。

母親の厳しい教育と、久子さんの努力により、結婚して出産と子育てを経験し、料理や裁縫・掃除など家事全般を器用に行なっていたといいます。

昭和十二年に来日したヘレンケラー女史より「私より偉大な人」と賞され、その生き方に共感した人たちに招聘され、各地を講演して回りました。

久子さんの生き方は、自作の詩からも伝わってきます。「みんなある  さわやかな  秋の朝」とその詩は括(くく)られ、全体からは「ないことを嘆くより、有るものを見つけて幸せに生きよう」との、メッセージが伝わってきます。

起床から今仕事をしているこの瞬間まで、「当たり前」のように思っていることに着目し、自分が存在すること、人からしてもらったことを思い起こしましょう。

自分を支えてくれている人や物に感謝する機会を多く持ちたいものです。

今日の心がけ◆当たり前のことに感謝しましょう

◼️(1)月刊「職場の教養」()倫理研究所発行(非売品として 倫理研究所の法人会員に毎月無料で贈呈。問合せ倫理法人会事務局)

日めくりカレンダーよろしく 日毎の活動のヒント(教訓など)が、400字強に表されています。
    なお、Facebook(現社名→ Meta)内の「職場の教養を有効活用する会」では、このヒントの感想がシェアされ、共に学びを深める機会となっています。

◼️(2)「中村久子」(1897−1968)明治〜昭和期。

1937年(昭和12年)417日、41歳の久子は東京日比谷公会堂でヘレン・ケラーと出会う。久子はその時、口と肘の無い腕を使って作った日本人形をケラーに贈った。ケラーは久子を、「私より不幸な人、私より偉大な人」と賞賛。

〈語録〉「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」
(晩年に行われた講演会において)...Wikipedia

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