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自然分娩の記録

2024年1月3日、無事第一子となる長男を出産した。
忘れないうちに記録を残しておこうと思う。

2023年12月


1週間に1度の検診で自分の身体について教えてもらい、残りの6日で自分の身体の現状をあれこれ推測する日々。
何度も、「何だかいつもよりお腹が張ってきてる気がする。もうすぐ産まれますなんて言われちゃったりして」「これでもかというくらい運動してるからだいぶ進展あるだろうな」と期待しては、先生の「うーん、まだまだですね」という一言に切り捨てられてきた。
結果的に、産まれたのは予定日を1日超過した日だったが、37週くらいから、今週中には産まれる気がする、破水するかも、と毎日ヒヤヒヤしていて、39週に入るころには、何なら疲弊すらしていた。

また、母体とは不思議なもので、臨月のころは、よく夜中に目が覚めた。
産後の赤ちゃんのお世話に対応するために、3時間おきくらいに目が覚めるようにできていると言われているらしい。
その影響もあり、日中はよく昼寝した。
仕事もないというのに、運動、昼寝、助産師YouTuberの動画を見る、なるべくリラックスしようと趣味をする、ということをしていると、到底家事をする気になれず、優しい夫に甘えてただ「出産に向けてヒヤヒヤする人」を全力でこなしていた。
産休とは産むための休暇なのでそれで充分だと思うが、ヒヤヒヤする感情とは裏腹になかなか産気づかない分、どこかで後ろめたさも感じていた。

2024年1月1日(予定日1日前)

予定日1日前。というか、世間的に言うと「お正月」。
もうこのころには、年末年始の特番を見てもなかなか心ここにあらずだった。
予定日前だというのに、せっかちにも、もうこのまま不便な体形で一生を終えるのか~とぼんやり思っていたこの日、朝6時に「おしるし」があった。
おしるしとは、いわゆる出血で、お産が近づいている兆候。
昼過ぎ、仮眠をとっていると地震があり、被災地の妊婦さんは大丈夫だろうか、と思った。
もう頭は常に「妊娠」「出産」でいっぱいだ。
夜7時、再度おしるしがある。なるほど私にも例に漏れずお産があるんだな、と思った。

2024年1月2日(予定日)

日付を越えたあたりで、破水かも、と思い、初めて健診の日以外で病院へ。
結果的にはおしるしの量が増えていただけのようで、破水ではなかったのだけど、予想に反して破水であるか否かのチェックの処置が痛く、来なければよかったと思った。笑
この受診が良い刺激になったのか、深夜から朝にかけて、前駆陣痛があり、まともに眠れなかった。
朝9時にはもとから予定していた検診があり、また病院へ。
「子宮口は2cm、赤ちゃんも降りてきているので、もうすぐ入院だね」と言われ、いよいよか、と思う。
20時ごろ、湯船につかっていたら耐えられない痛みがあり、何とか布団に移動して痛みに耐えたが、少しするとケロッと治ってしまった。

2024年1月3日(出産予定日+1日/出産日)

デジャブかい、と思うが、また深夜から朝にかけて子宮の収縮がある。
もういい加減ちゃんと寝ないとお産のときに体力が尽きてしまうと思い、陣痛間隔を測るのを控えて寝ようとするが、どうにもおさまらず、朝5時ごろに測ってみると、きれいに5分間隔くらいで痛みが来ていた。
ここでもまた人間とは不思議なもので、5分ごとに非常に深い眠りがあった。
ただ、まとまって眠れていないことには変わらず、こんな生活がいつまで続くのかと参ってしまうところもあった。
様子を見つつ病院に電話したところ、予定日も過ぎているし、入院バッグを持ってきてください、と言われ、夫を起こして病院へ。
前駆陣痛だと信じていたその痛みは本陣痛だったようで、入院確定。

6時台に病院に着き、通されたのは何やらLDR室。
いわゆる、陣痛から出産、回復までを一つの部屋で過ごせるところ。
さんざん出産レポで「陣痛の合間で陣痛室から分娩室へ移動するのが大変だった」と読んでいたので、密かにガッツポーズ。
また、助産師さんに診てもらうと、「子宮口は3.5cm、ペラペラなのですぐ進みそう。赤ちゃんの頭もよく降りてきているよ」と言われ、めちゃくちゃ安心した。
今日中には産まれそうとのこと。

初めは一人で陣痛に耐えるが、陣痛間隔は5分のまま縮まらない。
呼吸で痛みは逃せるのでのんきに痛みに耐え、8時ごろに出された朝食を、陣痛の合間を縫って1時間かけて完食した。
9時台に様子を見に来てくれた助産師さんに「陣痛間隔が縮まらないんですよねー」とのんきに報告すると、えっ、と驚かれる。
その後お医者さんも診に来てくれて、子宮口も赤ちゃんの降り方もここまで順調なのに陣痛が強くならないのは、子宮が疲れているのかも、陣痛促進剤を打って進めた方がスムーズだけどどうか、と提案されて快諾する。
お医者さんが去ったあと、助産師さんが「陣痛促進剤嫌だったりする?」と再度丁寧に確認してくれて好感が持てた。
この人とならお産を乗り越えられそうだ。
特に抵抗はなかったので、「ほぼ二日間まとまって寝れてなくて~子宮疲れちゃってるんですかね~」と雑談しつつ、改めて快諾。

陣痛促進剤を入れることが決まって、「旦那さん呼んじゃっていいよ!」と言われ、夫が10時ごろ到着。
少しずつ痛みは強くなり、アクティブチェアというものに乗って陣痛に耐え、腰を夫に押してもらった。
夫の押し方がうまいし、自分も押し方について指示を出せたので、思っていたより快適。

何時だったか忘れたけど、子宮口9cmくらいになり、分娩台にいた気がする(曖昧)。
このころにはいきみ逃しをしても「ふぅーーーぅ」と声が出てしまう。
このときも他人事のように、「これがいきみ逃しをしても声が出ちゃうやつかー」と思う。
12:20ごろ、「13時になったらいきめるよ!」と言われるが、先が遠すぎてむりぃって思う。
ただ、頭の中はけっこう冷静で、都度「あっそろそろです」といきみ逃しの始まりを宣言し、助産師さんと夫にお尻や腰を押してもらい、「おさまりました」と敬語で報告していた(笑)
そして、実際には12:45ぐらいからいきませてもらえた。
このとき、いろいろな出産レポで数回いきんだら産まれたと読んでいたので、「3回くらいいきんだら産まれるのかなー」と思っていたが(笑)、何度かいきんでも「ちょっとずつ進んでるよー」と言われるだけでいっこうに産まれる実感がなく、心が折れそうになった。

「無理、休みたい」「いや、無理じゃない」「頑張ろう」「うっ、胎動いてぇ」などと陣痛の合間で独り言を言ったり、半ば気絶するように休んだりしていると、
隣の隣の部屋と思しきところから叫び声が聞こえた。
同時に誰かが陣痛に耐えているのだ。
思わず「がんばれ~~」と声が漏れた。
その後、その隣の隣の部屋から産声が聞こえた。
産まれたらしい、顔も見ぬママさん、おめでとう。

いきみの間、夫はずっと献身的に支えてくれて、「目開けるよ」「声出さないよ」と助産師さん並みのアドバイス(笑)
陣痛の合間に水も持ってきてくれて、頼もしかった。

よく「出産の痛みって不思議なもので忘れちゃうのよね」というが、このころの私も、不思議なもので、さっきのいきみの大変さを、次の陣痛のときには忘れてしまっていた。都度都度、ただその1回のいきみを頑張る感じだった。
いきみ続けて1時間くらい。
助産師さんの「進んでるよ」の言葉も信じられなくなっていたころ、何やらスタッフさんが増え、部屋が明るくなり、慌ただしい雰囲気に。
それまで、指示を受けながら1回の陣痛で2~3回いきんでいたところ、「もう1回いこう」と4回目を指示され、あ、これ産まれるんだろうな、と思って何とか力を振り絞ったところ、
お医者さんがお腹を押してくれたこともあり、13時46分、本当に、子が出てきた。
最後には身体の中に強いキックがあったように感じていて、あぁ、妊娠中何度も私のお腹を蹴ったあの子だ、と思った。

産声を聴き、胸元に子がきても、初めは放心状態で、次のいきみを待つときのように、気絶するように休んでいた。
が、次の陣痛は来ず、慌ただしく数人のスタッフさんによって、血圧を測られたり、声をかけられたり、お医者さんにお股の処置をしてもらったり、夫に写真を撮ってもらったりして、あぁ、、、産まれたんだ、、、と実感。
出産中は幽体離脱しているかのようにどこかに冷静な自分がいたが、このころから、やっと身体にどっと疲れと眠気を感じ、夫との会話もふにゃふにゃ。

その後、産後の経過も問題なかったので、入院部屋に移動。
移動の間に、担当してくれた助産師さんと軽くお産を振り返り、「痛みに強いほうだね」と言われた。
ただ、自分ではただ「痛みに強い」訳ではないのかな、と思っている。
助産師YouTuberの動画を見たり、出産レポを読んだりして、出産について知識を身に着け、イメージを持っていたことが、結果として落ち着いたお産につながったのかな、と思う。
しんどくてたまらなかったあのソワソワ感と、そこから来た自分の行動が、結果的には、出産の際に自分の力になったのかもしれない。

お産の振り返り

よく、お産で大変だったこととして、上位に上がるように思うのは、「いきみ逃し」だが、私の場合、子宮口の柔らかさや、促進剤のおかげもあり、そこまでいきみのがしの時間が長くなく、スムーズに進んだように思う。
そんな私の、自然分娩での大変だったこと第1位は、「いつ産まれるかわからないソワソワ感」。
案ずるより産むが安しという言葉があるが、案じている日が多すぎて、いろいろ消耗してしまった。
第2位は、前駆陣痛により2日間まともに眠れなかったこと。
今思い出しても、もう少し眠れていたらどうだっただろう、と思う。
第3位は、特にないかなぁ。産後の後陣痛や傷口の痛み、慣れない育児などは人並みに大変だったけど、産後は、産まれたという達成感がただひたすらに大きかった。
よく陣痛は「ダンプカーに腰を轢かれるような痛み」とか「鼻からスイカ」とかいろいろ言われるけど、私にとってはシンプルに子宮収縮の痛みだった。
陣痛のエネルギーをいきみに活かしてからは、そんなに痛いものという感じではなかった。

お産について考えること

冷静に産めたという話をすると、「安産だったんだね、よかったね、○○さんなんてお産のときこんなに大変だったらしい」みたいな話を返されることがあるけど、
あらゆる方法でのお産に関して共通して言えることは、
どんなお産になるか、その道のりはもう誰にも分からないということ。
破水や本陣痛があると、もう後戻りはできない。
安産も難産も、「結果的にはこんなお産だった」というだけだ。
よくお産はフルマラソンや登山や交通事故などに例えられるが、どれくらいの距離で、速さで、どのような道のりなのか、誰にもわからないところが、お産の独特なところだと思う。
私の場合想定より「いきみ」のフェーズが長く、後でわかったことは、推定体重よりも子の体重は重かったし、へその緒が首に巻き付いていてすんなり出てこられなかったらしい。

改めて、帝王切開や無痛分娩なども含めて、どのお産も大仕事で、命懸けだ。
私は、思ったよりは冷静なお産だったが、あくまでお産中のハイ状態がそうさせていたので、
今振り返ると、軽々しく「もう一度産もうかな」とは思えない。
が、産まれてきた子の尊さはやはり想像を絶していて、妊娠中は理解できなかった「出産を経験させてくれてありがとう」「母にしてくれてありがとう」という感情が今ならわかる。
1か月遅れてしまったけど、わが子、ハッピーバースデー。

話はやや逸れるけど、妊娠し、出産し、その後の夜間授乳を経験すると、1人の子どもをある程度育てるまでの過程で、ジェンダーではない身体的な性差の存在を強く実感する。
男女の社会進出における平等って、やっぱり少し限界があるような。
というか、産む能力のある人とない人とを、無理に同じものとして捉えるのが正しいのか、何が正解なのか、わからなくなってきています。

とりとめもない終わり方ですが、こんなに長い文章を読んでくれた方へ、ありがとうございます。
もし読んでくれている人の中に妊婦さんがいたら、全力でエールを送ります。

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