僕とパニック障害

「パニック障害」というワードにはどんなイメージがありますか?ニュースでアイドルが「パニック障害」のため活動休止の報道をみたり、精神的な問題で大変そうだなと思ったり、そういった特別でネガティブなイメージでしょうか。私にとって「パニック障害」は日常。君が朝起きてご飯を食べる、学校で授業を受ける、トイレにいく、アルバイトをする、帰ってきて風呂に入る、などと同じようなこと。と言っても、体験したことのない人には全く分からない感覚だと思っています。ですから、ここで私が経験してきたパニック障害とその見解について、綴ってみようと思います。この文章が何になるのか私には分からない。けれど、読んだ後に何かしらの新しい気づきを得るきっかけになれたら、という思いです。肩の力を抜いて読んでもらえたら嬉しいです。

まず、私のパニック障害について。本当はこんなこと書きたくない!というくらいに私はパニック障害が大っ嫌い。日常にもなると感覚が麻痺してきて「これがあってこその私」という感覚にもなるのです。だけど私はパニック障害が大っ嫌い。これだけは最初に伝えておきたいこと。
初めてパニック発作が起きたのはたぶん小学生とかだったと思う。算数が得意で好きだった。算数のテストが始まると、ただただ苦しくて息を吸っているのか吐いているのかすら分からない。そういう感覚に襲われたのを鮮明に記憶している。なぜパニック発作を発症したのか。いまになって振り返ってみると、皿が飛び交ったり、「殺す」「産まなければ良かった」などの罵声が響いたりと、良いとは言えない家庭環境だったこと。学校では食育という名の教員によるイジメがあったこと。もともと食が細かった私は食育に厳しい隣の担任に目をつけられ、給食の時間だけ隣のクラスへ移動させられた。見世物のように隣のクラスメイトの前で毎日怒鳴られた。残したいという旨を伝えると「今日の◯◯ちゃんの残飯はこんな感じでーす」と言われながら写真を撮られた。いま考えると食育の域を超えている。それが約2年間続いた。親戚はいないし、母子家庭だったので、助けを求めて良い大人がひとりもいなかった。小さな身体には大きすぎるものを背負っていた。ショックでその頃の記憶がほとんど無い。小学校を卒業しても私の本当の戦いはこれからで、次第に会食恐怖症になり、人前で食事を取れなくなった。首元がずっと絞められているように苦しく、何かがつっかえているような感覚と、全身の震えと汗が止まらない。自分の中に何かが寄生しているみたいで、思うように身体が動かなくなる。食事だけではなく生活にも侵食してきた。それはどこまでも私を追いかけてきた。電車の中、教室、習い事の時間、自分の部屋でも。ただ、その時には今わたしの身体に起きているこれが何なのか、病気なのかすらわからなかった。やっと打ち明けられたのは高校2年生くらいの頃だった。母親に心療内科へ連れて行かれ、そこで「不安障害」だと診断された。病名が付いても、薬をもらっても、なにも変わらなかった。薬の副作用でほとんど眠り込んでしまうし、どこにも行けない、皆は受験に向かって勉強しているのに、私は教室にすら入れない。スタートラインすら違う自分がいた。そんな自分が死ぬほど嫌いだった。高校生の時、友達と映画館へ行ったら席に着いた瞬間から逃げ出せない恐怖に襲われ、過呼吸を起こした。映画開始20分ほどで居られなくなり、震えが止まらず腰は抜け、転げるように外へ出た。友達は心配してくれたし、優しい言葉をかけてくれたけど、私は私のこれが本当に許せなかった。当たり前のことが当たり前に出来ない。みんなみたいに過ごせない。はやく全てから逃げ切りたい、終わらせたい、死んでしまいたい。生きている価値なんてないと毎日思っていた。

書いていて具合が悪くなってきた。こんな文章、本当に何になるんだ。本当はこんなこと書きたくないし、誰にも知られたくない。隠していたい。だけど今、今じゃなきゃダメだと思った。今、消化しないといつかまた芽が生えてくると、そう直感している。だから書く。書くし、見せる。読んで欲しい人がいる。

とりあえず、ここまでどうでしょうか。
パニック障害の解像度はあがりましたか。
ここから今の私とパニック障害について綴ります。

結論から言うと、症状がほとんど無い状態が2年間くらい続いている。それはパニック発作が起きる傾向と、パニック発作とはそもそもなんなのか、を見つめてきたからだ。これまでの私は苦しくなった時にパニック発作だと認識できていなかった。今は「ただのパニック発作、いつか終わる、かならず終わりが来る」と唱えることができる。私達はいつだって得体の知れない真っ黒なものに立ち向かうなんてことは不可能に近くて、だから今わたしに起きていることを見つめてあげる。怖いけれど、じっくりみてみたら色や形が認識できるようになる。するとスっと消えていく。それの繰り返しをしているだけ。いつ終わりが来るのかまだ分からない。未だに電車は怖いし、上手くご飯を食べられなくて体重が減ってしまうことだってまだ、全然ある。
いつかの日、母親が「人間だれだって障害をもってるんだよ」と言ってきたことがある。ぶっちゃけ、そんな言葉で分かった気になりたくない程、私はその「障害」に苦しめられてきた。だけれど本当にそうなのかもしれない。気がついていないだけで、みんな何かある。だからこれを読んでいる人が今ひとりで抱えている自分自身の中で起こっている怖いものがあったら、仲間がいるということだけは伝えたい。

僕たちはいつだってこれと生きていかなければならないのだと思う。だけど信じて、嘘でもいいから「いつか必ず終わりがくる」と唱える。

いま私には映画館で体感したい映画がある。
ずっと避けてきた映画館。
週末に行ってみようかな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?