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生い立ち⑤

途中から、順風満帆だった小学生時代が終わり、女子特有の人間関係に、転びまくった中学時代が始まります。母との溝が、加速度的に深く、幅広くなっていくのもこの時からです。中学からは実家で過ごす事の方が多くなっていたので、当然といえば当然かもしれません。

表向きに、私がマタオの家にいるのを、心配し淋しく思ってる優しいお母さん、という事に母はなっていました。実際に帰宅しても邪険に扱われるので、居場所などないのですが。帰ってあげてって言う担任や教育関連の人、マタオの事を変質者の様に言いたがる人が沢山いて、彼らに、正義の如く上から振舞われるのが嫌でした。マタオは虚弱体質で(嘘)、奥さんに先立たれて1人(本当)って事にして、常時の帰宅を拒否していたのですが、子供に家事をさせるな等と余計にマタオが悪者にされるだけなんですね。だから観念して多めに家に寄り付くようにしたのです。その私を、彼らは自分たちの指導で正しい道を歩み出したと褒めてくれました。目を覚まして頂いてありがとうございました。って最大限の皮肉を送るのが、当時の私にできた最大限の反抗でした。まぁでも、本当に目は覚めましたね。反抗しても無駄な相手もいると。

母は、私の自由を極端に制限する人でした。弟は何でも買ってもらえて自由に友達と遊べる一方、私は母によって全面的に何事も禁止されていました。塾と母が推奨する以外の習い事は勝手にやめさせられ、友達と遊ぶこともほぼ許してもらえませんでした。べつで書こうと思ってますが、、ピアノを勝手に辞めさせられた事はつらい思い出になっています。逆らって自分の意思を通して、友達と遊んだ日には、帰宅しても早朝まで家に入れなかったですし、大事な物なんかが壊されたりもしてましたね。その一方で、近所に対しては、「外の空気が吸いたいって言って、家に帰って来てくれない」って事前にいってあるんですね。何事に関してもいちいち保身はされてるんですよ。

中学生って男子は相変わらず小学生の延長なんですが、女子って大人の入り口位なんですよね。何が言いたいかというと、女子中学生ともなると、自分が誰かを傷つける行為をする為に、周囲から自分を悪く思われない小細工くらい出来るようになっているという事です。そういう人達に、母と同じ面を見て、露骨に嫌悪を覚えました。私はあんたらと同じになりたくないという態度で接していたため、1部の同級生と先輩、先生とずっと仲良くなれない中学生活でした。いや・・・態度にというか、口に出して言ってましたわ。

母に言い返せない分、同級生にきつく当たりすぎている自分も、同じ穴のむじなって奴ですよね。その事に気付きもしないでいきがってた自分が、本当に恥ずかしくて、思い出すとうわああああああああってなります(笑)