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15年分のありがとう。

今、新幹線の中にいます。
わたしの実家は北海道なので帰省はいつも飛行機。この時期に新幹線に乗るのはなんだか不思議な気分です。

一部の方にはお話ししていましたが、年始から異動になり、新しい勤務地は東京になります。気持ちが新鮮なうちに、ありがとうの気持ちを込めて。長文になるかもしれませんが、最後までお読みいただけると嬉しいです。

伊丹行きと関空行きのフライトに分かれて引っ越してきた15年前

わたしが関西に来たのは高校を卒業した18歳の3月。今でも覚えているのが、引っ越しを手伝ってくれるために一緒に来てくれた母と同じ飛行機が取れなくて、伊丹と関西それぞれに着くフライト。今でこそ、わたしの方が土地勘もついて詳しくなったけど、一人で京都の北にある松ヶ崎という駅の不動産屋さんまで行くのがとんでもなく不安だったなぁ…。

はじめての一人暮らしだったキャンパスライフは、それはもう最高に楽しかった!!!
夜中にコンビニで夜食買い漁っても怒られないし笑、授業サボった時もあったし、近所にあったマクドでテスト前にみんなで焦って勉強したり…。
沢山飲み会もしたし、コンパにも行った笑京都の街は、あの頃の思い出が今でも沢山詰まっていて、大阪生活を経て3年前に戻って来れて本当によかった。

働く楽しさも厳しさも沢山教わった前職時代

何か秀でた才能があるわけでもなく、リーマンショックにも重なり、がむしゃらに就職活動した上で手に入れた前職の内定。
「商社OL」「採用担当」という、言葉だけ見るとキラキラに見える仕事につけたものの、入社数年は悔しい思いや、辛い思い、泣いた記憶もたくさん。
自分の幼さにほとほと呆れ続ける毎日だったけど、今のわたしはあの時に培った土台の力だと本当に思う。あの時のわたし、諦めずに良く耐え抜いた。偉い。

そう言えば、人事時代(多分5年目くらい?笑笑)の写真が携帯に残っていたので、ネタにどうぞ笑↓

仕事以外でもたくさんの友達に恵まれて楽しすぎた大阪時代

徐々に学生時代の友達でも、定期的に会う友達が固定化せれていき、新しい友達って自ら動かないとなかなかできないなぁ…と思っていたときに出会った、#ちゅうもえサロン 
そこから派生する出会いが本当に素敵な人たちばかりで、関西に親友と呼べる友人が沢山出来たのは、わたしの一つの大きな財産でもあります。みんなと気軽に会えなくなるのは本当に寂しいけど、このコロナ禍でなかなか会えない一年を過ごし、その経験の中で会えなくても友情が色褪せないと改めて分かったとき、今回のチャレンジをする心が決まりました。
それに、実家がなくても友達が沢山いるから、帰ってくる理由になるし、そんな場所が生まれ故郷以外にあるって悪くない。
だから、コロナがおさまったら頻繁に帰ってきます。大事なことだからもう一回いうね?笑
頻繁に帰ってきます!遊んでね❤︎

なぜ「今」なのか。

今回、自ら手を挙げて社内公募に応募しました。今の会社に入社して約一年半。
正直、早いと思います。いろんな方に言われました。「なんでコロナで大変なときにわざわざ自ら東京?」と。

なぜ、「今」なのかと聞かれたら、
答えはとてもシンプルで、
「東京に行ってある程度やれる下準備が整った。のと、自分の人生を考えたら今がベストチャンスだと思ったから」です。
正直、コロナの影響はいつ収束するか先が見えないし、その見えない中でもがき続ける時間がもったいなくて、えいやっ!で動くことにしました。
お世話になった方の一人に、
「世の中は大変な状況だけど、そういう時こそ他人と違うことをしないとね」と、言葉をかけていただき、「そう。ほんとそう。」って心の中でめちゃめちゃ頷きました。
思い立った時が動く時。

やっと意味が理解できたメンターの言葉

もう、何度も話していることなので、耳タコの方もいるかもですが、わたしには師と仰ぐメンターがいます。新卒時代からわたしのことを育ててくれた元上司です。

新卒時代、苦しかったり沢山泣いたのは他の誰でもないこの方の指導が厳しかったからなのですが笑、根性なしの小娘を育ててくれたわたしの恩師です。

その方に、25.6?くらいの時からかな。
もっと前かな?ずっと言われていたことが、

①外の世界を知ること(前職は専門的な領域の商社だったので、ある意味外の世界を知らなくともそこそこの成果は残せた)
②プロフィットセンターで働く経験を持つこと(お客様から売り上げを頂戴する大変さやその尊さを経験することの大切さを学ぶこと)
③東京というマーケットで働く経験を社会人生活の中で一度は持つこと

でした。当時のわたしは、転職する気もないし、(うるさいなぁ…もぅ。機嫌良く働いてるんだからいいやん。)くらいに思っていましたが笑、今となってはこの言葉の意味がとてもよく理解できるようになりました。

(…本人読んでるかな。笑 うるさいとか書いてごめんなさい。でも、めっちゃ感謝してますよ!!笑)

でも、うるさいと思いつつその反面で思うのは、そこにチャレンジすることが怖くて不安で、その怖さや不安に向き合うことから避けていたし、その怖さや不安を買ってでもチャレンジしたいと思える仕事に出会えていなかったんです。

①のきっかけは結局自分では作れなかったし、達成率も0.5。

こう見えて、結構慎重で、いろんなことを計算してリスクが少しでも少ない方を選ぶタイプなんです。普段態度でかいけど笑

そんなわたしが自ら安定している居心地の良い場所を離れるはずもなく、それなりに仕事も自分でできるようになって、後輩を持ち始めた3年前の冬、いきなり①を経験することに。
グループ会社への出向でした。

本当に本当にこの機会には感謝しています。
まずは、自組織以外でやれるという自信がついたこと。これがなによりも大きい。グループ会社といえど、社内にいる受入出向者は一人だけ。前日はほぼ一睡も出来なかったけど、1週間も経てばその不安は消えたし、メーカーでの経験はきっと自分では選ぶことをしなかったと思うので、機会を与えてくれた会社に本当に感謝してもしきれない。でも、社外ではあるけどグループ内だったので、達成率としては0.5くらいかな。

②をクリアできた、はじめての転職。

出向してから1年が過ぎた頃、なんか気持ちの中で梯子が外れた瞬間があったんです。
「この仕事好きだけど、景色変えたい」って。
そして、二社で人事を経験していろんな職種の人を採用してきたからこそ、今なら外に出れるかとって思ったのが31歳の春。
これもメンターに言われ続けていた、「28歳から32歳の過ごし方で、将来人に使われるだけで終わる職業人人生か、人の上に立つ職業人人生を送れるかが変わる」と、言われてた32歳のギリギリで、今の会社に転職しました。
そして、はじめての数字をもつプロフィットセンターの職種。人材紹介のコンサルタントという自分の経験を最大限に活用できる仕事だったからこそ、チャレンジができたとかと思います。

③を達成するために今回のチャレンジ。

そして、最後の東京の市場を経験することが今回のチャレンジです。
言ってしまえば、②の時に東京を選ぶ可能性もあったのですが、その辺りは慎重なので、新しい会社・新しい職種だけでも手一杯なのに、主戦場にいきなり飛び込んだら、F1レースに三輪車で参戦するようなものだと思い、自分の中でステップを踏んでチャレンジすることにしました。
約一年、今の会社でデジタル化に関するコンサルタントをやっていたので、その領域にさらに特化すべく新しい部署に異動します。今の気持ちは、ワクワクの方が大きい。
多分、失敗の仕方を覚えたのが大きいと思います。そして、そこからどうリカバーすればいいかとか、自分の気持ちをどう取り戻すかも。

最近になって大概のことは、「なんとかなる」って思えるし、実際なんとでもなる。
それは、年齢を重ねてきたからかもしれないし、一年くらいは仕事なくても食べるに困らなくなったからかもしれないけど、心に余裕があきらかに出てきたんですよね。
だから、やってみよってふと思えました。

行ってみてダメだったらまたその時に考えればいい!!

とはいえ、頻繁に帰ってきます。

今回は、12月に入ってからの内示というのと、コロナの影響で全然会いたい人たちに満足に会えずに京都を離れることに。
もっと送別会で浴びるほどたくさんお酒飲みたかった…笑
なので、必ず帰ってきます。頻繁に帰ってきます。
なので、関西にいる15年でお世話になった皆様、出会ってくれた大切なお友達にまた近いうちに会えると信じて東京に向かいます!(住むの神奈川だけども笑)

そして、東京にもたくさんの友人がいるので、みんなと自由に会える日が少しでも早くくるように願いながら、行きたいところリストを更新してその時を待とうと思います。

なにやら、先日から「風の時代」に入ったそうですね。200年に一度?で、見えないものに価値が移行していくとかなんとか…。
ブレイクスルーするのに適してるとか言われているので、2021年気持ち新たに新天地で暴れたいと思います。

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