内なる子ども

インナーチャイルド
そう呼ばれる
自分の内側にいる小さな子ども
誰しもこころの中には
いるのではないか
そう思う

わたしの中の小さな子どもは
実際にはそうではないのだけれど
膝を抱えて
足先を上げているかと思えば
つけて
揺り椅子のように揺られている
そうして時折、
膝の間に
顔を突っ伏しているのだ
何かに顔を上げても
どこかを見ているようで
何も映していない
だからなのかしらね
何も憶えていないことが多いのは

けれども不意に
頭の中に浮かぶものがあって
それが
内なる子どもだと知ったのは
Twitterで呟き始めてから
知り合ったひとりの
詩人と呼ばれる方の言葉だった

インナーチャイルド
内なる子ども

頭の中の記憶にいるのか
こころの奥の想いの中にいるのか
それはわからないけれど
たしかにいるのだと思う
いることを否定することは
わたし自身を
否定することになるのだから

内なる子どもを
抱きしめてあげられる
そんなときが来るのだろうか
泣いて
暴れて
わけわかんないことばっかり言っている
聞かん坊のわたしを
わたし自身が

今日まで 来た
やめたい、と思う日々は
数えきれない
逃げたい、と思う日々も
たくさんあった
けれど
…けれど



茎が折れても
枯れずに咲いているコスモスがある
みんなから離れていても
変わらず、咲いている
上を向いて
空をつかむようにして

内なる子どもは
顔を上げて、
こちらを向いている
それは、
今朝のこと

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