お気持ち表明ってやつをしてみようと思う

 昨日からもやもやしていることがあって、どこかに吐き出せば少しは気持ちがすっきりするのかもと考えたので、ここに書いておこうかなと思います。
 読む価値はないであろう、ただの「お気持ち表明」で、だったら書く意味ないんじゃない? って思われそうだけど、書くことで自分の気持ちを言語化して整理することはわたしにとっては「救い」なので、そこはお許しいただきたい。
 だからこそ「お気持ち表明」と言っているわけで。
 特定の個人を攻撃する意図はまったくないけれど、もしもこの文章に「傷ついた」方がいらっしゃいましたら、どうぞご一報ください。

 はじめに。
 この記事には「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」に関わる記載が出てきます。ですが、作品そのものを否定する意図はありません。
 「合わなそう」な雰囲気が少しでもあるなら、読まずにそーっと戻ってくださいますとありがたいです。
 ワンクッション置きますので、大丈夫そうで、なおかつ「読んでみようかな」というお気持ちがありましたら、続きをどうぞ。















 およそ20年という時間を経て、1月26日から公開が始まった『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』。ガンダムシリーズの映画では最大のヒット作となり、5月23日をもって全国規模の上映が終了となります。
 わたしは今日までに劇場で10回鑑賞して、状況によりあと2回、劇場に足を運ぶ予定です。
 上には上がいるもので、10回程度の鑑賞は「まだまだ」の部類かなと思いますが、わたし個人としては「よく通ったな」と思います。
 鑑賞した日時/理由は以下。

 1月26日 公開初日でたまたまおやすみだったから
 2月18日 『機動戦士ガンダムSEED FESTIVAL』ライブビューイング
 2月25日 4DX2Dでの鑑賞
 3月15日 通常上映を落ち着いて観たくて

 このとき「あるシーン」のセリフが、4DX2Dで観たときと違ったのでは? 疑惑発生
 3月17日 セリフ確認 結果、4DX2Dも観てみないと解らん! となり……

 3月17日 4DX2Dで答え合わせ

 3月28日 応援上映 ここで行かないともう行けないかも……! という気持ちで(実際にはまだまだ行けた笑)
 4月11日 ペンライト演出つき応援上映(このときもラストチャンスかも、と思ったけど全然でした笑)

 4月14日 特典「コマフィルム」が欲しくて(初回コマフィルム配布のときは諸事情あり断念した)
 5月9日 ペンライト演出つき応援上映
 ここまでで10回。応援上映があまりにも楽しくて通いましたね。今後の予定は上映時間とチケットが取れるかにもよりますが、以下。
 5月17日 特典「アフターカットポストカード」が欲しくて
 5月18日 舞台挨拶ライブビューイング

 最終上映日がおそらく5月23日の応援上映になるのかなと思うのですが、こちらはお仕事で行けないので断念。
 こうしてみると、特典目的は「コマフィルム」「アフターカットポストカード」の2回だけで、感覚としてはひたすら応援上映! でした。もう応援上映が楽しくて楽しくて。だから本当に、映画として上映してくださったことに感謝しかないのです。

 では、何に対して「お気持ち表明」したくなったのかというと。
 フィナーレとも言えるこの最終週の「特典」についてと、その「特典の内容」、それを受けてX上で観測したSEEDファンのみなさまの反応について、です。

 18日、舞台挨拶つきライブビューイングは、桃吉も行きたい! と言うので、チケットさえ取れれば絶対に行くのですが、ライブビューイングだけ特典が違うんですよね。最終週、第17弾の特典発表されるまで「18日にライブビューイングで鑑賞するから、特典ももらえるだろう」と(勝手に)思っていたのですが……告知を見て愕然。18日のライブビューイングに行くだけじゃ、第17弾の特典がもらえないなんて、と。だから急遽17日にも行くことにしました。上映スケジュールを見ると全部観てたら終電に間に合わない可能性が高いので、主義には反するけれど、途中退場しようかな、などと(本当にすみません)。もうちょっと「公共交通機関利用でも、ちゃんと鑑賞できる」時間設定にしてほしいですレイトショウ。ちなみにほかの上映は、夕飯の準備後片付けの都合で全然無理でした。

 ちょっと脱線しましたね、戻ります。

 昨今、入場者特典つき上映は珍しくないし、一部では「特典で動員と興収を稼いでいる」なんて言われもしますが、個人的には「動員と興収稼ぎのために特典をつける」でもいいとは思ってるんです。そもそも映画って、そこそこ「コストのかかる」娯楽だし、劇場に足を運んでくれたひとに、そういう「付加価値」はあってもいいから。だから全部の映画に特典つけろって話ではないので、そこは誤解されると困るのですが、特典があろうとなかろうと「何度でも映画館で観たい」と思われる作品もあるし「作品を応援したい」という気持ちで複数回映画館で鑑賞するひともいるのだから、特典だけが魅力ではないはず、とは思うんです。
 ただ、最終週でこのやり方はちょっとね、と。
 舞台挨拶は、ライブビューイングでもいいから見たいよ! ってファンは多いと思うし、ある程度動員があるでしょう。そこで第17弾の特典を配布して、欲しかった特典が手に入れば、それ以降映画館へ行くひとは減る可能性はありますよね。わたしだってそう。18日の特典が第17弾の「アフターカットポストカード」だったら、17日には行かない。わたしにはこのやり方は「あからさまに動員と興収を稼ぎにいったね」にしか見えなくてがっかりしたのと、それにまんまと踊らされている自分にもちょっと腹が立つわけです笑。
 そしてこういう形にしたらまた来てくれる、と、なんだか足元を見られているような気持ちにもなってがっかり。
 ライブビューイングの特典の内容については、同じもの複数はいらないかな、が正直な気持ち。舞台挨拶のために行くつもりだから、そう思うとやっぱり、第17弾の特典にしてくれればなあ、と思ってしまうのです。

 それから、第17弾の特典内容について。
 アフターカットと言われればそうなんだけど、それは本来的な意味で言うなら「本編」に含めるべきなのでは、と思うのです。
 わたし自身も小説を書く身としてみれば「エンドマーク」をどこでつけるのかは重要だと思っているし、その「エンドマーク後の物語」を考えないわけではない。だけど一度「エンドマーク」をつけたなら、そこで「終わり」にするべき、続けたいなら続編を作るべき、というスタンスです。
 それから、今回のように「入場者特典」という形で、多くの方に平等に行き渡らないものを「公式」と言われるのももやもやする。X上での反応を見ると、おおよそ好意的な受け止めが多いようですが、わたしは「原作者による二次創作」みたいに感じてしまう。
 だって本編はアニメーションだし動くし喋るし劇伴もつくし。
 ちなみに、初回(とのちに再配布された)特典の『二人の逃避行』『月光のワルキューレ』に対しては「公式」からお出しされたもの、という印象が強い。こちらも「多くの方に平等に行き渡らないもの」ではあるのだけど、一日の上映回数が多い時期での配布、その後再配布もされて、かなり多くの方に行き渡ったであろうことと、内容がいわゆる「前日譚」で、直接映画の内容に関わるものではないから、という気がします。
 だけど、第17弾のアフターカットは、映画の「結末」を上書きしちゃうのがなあ、と思うわけですよ。わたしは映画本編の結末に満足しているし、正式な「続編」が世に出る可能性がないなら、後出しで語られたものは正直なところ「ノイズ」としか思えなくて。映画本編の「結末部分」についてはノベライズで補完もされているし、きれいなかたちで「エンドマーク」のついた「物語」だったと思っていて。それだけわたしは映像作品としての『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』に思い入れが強いのかもしれない。

 じゃあ17日には行かなくてもいいんじゃないの? と思われるかと思います。わたしも思う。だけど、もし手に入るなら、シン、ルナマリア、アグネスのアフターカットが欲しいのです。
 わたしは「シン・アスカ」に対して、DESTINYでは「主人公になりきれなかった哀しみ」のようなものをずっと抱えていて、だからFREEDOMでの彼の活躍はすごくうれしかったし、ルナマリアとの関係にもきちんと「答え」が提示されて、本当に大大大大満足なんです。でもキラとラクス、アスランとカガリが迎えた結末と比べると、まだ少し消化不良で、さらにアグネスのことも気になってて。アグネスは観れば観るほど好きになってしまって『月光のワルキューレ』を再配布でいただいたときには大歓喜でした。
 なので、この三人のアフターカットがきっともらえる! と信じて行ってみようと思っています。キラとラクス、アスランとカガリは、もういいかな、という気持ち。矛盾してるなと思うけども、わたしの『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』は、映画本編とノベライズで「完結」したので、キラとラクス、アスランとカガリについては、これ以上はいいかなーって感じです。

 あと最後のお気持ち表明は、いわゆる「界隈」の熱量と、それと比べた自分の立ち位置、熱量の違いについて。
 ファンに本物も偽物もないけれど、わたしの「受け止め」は、周りの反応を見る限り「本物じゃないんだな」という気持ちでいます。
 Xではここで引用したほかに、二次創作用のアカウントも持っていて、そちらでSEED関連で「いい! 好き!!」と思ったものに無差別爆撃のように♥をつけまくったから、おすすめはほぼSEED関連で埋め尽くされるようになりました。ジャンル的にはわたしも「アスカガの民」だと思っているし、実際にアスカガ関連でいくつか短いお話も書きましたので、まあアスカガ関連のPostが延々と流れて来るのですが。
 それを見ていると、思うんです。
 わたしもしかしたら「ファッションアスカガの民」なんじゃないかな、って。人気ジャンルにあやかって「アスカガの民」のふりをしているだけなんじゃないか、って。
 わたしのTLに現れる「本物のアスカガの民」とは熱量も思い入れも違っていて、よろこぶポイントや不満に思うポイントも違っていて。
 第17弾の特典も、わたしはめちゃくちゃよろこんだかというとそうでもなくて「後出しするくらいなら本編で描けよ」と思っちゃうし。逆にみなさまが不満に思うことに寄り添えないことも多くて。
 今ではもう、自分の「偽物っぷり」に嫌気がさしていて、アカウントを消すのはさすがにほかのジャンルのPostもしているから無理だけど、SEED関連のPostは消しちゃおうと考えているくらいです。
 別に誰かに表立っていじわるなことを言われたとか、嫌な思いをしたとかじゃないけど、なんというかこう……、場違いというか。それだけみなさまの愛が強い証拠って解ってはいるけれど、他ジャンルの方とはまた違う色があって、わたしは残念ながら、その色には染まりきれないのだな、と、しょんみりしている次第です。

 最後に、わたしの思う「アスカガ」について語って、締めくくろうと思います。
 わたしのイメージしている「アスランとカガリ」の姿が主流じゃないのは解ってるけど、アスランがオーブ軍属なのはカガリが代表だからだと思ってるし、アスランはカガリに相応しい人間であろうとして軍での昇進を考えるようなひとではないとも思ってる。カガリが代表を退くならアスランも軍から離れるんじゃないかな、とも。それにそもそもカガリは「自分に相応しいかどうか」なんて基準にしてない。そんなことを基準にするならカガリはアスランを選ばない。っていうかアスランとカガリはお互いのことを、きっと当たり前みたいに「一緒に生きていくひと」って思ってるに違いない、と信じているのです。
 カガリについては「本物のアスカガの民」の解釈と比較的近いと思っているけれど、アスランについてはマジで全然違いすぎて泣けてくるほど。わたしがふたりの物語を書くと、男前なカガリと情けないアスランになってしまう。むしろ「カガアス」である。アスランとカガリの関係性って、カガリが中心でカガリがいるから成り立っていて、アスランの愛は激重なんだけど、それに負けないくらいカガリからアスランへの愛も激重と思う。
 そしてふたりは、戦争なんてない世界で、ただのアスランとただのカガリとして、ずーっと一緒に幸せに生きていくんだと思ってるんです。お伽噺みたいで現実味がない未来像だけど、アスランもカガリも(もちろんこのふたりだけじゃないけど)、いっぱい大変な経験をしながらも生きてきたのだから、もう解放してあげてほしい。

 最後、気持ち悪い自語りになっちゃいました。
 これも「お気持ち表明」の一部なのでお許しを。

 最後までお読みくださった方、気持ち悪いお気持ち表明にお付き合いくださり、心よりお礼申し上げます。


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