【批評】荻野吉重さん 『かれんな同級生に35年ぶりに再会を果たしにいく』

 批評させてくださってありがとうございました!

 今回批評させていただいた作品は、こちら。

かれんな同級生に35年ぶりに再会を果たしにいく|ogieno|note(ノート)https://note.mu/ogieno/n/n0fd03a02bb75

 きちんと筋の通った、理路整然とした文章に好感が持てました。お堅い雰囲気で進むのかな、と思いきや『オギノ虫』のくだりでくすっと笑いを誘うあたり、手慣れているなあ、という印象です。

 おそらく多くの方が感じたことがあるであろう、中高生の頃の『淡いどきどき感』、それから35年という時を経て思い返す『記憶』や、それに伴って沸き起こる現在の『感情』、いろんな要素が互いに互いを引き立てあっていて、素直に、ああ、うまいなあ、と思いました。

 ひとつ残念かな、と感じた点を以下に。

『Uコは静かな性格であったが、授業中はきちんとノートをとっているまじめなタイプであった。身だしなみのきちんとしたサラリーマン家庭としての育ちの良さが感じられた。』

 この一文、一読するとどこにも問題がないように思えるのですが、『静かな性格であった』と『授業中はきちんとノートをとっているまじめなタイプであった』は、客観的に見ても『=(イコール)』、つまり同列に並ぶ価値観だと思ったんです。そうなると『Uコは静かな性格で、授業中はきちんとノートをとっているまじめなタイプであった。』でいいんじゃないかなあ、と。
 後半の『身だしなみのきちんとしたサラリーマン家庭としての育ちの良さが感じられた。』部分も、言いたいことは解るのだけど、落ち着いて読むと、むむ、となりますね。『身だしなみもきちんとしており、育ちの良さが感じられた。』でもいいかも、と。サラリーマン家庭に、ということをどうしても入れたいんだ、と言うことであれば、わたしならこんな風に表現するでしょうか。
『サラリーマン家庭で、両親に大切に慈しまれて来たのであろう、身だしなみもきちんとしており、育ちの良さが感じられた。』

 重箱の隅つつき、な指摘しかできず申し訳ないのですが、それだけ完成度が高い文章なのだと思います。
 今後もこういった文章を書かれることを想定してのご依頼でしょうから、敢えて細かい点を指摘させていただきました。
 ご参考になれば幸いです。

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