小川誰荷

ogawa dareka

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記事一覧

紀伊國屋新宿本店

 新宿伊勢丹の7階にあるカジュアルレストランに着いた時、ちょうど18時を過ぎたところだった。時間的に混雑を懸念したが、店内は閉店間際かのような閑散具合だった。1人で…

小川誰荷
3週間前
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書くリハビリと次女のこと。

 玄関に小さな靴が2つ並んでいる。1つは全然履かないうちにサイズアウトした次女のファーストシューズ。もう1つは最近買ったセカンドシューズ。最近歩けるようになった彼…

小川誰荷
7か月前
6

年末のはなし

 を書こうと思ったけれど書くことが思いつかない。年内に終わらせようと思っていた引っ越しは未だ出来ておらず、28日にやっと新居の契約ということで手付金の100万円を持…

小川誰荷
2年前
5

しがみついた夜が朝で溶けてしまったとしても

 12月7日はやっぱり晴れなかった。尾崎世界観の日も、9月8日も空は重たい雲に覆われていて、私のクリープハイプの思い出は灰色い景色ばかりが溜まっていく。一日中待って…

小川誰荷
2年前
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ある秋の一日(創作)

 4つ折りにされた1万円札を差し出した母の指先は乾いていて、「これ、弘恵さんから」と言う声はその指先以上に乾いていた。何も言わずそれを受け取って、もう伯母さんも…

小川誰荷
2年前
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台風の日に(創作)

 「この季節になるとなぜかいつも無性に聴きたくなるバンド」そんな歌詞が出てくる曲があったな。雨が降ると無性に聴きたくなるバンドがある。その歌詞を歌うバンドとは違…

小川誰荷
3年前
5

水母(創作)

 水が生きると書いてみおと読むその名前を羨ましいと思った。虫取り網を右手に持ち、シュノーケルマスクを装着し熱心に海面を覗き込む水生ちゃんはブラウンのギンガムチャ…

小川誰荷
3年前
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青春の真ん中に立っていた日

 高校時代のことをもうあまり覚えていない。思い出せるのは所属していた吹奏楽部のことばかり。あれは高校生活第一日目、その入学式がいざ始まろうという最中、出席番号1…

小川誰荷
3年前
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杏仁豆腐のテーマ

 夏は苦手だ。つけっぱなしにされたクーラーのせいか外の暑さのせいなのか、とにかく夏はずっと体が重たい。これはもう毎年そうなのだから仕方がない、夏バテだ。出来るだ…

小川誰荷
3年前
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最近読んだ小説についての独り言。

 遠野遥の「改良」を今更ながら読んだ。ストーリーも面白いし、何より読みやすくて一気に読んでしまった。選評では、ネーミングセンスのダサさを指摘されてて、でも、もち…

小川誰荷
3年前
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6月17日の日記

 1週間に1度は更新しようとなんとなく決めていたはずなのに、もう2週間?も間があいてしまった。つくづく自分の続かなさに嫌になるよ。それでも1ヶ月も続いたのは結構…

小川誰荷
3年前
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胞状奇胎日記【3】

 その3時間はほとんど永遠だった。術後3時間は絶対安静でいなければならないと説明を受けた時、麻酔の効果でそのくらいどうせ眠ってしまうのだろうと思い込んでいた。け…

小川誰荷
3年前
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私の私による私のための愛の定点観測(31歳地点)

 21歳の誕生日を迎えたばかりの私はルーブル美術館にいた。今から10年前、若さと無知という無敵の友人達と仲良く手を繋いで日本を飛び出した私は、初夏の清々しい日差…

小川誰荷
3年前
4

谷底から見上げた夜空はあまりにもロマンチックで

 こんな夜を私はあと何回迎えられるだろう?昼間の甘ったるさを引きずった生ぬるい春の夜風に髪を撫でさせながらそんなことを考えてしまう。もし今日がその最後の夜だった…

小川誰荷
3年前
7

春の天気とチョロミーのパジャマ

洗濯物を干そうとベランダの窓を開けるとピューッと冷たい風が部屋に吹き込んだ。最近は暖かい日が続いているからと昨晩半袖に替えたばかりのパジャマから伸びた腕に鳥肌が…

小川誰荷
3年前
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胞状奇胎日記【2】

家を出て顔を上げると、ちょうど満開の頃だと思っていた桜の木の枝に柔らかな若葉がもう顔を出していることに気がついて、今年は桜をゆっくり眺める余裕が無かったな、と少…

小川誰荷
3年前
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紀伊國屋新宿本店

 新宿伊勢丹の7階にあるカジュアルレストランに着いた時、ちょうど18時を過ぎたところだった。時間的に混雑を懸念したが、店内は閉店間際かのような閑散具合だった。1人では逆に心細くなるほど広い席に案内され、思わず「こんな広い席で大丈夫ですか?」と声をかけると、「え・・・?ええ、別に」とそんな事聞く人いるんだというような顔で返事をされ、自分の感覚が伊勢丹と全くマッチしていない事に落ち込んだ。  席に着くなり、私は紙とペンを机に出して手紙を書き始めた。この日行われるサイン会でどうし

書くリハビリと次女のこと。

 玄関に小さな靴が2つ並んでいる。1つは全然履かないうちにサイズアウトした次女のファーストシューズ。もう1つは最近買ったセカンドシューズ。最近歩けるようになった彼女に試しに履かせてみたら全然歩けなくって、まるではじめてスケート靴を履かせられた子どもみたいにおぼつかない素振りで重たそうに足を持ち上げたりしていて、結局コンクリートの地面をハイハイするばかりだった。怪我するからやめなよと思う私を他所に、本人は気にすることなく硬い地面をどんどん進んでいった。真っ白いスニーカーはあっと

年末のはなし

 を書こうと思ったけれど書くことが思いつかない。年内に終わらせようと思っていた引っ越しは未だ出来ておらず、28日にやっと新居の契約ということで手付金の100万円を持って不動産屋へ行った。本当に買ってしまった。私の選択は間違っていやしないだろうか。不安だ。出来る事はなるべくしようと引っ越し用の段ボールに本を詰めると5箱にもなってしまった。物を持たない質素な暮らしに憧れていても気がついたら増えてしまう。貧困層に肥満が多いというそれと一緒のようで情けなくなる。貧困層に変わりは無いし

しがみついた夜が朝で溶けてしまったとしても

 12月7日はやっぱり晴れなかった。尾崎世界観の日も、9月8日も空は重たい雲に覆われていて、私のクリープハイプの思い出は灰色い景色ばかりが溜まっていく。一日中待ってようやくアルバムがうちへ届いた頃東京は大雨で、街中を叩く雨の音はクリープハイプの日に東京ガーデンシアターで聞いた拍手の記憶と重なった。あの日、新しいアルバム「夜にしがみついて、朝で溶かして」が発表された時の長い長い拍手は喜びそのものだった。隣の女の子2人組は嬉しそうに肩を叩き合って喜んでいたし、私たちの切実な想いは

ある秋の一日(創作)

 4つ折りにされた1万円札を差し出した母の指先は乾いていて、「これ、弘恵さんから」と言う声はその指先以上に乾いていた。何も言わずそれを受け取って、もう伯母さんも知っているのかとうんざりした。まだ安定期じゃないのだからあまり言わないでくれとあれほど言ったはずなのに。母親の口の軽さ、というかデリカシーの無さに懸念はあったものの、それでもなお唯一母親にだけは言おうと決めたのは悪阻が本当に辛かったから。24時間続く吐き気と倦怠感と眩暈。憂鬱から解放される時間は眠っている間だけで、それ

台風の日に(創作)

 「この季節になるとなぜかいつも無性に聴きたくなるバンド」そんな歌詞が出てくる曲があったな。雨が降ると無性に聴きたくなるバンドがある。その歌詞を歌うバンドとは違うけれど。台風が来るだなんて、知らなかった。私は何も知らないで、不動産屋に内覧の予約を入れた。管理会社に確認を取ってもらい、見に行きましょうということになった。引っ越しを、私は本当にするのだろうか。まだ雨は降らない。「明日はお天気が悪いとのことですので、もしよろしければお天気の良い時に、改めませんか。もちろん気にされな

水母(創作)

 水が生きると書いてみおと読むその名前を羨ましいと思った。虫取り網を右手に持ち、シュノーケルマスクを装着し熱心に海面を覗き込む水生ちゃんはブラウンのギンガムチャックの水着を着ていて、正午の白い太陽はその丸められた背中を照し、水着の背中に誂えられた大きなリボンはまるで海辺を舞う蝶のようだった。薄水色の空は高く、引き裂いた綿飴のような鱗雲がどこまでも続いていた。鳶が一羽、大きな翼を広げてそれを横切っていった。手に握った砂は、波が来るたびに拐われてゆき、青い飛沫は私の体を乗せた浮き

青春の真ん中に立っていた日

 高校時代のことをもうあまり覚えていない。思い出せるのは所属していた吹奏楽部のことばかり。あれは高校生活第一日目、その入学式がいざ始まろうという最中、出席番号1番のNちゃんは挨拶もそこそこに身を乗り出すと、出席番号3番の私の顔を覗き込んでは中学時代の部活について問い質した。何もこんな所でいきなり聞かなくてもと困惑しつつ吹奏楽部だったと告げると小さく黄色い声を上げ「吹部だったの!?じゃあ体入一緒に行かない!?」と私を吹奏楽部の体験入部へと誘った。なるほど吹奏楽部の子を探していた

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杏仁豆腐のテーマ

 夏は苦手だ。つけっぱなしにされたクーラーのせいか外の暑さのせいなのか、とにかく夏はずっと体が重たい。これはもう毎年そうなのだから仕方がない、夏バテだ。出来るだけ日中は外に出ないようにするしかない。仕事に就いている時も、8月は何かと理由をつけて休んでばかりいた。  そんな夏だから、活動できるのはもっぱら夜だけだった。夏の夜は短いけれど、それでもあの生温くて明るい夜は歩いているだけでも楽しい。毎年誰かを誘ってはビアガーデンに行った。週末は決まって渋谷へ行ったし、真夜中の秋葉原

最近読んだ小説についての独り言。

 遠野遥の「改良」を今更ながら読んだ。ストーリーも面白いし、何より読みやすくて一気に読んでしまった。選評では、ネーミングセンスのダサさを指摘されてて、でも、もちろんディスる気は全く無いのだが、あのダサさこそが良いんじゃないかーーーーーーーと思った。あれらがもっとカッコよさげな固有名詞だったら、今でこそ無機質な印象の小説が更に無機質になってしまうではないか!、と書きながら別にもっと無機質を突き詰めてもそれはそれでキャラクターとして成立するか、とも思うけど、あの不器用なサービス精

6月17日の日記

 1週間に1度は更新しようとなんとなく決めていたはずなのに、もう2週間?も間があいてしまった。つくづく自分の続かなさに嫌になるよ。それでも1ヶ月も続いたのは結構続いた方なのだ、自分の中では。みんなからしてみたらたったの1ヶ月と思われてしまうかもしれないけれど、その1ヶ月はそれなりに自信になったりもしたのだ。だから更新できない時があっても続けたいなーと思うよー。  なんでも続かないのにはちゃんと理由があって、完全に月経前症候群のせいなんだよな。私の症状は、綺麗に鬱。完全に自分

胞状奇胎日記【3】

 その3時間はほとんど永遠だった。術後3時間は絶対安静でいなければならないと説明を受けた時、麻酔の効果でそのくらいどうせ眠ってしまうのだろうと思い込んでいた。けれど実際その状況になってみると、胸と両腕両足に繋がれた管やらポンプのような機械が気になって眠ろうにも全然寝付けない。それに今しがた終わったばかりの初体験の興奮もまだまだ色濃く残っていた。指につけられた酸素濃度計はほとんど洗濯バサミで、もうずっと指が痛くて仕方がない。何かを考えようにも考え続けることも出来なくて、いつの間

私の私による私のための愛の定点観測(31歳地点)

 21歳の誕生日を迎えたばかりの私はルーブル美術館にいた。今から10年前、若さと無知という無敵の友人達と仲良く手を繋いで日本を飛び出した私は、初夏の清々しい日差しと乾いた風の吹く6月のパリで、肥大化した自意識と時間を持て余していた。  別に宇多田ヒカルぶるわけではないが、21歳の私にはモナリザもミケランジェロもなんてことはなかった。大階段の下から見上げたサモトラケのニケは荘厳なオーラを放っていたと思うが、残念ながらそれに感動するには人ごみに疲れ過ぎてしまっていた。  それ

谷底から見上げた夜空はあまりにもロマンチックで

 こんな夜を私はあと何回迎えられるだろう?昼間の甘ったるさを引きずった生ぬるい春の夜風に髪を撫でさせながらそんなことを考えてしまう。もし今日がその最後の夜だったとしても、残念がる隙もない程に幸福な夜だったと確信した時、少し熱の引いていた興奮はあっという間に再燃し、波のように寄せては返す感動に体が飲み込まれて行くのを私はただ静かに眺めていた。  お守りのようなとある夜の、感情のスケッチ。感想文という名のラブレター。 𓃹  4時に目が覚めてしまう。あまり眠れなかった。中途半

春の天気とチョロミーのパジャマ

洗濯物を干そうとベランダの窓を開けるとピューッと冷たい風が部屋に吹き込んだ。最近は暖かい日が続いているからと昨晩半袖に替えたばかりのパジャマから伸びた腕に鳥肌が広がる。 春はいつもそうだ。桜が満開を迎えたと思ったらその週の終わりにまるで台風のような嵐がやってきたりする。月曜日の朝、ピンク色に染まったアスファルトを見つめながら私は己の無力さにただ打ちひしがれる。 子どもの機嫌と春の天気はよく似ている。ある日バスに揺られていると、それなりに混雑した車内のどこかから生後半年くら

胞状奇胎日記【2】

家を出て顔を上げると、ちょうど満開の頃だと思っていた桜の木の枝に柔らかな若葉がもう顔を出していることに気がついて、今年は桜をゆっくり眺める余裕が無かったな、と少し寂しく思った。 朝8時30分、病院の総合受付横にある入院窓口まで辿り着いた時、私は緊張すると共に不思議な達成感に包まれ、妙に浮ついた気分でいた。胞状奇胎の可能性を告げられたあの日から今日までの1週間は本当に長く辛かった。それが今日で、やっと終わる。  私の場合、何よりもまず悪阻が酷かった。しかし、赤ちゃんがいるわ