【批評】晴本キオさん 『午後五時のパブロフの犬』

 批評させてくださいまして、ありがとうございました!

 今回の作品は、こちら。

午後五時のパブロフの犬|kiooooo|note(ノート)https://note.mu/kiooooo/n/n07d755546e3c

 一読して、たくさんの文章を読み、そして書いてこられたのだなあという印象を受けました。文章は丁寧でしっかりしています。かといって難解、ということでもなく、どんな作品でも書きこなせそうだなあと感じました。

 読み終えて一番に感じたのは『濃密さ』でした。肉親だからこその『どうにかしたいんだけど、どうにもうまくできない感じ』が、ものすごくよく伝わってきます。
 だからこそ、ある種のもったいなさを感じました。

 『祖父』が亡くなったのは『わたし』が『十六を迎えた二月』とありますが、祖父との関係や共有した時間を回想したものとするなら、少し重すぎるような印象が拭えません。

 ここで、書き出しの一文を振り返ってみましょう。

『祖父の家にある振り子時計は、玄関先の廊下でいつも厳かに時を刻んでいた。お正月などの親戚同士の集まりであろうが普段の波立たない平穏な日々であろうが、ただそこに居座り時間を告げる仕事をこなす。まるで持ち主の祖父そっくりだ。』

 個人的にはとても好きです。ですが、作品内で語られている通り『わたし』は『お正月などの親戚同士の集まり』の時にしか、その時計とは関わっていません。『わたし』には『普段の波立たない平穏な日々』の『振り子時計』の姿は見えていないはずなのです。
 そこから続く『わたし』の独白も、濃密で丁寧です。まるで日々を祖父と共に過ごしているかのようにも読めます。いっそ同居している設定にしてもいいのかなあと考えたのですが、そうすると『わたし』が『パブロフの犬状態』になってしまった、という設定が活きてきません。

 よく書き込まれているのでもったいないのですが、冒頭部分をもう少し軽く流してもよさそうです。
 物語のヤマのひとつである『小学二年生の夏』の出来事がとても丁寧に描かれているので、そこまでの分量を軽めに抑えた方が、タイトルにもなっている設定が、より印象深くなるのではないでしょうか。

 あと一点、こちらはほんとうに個人的な意見です。
 『午後五時』と『夕方五時』、同じ時間を指すのですが、語感やイメージから、わたしなら『夕方五時』と表記するかなあと思いました。お盆の頃の五時は、ちょっと『夕方』には遠い感じもするのですけど…、『夕方五時』と書くだけで、何だか物悲しいような雰囲気が出ませんか。記号としてのただの『"午後"五時』じゃあ、もったいないかな、と。表記ひとつで印象も変わるので、あれこれ試してみるのも楽しいかと思います。

 ご参考になれば幸いです。

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