『かわゆらしさう』−我が子よ神の元に戻らんで−『風俗三十二相』
今日はお友達にちょっと前の誕生日をお祝いしてもらいました。
そこでなんとも面白すぎる出来事があったのです。それはお店が火鍋のお店で外国の方がやっているお店だったので、接客は海外クオリティーだし予約したのと全く違うものが出されたり、色々ツッコミどころが満載すぎてむしろまた行きたいとすら思える面白さでした。
ここで言うのは友達がせっかく用意してくれたのを考えると詳細については公で言及しませんが、久々に大笑いできるお店に行ったので逆にいい思い出になりました笑。
こんなに楽しい思いをさせてくれた友達に感謝です。
とはいえ、今日も27000歩ブーツで歩いたので足が臭いです。
そんな歩きまくって若干ぷんぷんしている今日も月岡芳年。
今回は『風俗三十二相』の第二十六「かわゆらしさう 明治十年以来 内室の風俗」です。
今シリーズ初めてのツーショットじゃない?
坊ちゃんが非常に重そうだし頭撫でたい。
お母さんは既婚ですので眉毛を剃ってお歯黒もしています。
目がニンマリして坊ちゃんを舐めまわしそうな勢いで可愛がっています。
赤ちゃんをよくみるとうなじの部分に毛の塊が伸びています。
これはゴキブリがいるとかコウモリが挟まっちゃったとかではなく、生まれて7日目で髪の毛を剃った時の残りです。
というと雑な剃り方をしたみたいな感じになりますが、風習として残したものなのです。
江戸では「権兵衛」、大阪京都では「盆の窪」と言う風習で生まれて7日目で髪の毛を全剃りするのですがうなじの部分だけ残すと言うものでした。
なぜこのような風習になったのかという経緯について書いてあるものがなかったのでわかりませんでした。
あんまりかわいいなとは思わないですが、何か意味があったのでしょう。
江戸時代は今のように今よりも貧しい家庭や人が多く、医療も出産体制も万全ではないのが実情でした。
なので子供がやっとの思いで生まれたとしても、勝負はここからといったところで7歳になるまでは安心できなかったようです。
なので「七つ前は神のうち」という言葉があるように、7歳になるまではこの世に命が定着していないものとみなされていたのです。
神のうちというのはそれほど大切に扱い特別扱いするという意味ではなく、神のもとに帰ってしまうという悲しい意味がこもっていたのですね。
7歳まで生き残っている子供はおよそ8割。
数だけ聞くと少なく感じませんが、幼稚園のひと組三十人の組の中で卒園できるのが24人。6人は卒園アルバムでも上の証明写真的な写り方をしてしまうということです。
だからある程度自分の意志で何を食べるとか、排泄するとか、体を動かすとかができる安定した7歳になるまでは人別帳という戸籍代わりのものにも登録がなされなかったようでした。
自分の子供に7歳までに死んで欲しいなんて思う親は相当な理由を抱えていない限りいないので、多くの親は3歳と5歳と7歳の節目で生きてこれたことを祝う儀式がありました。
この三つの歳が並ぶと現代でもピンとくるものがありますね。
そう、七五三ですね。
七五三の名前自体は江戸時代にはなくて、明治時代に入ってからできたものであるらしいのですが江戸時代からそのような儀式があったようです。
3歳では、言葉を理解する段階として設定されているのに重ねて髪置という儀式を行います。男女が剃っていた髪を伸ばし始める時期ということです。
3歳まで髪の毛を剃っていたことが驚き。何かあったときに頭を守る役割がないことには何も気にならなかったのか、気になります。
5歳では、知恵がついてくる歳として設定されているのに重ねて袴着という儀式を行います。5歳の男の子が初めて袴を穿く時期ということです。
5歳では女の子は特に何もしないのですね。今ではどうでしたっけ、、。
今昔の七五三の写真を母親に確認したところ、女子は特に何もしないようですね
。少なくとも私は7歳と3歳しか写真が残っていませんでした。
江戸時代以降は男の子だけになったようです。
7歳では乳歯が生え変わる歳として設定されているのに加えて帯解という儀式がありました。女の子が着物を着るときに付帯をやめて帯を締め始める儀式です。
大人が締めるようなものと同じものを使うことで大人の仲間入りをする意味を持っていたのでしょうか。
簡易的に着れるようにした紐を解くことでしっかりと大人と同じような工程を踏んで成長を祝うのですね。
絵の女性もとりあえず3歳まで生きてほしいという思いでかわいい我が子を見つめているのでっしょうね。
七五三にこんな意味があったり、室町時代からの古い歴史があったことが驚きでした。
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