《時代とシンクロした水島マンガ》 1983年、代打男・景浦安武の戦力外と、浪速の春団治・川藤幸三の戦力外
最終的に62歳まで現役を続けた景浦安武。その長い現役生活のなかで、何度か現役引退のピンチがあった。そのひとつが南海ホークス時代の83年オフに起きた戦力外騒動だ(コミックス29巻収録)
前年に代打だけで31本塁打を放つ驚異的な打棒を見せ、落合博満と激しい本塁打王争いをしたのが幻かのように、この年の景浦は絶不調(といっても、代打で7本塁打なのだから、本来であれば立派なのだが……)。36歳(オフに37歳)という年齢も含め、シーズン途中から「景浦限界説」が何度もささやかれ、ついに景浦をプロの世界に招き入れた男、南海スカウトの岩田鉄五郎から引退勧告とコーチ就任要請を受けた。
だが、景浦は「人に教えるなど柄じゃありませんよ」「ぼくが現役を引退する時は野球をやめる時です」と断固拒否。自由契約の身となったのだ。
巨人、阪神を始め各球団の獲得に名乗りをあげるなか、景浦が出した結論は、まさかの南海ホークステスト受験。ここで景浦は50m走6秒ジャスト(合格タイムは6秒5。6秒を切れば俊足ランナーと言われるのだから相当早い)。遠投120メートル。守備では華麗なジャンピングキャッチを見せ、打っては快打連発と、文句のない成績で合格を果たした。阪神から年俸2200万円の提示を受けても、南海では1200万円から半分の600万円にダウンとなっても、「ぼくはホークスが好きなんですよ。それだけの事ですよ」とホークス愛を貫いてみせた。
実はこの83年オフ、現実の世界でも、球界を代表する代打男を巡って、同じような物語が起きていた。その代打男とは、“浪速の春団治”の異名で呼ばれた阪神の川藤幸三。チームがチャンスになると、「川藤を出せ~」とヤジが飛び、実際に川藤が代打に出ると、「アホか~、ホンマに出すな~」という、イジリのようなツッコミが飛んだ、とされる、まさにファンに愛された名物男だ。
そんな必殺仕事人も、83年は7本しかヒットが打てず、オフに戦力外通告。当時の阪神4番・掛布雅之が年俸5480万円で1安打あたり単価約38万円に対し、「1安打約185万円ナリ」などと比較されるほどだった。
それでも、「いくらでもエエ、野球をやらせてくれ」と懇願し、1300万円から一軍最低保障年俸の480万円で再契約。阪神愛を貫き、85年の阪神日本一の一員になるチャンスをつかんだのだ。
このとき、川藤の阪神愛に感動した岡龍太郎ら阪神ファンの著名人が、「川藤の給料をワシらが出したろうや!」と有志でカンパを募り、「これを給料の足しにしてほしい」と川藤に持っていった。だが川藤は「気持ちはありがたいけど、そんなことは出来ない。このお金は自分のためではなく、ファンのために使わせていただきます」と、甲子園球場の年間予約席を購入。川藤はこの席に身体障害者を招待し、のちに「川藤ボックス」と呼ばれるようになった。
タイミング的に予言かどうかは判断が難しい、1983年に起こった代打男の熱い物語、として記憶にとどめておきたい。
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80年代のプロ野球と高校野球で起きた出来事を、水島野球マンガは事前にどう予言していたのか? 有料設定にしていますが無料で読めるものも多いで…
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