ふくらまくらから
ロングコートダディ単独ライブ「ふくらまくら」を見てからずっとふくらまくらのことしか考えられなくなってしまっている。
何度目かのロングコートダディの単独ライブだし、毎回こうなっているけど今回は特にずっと余韻の中にいる。
ずっと面白かったのは言わずもがな、無駄がなくて完璧で、気持ちがよかった。一つひとつのコントも、その終わり方も、ライブ全体の構成も、音楽も、お客さんの笑い声さえも。全部気持ちが良くてこの世界が世界の全てならいいのにと思いながら眠りについたら、悪夢を見た。
おもしろい人を通してみる世界はおもしろいから、私はお笑いが好きなんだけど、おもしろい人たちも私と変わらず、特別ではなく、喜怒哀楽にまみれててそれをまるっとおもしろがれるから、おもしろい人はおもしろいんだ。
ロングコートダディのコントを見てると、私のどうしようもない部分も許して認めてくれる気すらしてくる。
堂前さんが描くコントの中の人はほとんどがめちゃくちゃ純粋で、たまらなく愛おしい。一面的に性格が良い悪いではなく、誰かを傷つけていても、救っていても、とってもピュアだから滑稽で愛おしくて面白いんだよなあ。愛おしいを面白いに昇華できるって分かっている人たちが作るコントが大好き。そういう人たちは情けないとか恥ずかしいとか、どうしようもないことも肯定してくれる気がして。
堂前さんって誰でも分かるような天才なのに、だからか、焦ったり不安を抱えたりもすることをこそっと教えてくれたり、人間的な魅力が満載で、繊細だから生きづらくて、だから世界を優しさを持って見られて、面白がれるのかもしれない。
そして兎さんがコントの中の人と同じように純粋な人なのもめちゃくちゃいいんだろうな。自分ではその純粋さを、たまに短所とも思っていそうなところもいい。愛おしくておもしろいコントが余計におもしろくて愛おしくなる。
気持ちがいいまま眠って見たのが悪夢でも、それも悪くないなと思えた目覚め。きっと私は明日も仕事が面倒臭いし、これからも腹立つことも悲しいこともなくならない。劇的に人生観が変わったりもしないし、自分の嫌いな部分は嫌いなまんま。だけど何かそれが人間かと思えるし、一呼吸置いてみたら笑えてくることが、少し増えたと思う。嫌いなあの人も少し可愛く見えたり、自分の嫌な部分も、認められたりすることがあると思う。
人間やっぱり最高なので、これからも喜怒哀楽抱えて過ごしていこう。
あと幕間VTRで床に転げ回ってお腹抱えて大声で笑った。天才と天才が作ったものを見られる幸せを噛み締めた。ずっと見ていたい。
ふくらまくらがあと数時間で見られなくなるの嫌すぎるけど、ふくらまくらは永遠にないはないけどあるはあると思ってこれからも暮らしていく。
他人に自分の好きなものを紹介するって、否定された時にとんでもなく悲しいから、あまりしたくないのに、ふくらまくらは本当に全人類に見てほしいと思ってしまうな。とにかくみんな見てくれないかな。見てほしいな。DVDなら貸しまくれたのにな。みんな見てくれないかな、本当に。
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