「浅草川大川端宮戸川」−商売繁盛してくれれば自然に揉まれて頑張りまっせ!–『名所江戸百景』
これまでnoteのさまざまな記事を読んできて、自分の記事との違いはまさに「見やすさ」であると感じました。
目次をつけていないからね。
もっと読みやすく自分でも振り返りやすい記事を書こうと思いました。
なんてったって150本近く江戸の絵画について書いてきたら以前やったなあという小さなことがどんどん増えていくのです。
そうするとどこでこれをやたっけか?ということが多くなってきて振り返ることだけで時間を潰してしまうということを何回かやっているからです。
今日は目次をつけてみようと思います。
さあ、機械音痴の私にできるかな?流石にMacBook Airを使っているからできないと恥ずかしいぞお。
それは関係ないお。
大山詣と57年ぶりの梵天
水垢離の高札
吾妻橋と筑波山
その他絵について
なんか想像してたのと違う。。。まあいいや。
そんな小さな挑戦をする今日も広重。
今回は『名所江戸百景』の「浅草川大川端宮戸川」です。
大川というのが隅田川のちょうど両国橋の架かるあたりの別称のことを指すのでしたね。
それ以外の情報は題名からは想起することはできません。
絵には手前に御幣のたくさんついている掲げ物があります。
何かの行事の途中でしょうか。
いや、船の上でやっているのですね。画面右下にも同じような集団がいます。
左岸には茶屋か料理屋か、障子のある建物があります。
この二つの船からわかる行事感の正体は「大山詣」。
以前大山詣についてはやりましたね。
「京橋竹がし」の絵でやりましたね。その時は橋の上を渡る人数人が大山詣の講中で戻っているところでした。
(まさか自分の過去の記事を載せることが出来るなんて!)
これです。
大山詣には「梵天」と「木太刀」を持って参詣したらしい。
榊の葉が見えるように御幣を青竹に差しまくって担げるようにしたのが梵天。
仏教的な意味があるのかな?仏像の種類にありますよね。
この記事を読んだとき、57年前というと1960年ぶりにやったということは、そう遠くない過去であるなと感じました。
大山詣を見ているのが江戸時代のものばかりだからずっと過去のことのように感じますが、実際に梵天を掲げて詣ていた団体がおよそ60年前にはいたというのが不思議な感じです。
両国橋の東詰で水垢離をしてこのように川の上で参詣したそうです。
「さんげさんげ、六根罪障、おしめにはったい、金剛童子」と唱えながら胸の辺りまで浸かり、隅田川の両国橋にある石が強いてあるところで藁で作ったサシというものを流したそう。
かなり体力的にキツく、体を張った行事のように感じます。
それでも商売繁盛や勝負事への願掛けとしてやる意味はあったのでしょうね。
絵の場所を確かにする前に、絵の川のずっと奥に描かれる橋をわかっておく必要があります。
向こうの橋は吾妻橋。
地図に「ここは吾妻橋です!!!」と書かれていないのでわかりにくいですが、この橋の東に「吾妻橋東詰」とあります。
雷門から割とすぐなんですね。
題名にある大川というのが両国橋の近辺の隅田川のエリアを指すというので両国橋
あたりから吾妻橋を眺めている方向ということになります。
そうすると奥に見える山は筑波山であるといいます。
この距離感ですよ!
今じゃ絶対見れない気がする。
みようと思えば見れるかもしれないですが、こんなにはっきりとコブ二つが見られる山であることがわかるのはなかなか澄んでる!
こちら側ではなくあちら側の船の先頭に立つ人が法螺貝を吹いているのが結構衝撃的。法螺貝を吹くシーンは戦国の中で将軍がやるイメージしかないので笑。
また、絵のような大山詣では参加者には鳶職の人や魚河岸の商人が多かったそう。
多分手前の船に乗っているのが鳶職かな?
商売は繁盛してナンボですからね。
今日はここまで!
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