私の気づき 兵庫教区学生会 橋尾彩加


はじめに

第59期兵庫教区学生会委員長の橋尾彩加です。
このおはなしバトンを書くにあたって、まず前提として物事には様々な捉え方があり、自分が世界の中心だとは思っていないことをお伝えさせてください。そのうえで、今回はすべてを自分への出来事と捉え、自分目線でお話させていただきます。あたたかい目でお読みいただけると嬉しいです。

学修がはじまる

3月4日から8日までの5日間、学生生徒修養会大学生の部に参加させていただきました。
この頃、度重なるふしに直面していた私は、「落ち込む出来事が続くのは、自分の何かが間違っているから。正解を見つけたときには、神様からの合格(自分の悩みに関する明るい出来事)をもらえるはずだ。」と思っていました。
そのため、なかなか合格をもらえない自分が苦しく、「この学修で正解を見つけよう、合格でなくてもヒントはもらえるだろう。」と学修への期待を胸に当日を迎えました。

初日、同じ班として出会ったメンバーは、「個性」という言葉では表せないほど全員が素敵でとにかく楽しく、「自分の信仰について全力で考えられるのだろうか」と楽しさに加えて不安を抱きました。
しかし二日目には不思議と自分の悩みを赤裸々に話すことができ、班の仲間の温かさや居心地の良さを感じました。また班の1人、Aさんが自身の身上を打ち明けてくれました。普段とても明るくムードメーカーな彼女は、自分でコントロールできない症状に苦しんでおり、私にできるのは隣で一緒にその場を楽しむ程度でした。

裏切られた期待

3日目の朝、私の抱えていたふしに関するつらい連絡が届きました。「学修で合格かヒントがもらえるだろう」という明るい期待が裏切られ、「なんて神様は厳しいんだろう」と涙が止まりませんでした。その日、講話を聞いたり話し合いをする中で、「今は分からなくても、必ず意味がある。」「悩んだり考えたりする時間に意味がある。」という言葉を聞きました。「神様は今、私に一問一答ではなく思考問題を出しているのだ」と自分なりに解釈し、いくらか気持ちが軽くなりました。ただ、すぐに合格がもらえるものではないと分かっても、「やっぱりヒントが欲しい」と思いながらその日を終えました。

早朝5時半の気づき

4日目の早朝、身支度をしているとき、ふと御本部でお守りの赤衣を頂いたときに聞いた言葉を思い出しました。
「自分のことはどうなってでも人にたすかってもらいたい、という思いでおたすけをしなさい。そんなあなたをこの赤衣が必ず守ってくださる」
本来の言葉とはきっと誤差がありますが、3日目の講話で聞いた
「親神様に喜んでいただけるのは陽気ぐらしをすること。陽気ぐらしをするためには目の前の人をたすけること。」
という言葉とつながりました。
私はずっと「自分の身に起こることとどう向き合うか、どう頑張るか」を考え、自分の手で解決しようとしていとことに気づき、「今日は自分の悩みは置いといて人のためになにかしよう」と決心しました。

朝づとめ参拝後のおさづけ

4日目は教祖殿でのおてふりまなびまで参加した後、カウンセラーから「身上に悩むAさんにおさづけをさせてもらおう」という話があり、ついさっき「人のために何かしたい」と思っていた私は真っ先に手を挙げました。久しぶりのおさづけにドキドキしながら二度手を合わせたとたん、様々な思いと感動で涙があふれました。
Aさんに少しでもたすかってほしいという願い。ついさっき決意したことをこんなに早く実践させてもらえること。そして、今取り次いでいる自分のなかにおやさまがいてくださること。
「人救けたら我が身救かる」という言葉は、こうしておさづけを取り次ぐことで自分がおやさまをそばに感じられることかもしれない。「おたすけ」というけど、実はたすかっているのは自分の方かもしれない。Aさんは、私のこの気づきのためにしんどい思いをしてくれているのかもしれない。

おさづけを取り次いでいる方が号泣している、よくわからない状況ながらも、班の仲間たちは一緒にお願いし、そっとしておいてくれました。


この日のプログラム「班内感話」で、昨夜書いていた原稿に加えて今朝の一連の出来事と気づきを打ち明けました。一緒に涙を流しながら聞いてくれる班の仲間の姿に、信仰を見つめなおせるか心配した初日を恥ずかしく思い、また他人の出来事や悩みを一緒に受け止めてくれる人に囲まれていたことに気づきました。
学修に参加した意味を実感し、親神様から期待していた合格ではなくても、大きな花丸をもらったような気がしました。

学修が終わる

4日目の夜遅く、抱えていたふしに関する新たな連絡が届きました。迎えた学修最終日はハッピーエンドといえるものではありませんでした。
悲しみややるせなさは今も大きく絶えませんが、それでもその中に、親心や御守護を感じることもできています。自分が「たすけたい」「力になりたい」と思える人がいてくれるから、私は大丈夫でいられます。
学修を経て、楽しみ、喜び、悲しみ、苦しみ、たくさんの感情を全力で感じ、考えました。親神様の親心を感じ、お道のあたたかさを知り、人をたすけたいと心から思えました。
この学修で学んだこと、学修期間中に経験したことを忘れることなく、自分にしかできない人だすけをしていきたいです。

おわりに

この度、このおはなしバトンという機会を頂いて、自分自身の信仰を見つめなおすことができました。これまで「自分は信仰をつかんでいる」と思い込んでいましたが、いざ書こうとしたときに、自分は全然お道の教えを理解していなかったと気づきました。学修で信仰を見つめなおしたいから期限を延ばしてほしい、という無理なお願いを聞き入れていただいたこと、とても感謝しています。
学修同じ班の皆、泣いたり笑ったり忙しい私をそっとしてくれて、ずっとそばにいてくれてありがとう。お道に対して疑問を持ったり、考えたり、喜んだり、みんながそれぞれに全力で向き合っていて、こんなに素敵な人たちと出会えてとってもしあわせです。
私の周りにいてくれる皆さん、これからも、一緒にいろんなことと向き合って、悩んで考えて、一緒に頑張りましょう。あたたかいお道の教えがそばにあればきっと大丈夫です。
まとまりのない長文ですが、私の気づきを読んでいただいてありがとうございました。

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