喫茶店を経営するつもりなどなかった。〈2〉
行く末を予兆していたわけではないが「辞めよう」と思い出してから読みふけった体験談があった。それが元イラストレーター西山カルロスさとしさんの記事だった。
「俺は会社を辞め、自分で仕事を始めるのだ」との立場になると急にこの記事が身につまされる、他人事ではないエピソードに思えて仕方がなかった。実際ここでの西山さんは立派だと思った。
noteに書いた他の記事の通り、私に喫茶領域の経験があったものの、この時点で私は飲食業をやろうとは露ほども考えていなかった。
むしろこれまでのITスキルを活かし効率の良いビジネスを考えていたが、ただひとつ漠然と“自分の場を持ちたい”との思いはあった。それは例えば京都の恵文社や誠光社など、一時期セゾングループが手掛けていたLOFT〜WAVEのような本来不可分である文化的カテゴリの書籍、音楽、アート、映画、食器、衣類、インテリアなどがシームレスにフロアに並ぶ空間。まあ最低限、書店にトークイベントも開催出来るカフェが併設されているような業態。(下北沢の本屋B&Bなど既にありますね)
この時点で、ロケーションは目星を付けていて、村上春樹が小説家デビューするまで経営していたジャズ喫茶「ピーターキャット」の跡地ビルの2Fフロアだった。2019年年頭には空きになっていたので、いざ抑えに行こうしたら「近所のイタリア料理店が申し込んでいる」との事で既に遅かった。
——さて、ここで話は2年前に遡る。
Facebookで中央線沿線在住者で飲む趣旨のグループがあった。そこへ初めて参加した際に、東京大学工学部建築学科卒のAと出会った。
素人レベルで昔から建築が好きだった私はこの時、世間では新国立競技場の計画見直しが話題になっており、ザハ案が気に入っていた私は納得がゆかず、周りの建築関係の知人に片っ端から見解を訊ねたが、一様に奥歯にモノが挟まったようだったり、杓子定規な言葉ばかりで、あたかも彼らに共通した不文律が感じられスッキリしておらず、「この際」とばかりにAにも訊ねてみた。
すると彼はまだ三十路手前の若さながら自身の言葉でしっかり見解を語ってくれた。実際それが「正解か否か」は別として、彼の言葉に一切軽さがなく、彼なりにしっかりと独自に出した見解であって、それは私にとっても符に落ちる、充分に納得のゆく答えだった。私はまだ彼が何者かも知らぬまま、強い敬意を抱いたのであった。
——ある日Facebook上にそのA君の高校の同級生である現代アーティストBの個展がシェアされていた。テーマ自体が何しろ興味あるものだったので、早速足を運んだ。ちょうどその日はトークイベントも設定されており、一定の満足を得られる個展であったが、それよりも著名な社会学者を招いたトークイベントで質疑に入った際、意地の悪い質問であってもまだ30才にもならないBはそのひとつひとつをしっかり受けきって、曖昧さもなくしっかり誠実に答えていた姿に感銘した。
特に知らぬ事柄に対して「あ、それは知らないです」と正直に答える姿勢が清々しく「これからの日本はこういう若者が必要になる」と感じ、トークイベント終了後に声を掛け、話をする中で簡単に言えば人物に惚れ込んでしまったのだった。同時にその個展のキュレーションを務めたÇ君とも知り合うことが出来て、この二人を招いて食事をするなど関係を深めていった。
現代アーティストと言ってもミュージシャンがそうであるように、それだけでなかなか食えてはいけない。彼らも例外ではなかった。この頃から退社の意識はあったので「彼らに何か力を貸せないか」とも考えて出していた。そんな時に映画『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』を観た。
彼女の生き方に共鳴した私はBのパトロンをやろうかと考えた。退職金の中から数百万円かを彼に託し存分にアーティスト活動に勤しんでもらおうという趣向だ。
会社を辞めた後のビジョンはこの時大まかに決まっていったと言ってよい。
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