兄が導いてくれたお道の世界 御薗分教会 大上瑞貴

はじめに

 私は三重県伊勢市にある天理教の教会に生まれました。7つ上の姉と4つ上の兄と3人兄弟です。小さい頃から月次祭は太鼓の音を聞きながら寝る、朝夕のおつとめはほとんどしたことはないなど、特に強制されることなく自由に過ごしてきました。

嘘のような節

 そんな私に人生で1番と言っていいであろう“節“が訪れます。それは4つ上の兄が19歳という若さで出直すという、当時15歳で中学3年生の私にはあまりにも惨く、到底受け入れることができない、嘘のような“節“でした。兄との思い出のほとんどは喧嘩と言っていいほど仲の悪い兄弟でしたが、失ってからその存在の大きさに気づきました。当時の私にあったのは「なんで兄の命がなくなってしまったんや」という不足のような感情でした。

人生の宝物「学生会との出会い」

 その後地元の高校、そして大阪の大学に進学しました。そこで学生会に出会います。私にとって大阪教区の学生会で過ごした3年間は、その後の人生を大きく変えてくれた宝物のような時間です。たくさんのお道の仲間と出会い、先生方のお道のお話を聴かせていただくうちに、教会に生まれながらもほとんど関わることがなかった天理教が大好きになりました。また、高校2、3年生と大学4年間の学修でもたくさんの仲間ができ、ますますお道の教えを求めるようにもなりました。「お引き寄せ」「成ってくるのが天の理」「節から芽が出る」学生時代に私が特に感銘を受けた言葉です。

節から芽が出る

 学生会や学修での出会い、仲間との「お引き寄せ」が、私に天理教の教えを与えてくれました。そのおかげで兄が亡くなったことも「天の理」なのだと、初めて前向きに受け止めることができました。そして、この大きな「節」から自分が「芽」になれれば良いなと考えられるようになり、それはこれからの私の通り方の目標(=教会長としておたすけに使っていただける人材になること)にもなっています。

教え子に伝えてること

 兄の出直しから15年が経ちました。大学卒業後の幹事の御用を終え、今私は地元に戻って中学校の教員をしています。卒業式を目前に控えた3年生の最後の授業で、私は必ず兄の話をします。人はいつ事故に遭ったり、病気になったりして命を失うかわからない。だから今生きていることは決して当たり前ではない。当たり前ではないから命に感謝をして、そして親に感謝をしてこれからも生きていってほしい。この話をすることで、亡くなった兄の命がいつまでも誰かの中で生きているような気がします。いつまでも消えることなく残っていってほしいと思っています。

最後に

 ここまでいろいろと心に浮かんだことを書かせていただきました。これまでの人生を振り返る中で感じたことは、私は兄の出直しという“節“があったからこそ、このお道の教えに感銘を受けたのかもしれないということです。そう考えると、兄が私をお道の世界に導いてくれたのかなとも思います。教祖140年祭の三年千日、生かされていることへの感謝を忘れずに、日々生きていきたいと思います。

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