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2022/03/24 池田修さんのこと。

昨夕、2022/03/23にBankART1929の公式発表があった。メールが届いて、公式サイトに亡くなったことが書かれていた。実際はその1週間まえに小脳出血で亡くなっていたようだ。とりいそぎFacebookに投稿した。

BankART1929から池田修さんの訃報が届いた。MCT初回の1990年の参加アーティスト(PHスタジオ)のリーダーでもあった。80年代からのつきあいです。最後に会ったときは、そのすこしまえに体調を崩したことも良き担当医を得て回復し、あいかわらずのあの雰囲気だったので、安心していたところでした。

http://www.bankart1929.com/bank2022/news/22_003.html

<BankART1929の今後は、BankART1929共同創設者のひとりであり現副理事長である細淵太麻紀が代表代行となり、現活動を引き継いで運営>
<北川フラム、川俣正、吉本光宏、秋元康幸が発起人となり、新体制のBankART1929の活動を支援するための機構を組織していく意向>

池田さん、ちょっと早いんじゃないの。寂しいです。
細淵さん、たいへんでしょう。福岡から応援しています。
(2022/03/23 Facebook投稿)

わたしが池田さんに最後に会ったのは、たぶん去年11月14日、お芝居を見に横浜に飛んだとき、劇場へ行くまえに寄った「BankART Station」での展覧会だろう。池田さんはたまたま受付に居て、チケットは持っているの?と案じてくれた。例によってこちらのあまり話は聞いてなくて、ひとりでダダダと話をして、中を見てよ、あ、こちらが新人だから、よろしくね、と。それが最後の会話だったのかな。

「グレートリセット・スモールリブート ~その後をつくる創造力」
【主催】一般社団法人クリエイティブクラスター
【本展キュレーター】岡田智博
http://reboot2021.creativecluster.jp/
出展作家:岡田裕子、チームラボ、韓亜由美、キュンチョメ、アメEXCALIBUR、galcid、Jason Scuderi (lasergun factory)、Minoru Fujimoto、nuuo、marimosphere(浅田真理)、Whatever Inc. 、佐野文彦、後藤映則
【会期】 2021年10月29日(金)~ 11月14日(日)
【会場】BankART Station

そのすこしまえに体調を崩して入院し、けっこうたいへんな治療を受けていたのは聞いていた。治療のことで詳しく話をしたこともあるけれど、担当医に対してもそうとう言いたいことを言っているようだった。わりとたいへんな持病になるから、くれぐれも気をつけてほしいと伝えたつもりだったが、そのときも、もう山は越えたから、それなりに気をつけるから大丈夫、と躱していた。

わたしが池田さんに最初に会ったのは、たぶん1980年代後半で、おたがい20代だったころ。川俣正さんの手伝いをしているPHスタジオのメンバーとして紹介されたのだろう。川俣さんはちょくちょく福岡に来て、IAF芸術研究室(現 IAF Shop*)でシルクスクリーン版画をつくったりしていた。池田さんはその当時からガタイは大きくて、でも話はとても細かかった。当時わたしは理系の学生だったが、それをすごく面白がってくれたのを覚えている。その感覚は最後に会ったときまで変わらなかった。兄妹の関係みたいに接してくれていた気がする。

2004年に横浜でBankARTをスタートさせて、そこでいいことも悪いことも、いろんなことがあったのだろうと思うけど、わたしの中ではあまり印象が変わらない。だから、大病をしたときに、それをきっかけに、もう少し仕事のやりかたを変えたら…と思ったりもするけど、やっぱり止まらなかったのかもしれない。

この写真は「ミュージアムシティ天神」(1990年。初年度表記はナカグロなし)のときイムズの屋上で展示した、PHスタジオの作品。いろんな椅子を素材にしたインスタレーション。この作品制作以外に彼らは、数十ヶ所もある各展示箇所の助っ人や掃除をおこなってくれた。初年度でスタッフの配置がスムーズでなかったときに、影で一所懸命に動いてくれた。この話はほかでは出てこないだろうから、ここで書いておく。

あ、池田さんには、文句を言わないといけないこともある。2012年ごろだか「朝鮮通信使」のプロジェクト関連で対馬か釜山に行く途中、福岡に立ち寄ってくれたことがあった。そのときに「朝鮮通信使は福岡に寄っていないから、このプロジェクトには福岡は入れない」って言われたのだった。わたしは随分とこれを根に持っていて、すでに WATAGATA Arts Network (福岡と釜山のアーティスト交流プロジェクト)をスタートさせていた時期だったし、いずれ必ず福岡も連携させてやる、と心に誓った。まだ果たせてないけど、忘れてないからね、池田さん。ちなみに実際の朝鮮通信使は、九州本土には上陸せず、福岡藩(黒田藩)が相島に受け入れ施設をそのたびに建造し、もてなしていた。通信使が立ち去ったあとには壊して、秘密を守っていたようである。

WATAGATA Arts Network
https://watagatainfo.wordpress.com/
福岡県新宮町  ホーム > その他 > 新宮町の観光 > 相島 > 相島−朝鮮通信使
https://www.town.shingu.fukuoka.jp/index.cfm/59,1068,177,113,html

たぶんそのとき(2012年ごろ)池田さんが福岡大名に昼過ぎの15時くらいに来たとき、どっか飲めるとこない?って言ったので、「一膳めし 青木堂」さんに連れて行った。焼酎のお湯割りと、オカズを棚から取るシステムがお気に召したようで、上機嫌だったなあ。

池田さんの魂は、いまごろまだ横浜界隈にいて、あれをやってないこれをやってないって駆けずり回っている気がする。ときどきは対馬海峡にも来ているかもなあ。もう身体は現世にはないんだから、そんなに急がないで大丈夫ですよ。釜山の友人たちとも、こんど、話をしますから。

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