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髪を切るということ

長い間、髪を切ることが出来なかった。

その理由として
パートナーが、長い髪を好きだったということがある。
髪を切りたいのだと伝えると
大きな声をあげて嫌がった。

それでも、その声を振り切るようにして髪を切ることもあった。
怒ることはなかったけれど
見るたび、吹き出しては笑われてしまうことが
とても嫌だった。


切った髪が長く伸び始めいつもの長さに戻ると
義母から
「あんたは長い方が似合う」
と、言われ
実母にも
「短い髪は似合わない」
と、同じことを言われていた。

けれども
髪を切れなかった理由のひとつは
障害のある、次男だったのかもしれない。
抱っこをする度、髪を手に掬い取り、
口へと持っていくとニコニコと笑って口に含む。
短くした時、
あるつもりの髪に触れられず、何もない空間を手で探していた。
その悲しげな表情が、今も、目の前に浮かぶ。


そんなこと、と
思うのでしょうね。
人から見れば
大したことのない、些細なことだもの。
けれど、長い間そうして言われ続けたことは
胸のうちに積もり積もってゆくもので…
切ろうとしても、結べるくらいの長さは
いつも残すようにしていた。

50歳を過ぎた頃から
ただ長い髪はもう似合わなくなってしまい
切りたいけれど、似合わないと言われていたことが
頭から離れることはなかった。
美容院に行く度に不安は高まり
結局は肩のところで切り揃え、家に帰ってため息をつく
そんなことが続いていた。

怖かった。
おかしいと笑われることが。
怖かった。
私らしさがそこにあるということが。
そうして、
手で掬った髪の毛を口元に持っていけずに
悲しげな表情をする次男の
その様子が、ひどく悪いことをしたようで
耐えられなかった。

髪を切るということは
自分自身の人生を切るようなものだったのかもしれない。
私を縛るものから。


春の少し前の日
顎の辺りで髪を切った。
私は、
私自身を縛る言葉から切り離されたのだ

ようやく思えたような気がしている。

相手を思う言葉がある。
けれども、その言葉で
縛ることもできるのだと気がついた。

相手を思う言葉の中に
私がそうあればいいと思う言葉を
含ませてはいないだろうか?
言葉で、
動かそうとしてはいないだろうか?
まさに私自身がそうであったように。



短く切った髪の先から、風が通り始めた。
滞っていたのだ。
寒い寒いと覆い隠していた場所が、実は
ちっとも寒くなかったんだということ。
そうして、
似合っていないのだということも、なかったのだということ。

また、髪は伸びるのだろう。
けれどももう、
伸ばすことはないだろうなと
いまは思っている。

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