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運命の操作は日常茶飯事

ふと、もう少し早くタロットを真剣に極めようとしていたら、noteでもやられている方が多い星読みももっと若い時に興味を持って取り組もうと考えていたら。
描きたいと思っている油絵も、あの時辞めていなければ。
もしかしたらその道の大御所になっていたかもしれない。(今となってはなんとでも言える。)
そんな思いが、(後悔とまではいかないが)頭の片隅にほんの少しよぎったりする。


先日、この暑さで一歩も外に出たくないと思った相方とわたしは映画でも観ようかとソファに腰を下ろした。
ホラーは嫌、コメディも違う、やっぱりアクションかな。
その時たまたまマット・デイモン主演の『アジャストメント』という一本を見つけた。
アジャストメント、調整。
あらかじめ決められた運命を管理する者たちが、その操作に逆らおうとする主人公(マット・デイモン)にあの手この手で邪魔=調整を計るというもの。


その調整というのがタクシーが捕まらない、コーヒーをこぼす、日程や場所が変わるなどなど。
主人公と一目惚れした彼女をどうしても引き合わせたくない運命の番人的な者たちはあの手この手で操作しまくるのだ。



でも考えてみるとこれは普段、日常的に起きているありがちなことだ。
電車の遅延、来るはずのない来訪者、こんな時に限って起こる大小のさまざまなアクシデントの数々。
きっとなんらかの神の手が入っているのだろう。それに抗うことは運命に逆らうこと。
上手くいけばよし。
ダメだったらそれは今ではないということ。
焦らない。
その時が来るまで勉強するなり、他の興味があることにのめり込んでも良い。


先の主人公はそのままいけば大統領に。
恋人も世界的に有名なバレエの振付師になる。
だが、二人が出逢ってしまったらそれは叶わない。
運命が分かった上でそれに抗うことができるか。



きっと、周囲にはたくさんの運命のプログラムが動いていて、カチッと合う時がくればそれは自然と回り出すのだ。
タロットも星読みも絵も、やりたいことはなんでも『今』というタイミングを待っていたのかもしれない。
早すぎても遅すぎても、きっと上手くいかなかったのだ。そう考えると、焦るのも比べるのも違うなぁと気づけるのだ。
この時を待っていた、そんなふうに思う時が誰にでも来るかもしれない。





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