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都会と田舎の娯楽の違い

田舎は娯楽が少なく、都会は多い。

本当だろうか。

悩むのだが、いかにもそうらしい。だからこそ、よくそう耳にするのだろう。しかし、考えても見れば、たとえば田舎には絶対ない、東京にしかない、そんな娯楽はあるだろうか?

タピオカは田舎だろうと作れるし、アップルのスマホも田舎でだって買える。オシャレなファッションブランドは、車で小一時間も走ればイオンにある。カラオケやら映画やらは駅前にあるし、可愛い女の子が居るお店だって、ないことはない。有名人のライブも、案外田舎に来てくれる。博物館なんかは田舎にはなかなか無い。が、そんなものあったところで行く都会人の方が少ない。オタクのための店、も田舎にはないけれど、行く都会人の方が…(ry。

そう、大して変わらない。
大して変わらないのだ。

通販網のおかげで、もはや都会に行かなければ買えないものは無いに近い。
つまり消費という娯楽において格差は無い。
※議論をわかりやすくするため、消費≒娯楽と定義することとする。

であれば、この娯楽が無いかのようなイメージは何によってもたらされるのか。

イメージである。
都会の発展したイメージ、有象無象が集まっていて当たり前という空気感である。

街を歩けば、奇抜な格好の若者が闊歩する。
よくわからないけど何やら新しげな店がそこかしこにある。
あれが好き、と言っても浮かない空気。
ネット上の声ではなく、新しいものについて知っている人の生の声に触れる機会。

実際に自分が何かを消費するかどうかとは別に、
消費したいと思ったときに、どれだけの選択肢が周囲にあるか。そしてその消費をしたことのある人の多さ。これが、都会で娯楽が多いと感じられる要因になっている。

田舎だろうと消費自体はできるにはできても、店舗数は少ないだろうし、皆が皆クルマで移動するので、街を歩く人が少ない。だから、周囲の皆がどんな消費をしているのかを自然に感じられる機会が少ない。
人は少なく密度も低いので、あれを消費したいと思っても経験者の生の声を聞ける機会があまりない。

田舎は娯楽が少なくない、という感覚の正体は、
絶対的な消費の可能性ではなく、
消費のしやすさ、そして消費しやすいと感じられる機会の少なさである。

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