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高崎白衣大観音

昭和11年、高崎の実業家井上保三郎翁は、当時の混迷した思想界に1つの光明を点じ、観世音菩薩の広大な功徳をあまねく世の人たちにわかちあおうとの志から、古来から観音にふかりの深い観音山頂に、白衣大観音を建立された。高さ41.8m、重さ5985トンのコンクリート造り、胎内は9階よりなり、各階あわせて20体の仏像が安置されている。原型は伊勢崎の彫刻家森村氏に依る。

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昔の高崎駅

聖石橋の高崎駅よりに下のパネルが貼られていた。新幹線が開通する前の高崎駅らしい。

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吊り橋

観音様の裏手に森を歩いていくと、吊り橋がある。
なかなかの高さでふるえるほどだ。吊り橋効果を使うにはもってこい(笑)

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大駐車場

大駐車場からは絶景の眺めと、観音様の足跡がある。

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慈眼院

慈眼院はもともと高野山金剛峯寺の塔頭寺院のひとつで、学侶方の寺院として隆盛を誇っておりました。明治の廃仏毀釈で高野山でも寺院の統合廃寺がすすむなか、衰退しつつも慈眼院は昭和初期まで存在しておりました。高崎白衣大観音建立後、昭和16(1941)年に高野山より別格本山として高崎への移転が決まりました。
創建は、鎌倉中期、執権北条義時の三男、相州極楽寺入道重時と伝えられています。寺記によると、元禄時火災により炎上、過去帳や古文書の類はことごとく消失したといわれています。続紀風土記には、本尊の聖観世音菩薩は鎌倉坂下村の安左衛門という文人が由比ヶ浜で漁をしたときに網にかかった尊像とあります。

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