「猿わか町よるの景」−どこで見ようかな、その前にお寿司お寿司♪−『名所江戸百景』
今日は弟が熱を出しました。
私には何もなかったのですが朝早くわかったのでバイトをお休みさせてもらいました。
でも弟が午後に病院で抗原検査をしたら、陰性だったそうです。
昨日セーター1枚で1時間半ゴルフして、最近コートを着ずに外出していたツケが回ったのでしょう。笑
ただの風邪だったようで、また改めて体弱い君であることを露呈させただけでした。
でも一度でも家族がコロナだなと確信した時何したらいいのかわからなくなりますね。
ちゃんと明日から買い込んで備えておかないとと感じました。
そんなヒヤヒヤした日も広重。
今回は『名所江戸百景』の「猿わか町よるの景」です。
これは何度か見たことがある絵です!
商店街のずっと奥に消失点があって、遠近法が使われていますね。
その真上に月が描かれることで消失点との高低差をより強調しています。
犬が人に混ざって商店街を歩いているのが微笑ましい光景ですね。
今回の絵には川が描かれていませんね。
久々の内陸。
ここは題名の通り猿若町。
赤丸のエリアが猿若町。
市村座跡碑と中村座跡、浅草猿若町跡の碑が赤ピンで示されていますが、ちょうど一番上の市村座跡碑の赤ピンあたりからこの絵を描いたことになります。
こんなに座が集まっていたということはこの商店街だと思っていた一本道は芝居小屋の立ち並ぶ道だったのですね。
広重の『東都三十六景』「猿わか町」です。
きっとこれは名所百景の絵の2階の内部でしょう。
浅草の五重塔が見えていますね。
向かい側の軒の市松模様の屋根と着物がマッチしているので同じ座の芸者でしょうか。
こちらが広重の『東都繁栄の図』「市村座」です。
こちらは同シリーズの「河原崎座」です。
こちらも同シリーズの「中村座」です。
『東都三十六景』の絵に見られる向かいの軒の屋根のヘリにあるマークが銀杏の柄をしているのがわかります。
ヘリにあるマークと言いましたが、これを櫓と言って幕府公認の芝居小屋であることの証であるそうです。ちなみにマークを紋と。家紋とかありましたね。
なので上の「東都繁栄の図」から考えると、中村座ではないかと私は思います。
あら、話が逸れすぎましたね。
この絵では地図の西側(右)のストリートに守田座、市村座、中村座の江戸三座が立ち並んでいます。
その対岸の東側(左)に芝居茶屋が立ち並びます。
手前から櫓の順から守田座、市村座、中村座です。
元々浜町にあった歌舞伎の界隈が、明暦の大火や風紀の面でこっちに移動してきたそうです。
江戸時代は娯楽に対して色々な規制がありましたからね、、。
このストリートを歩く人々を見てみましょう。
黒尽くめの男(笑)が白犬の見つめる先にいますが、その人の不自然さ目立ちます。以前鏑木清方の作品を扱ったときに見た御高祖頭巾を被っているそうなのですが、この絵は安政3年9月の作品で描かれているのは満月の8月15日であるという指摘があります。
そう考えるとこの着込みは不自然であるので、きっとこの黒尽くめの男は三座のうちの演者であると言います。面白い!コナンかって!笑
このストリートでは一つ羨ましいカルチャーが流れています。
道のド真ん中で逆台形の明かりを灯しながら何か作業をしている人がいますね。
その人は立ち食い寿司!酢飯が大好きすぎて大学にセブンイレブンのサーモン寿司や鯖寿司を買っていき、物足りなくてマイ醤油ボトルを持ち歩いていた程の酢飯好きなのでこんな手軽に酢飯を摂取できるのは本当に羨ましい!
早寿司の歴史が綴られています。
おそらくお酢で味付けすることで生よりも保存時間を長くできたのでしょう。
今では親指重ねて2本分くらいの酢飯の量ですが、当時はどれほどだったのでしょう。
相当大きい、、笑
これ一個でお昼十分くらいの大きさですね。まるでおにぎり。
歌川国芳の『安宅の松 縞揃女弁慶』です。
お皿に盛って、エビかな?を食べています。
歌川国安の「日本橋魚市繁榮圖」です。
このようにしっかり小屋を建てて寿司を売っていたこともあったそう。
ここは日本橋の近くの魚河岸ですね。
早寿司の絵は和楽さんの記事を参照しましたが、2020年の夏に森アーツビルで『おいしい浮世絵展』が開催されていたそう。
お近くのカフェで当時の早寿司の握りが提供されていたそうです!
いいなああ!食べてみたかった!赤酢でまた新鮮でしょう!
今日は調べていてなかなか面白かったです!
今日はここまで!
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