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《時代とシンクロした水島マンガ》 桑田&清原と里中&山田。影響を受けたあった甲子園最強コンビ

 甲子園通算本塁打歴代1位の13本、清原和博。
 戦後ただひとりの甲子園20勝投手、桑田真澄。

 甲子園100年の歴史上、投打で最高の記録を残した2人がいたのだから、80年代PL学園が強かったのも納得だ。
 清原の13本に次ぐのは、桑田真澄、元木大介(上宮高)、中村奨成(広陵高)の6本と、実にダブルスコア。甲子園の歴史における数ある個人通算記録のなかでも異次元の数字であるのは間違いない。
 そんな清原以上の成績を残したのが山田太郎だ。成績を見比べると非常に似た傾向であることがわかって興味深い。

◆清原和博(PL学園)甲子園通算成績:13HR/打率.440/29打点
・1年夏:6試合23打数7安打5打点1本塁打  優勝
・2年春:4試合17打数8安打8打点3本塁打  準優勝
・2年夏:6試合21打数10安打7打点3本塁打 準優勝
・3年春:4試合14打数5安打1打点1本塁打  ベスト4
・3年夏:5試合16打数10安打8打点5本塁打 優勝

◆山田太郎(明訓高校)甲子園通算成績:20HR/打率.508/46打点
・1年夏:5試合11打数4安打5打点1本塁打  優勝
・2年春:5試合8打数5安打12打点4本塁打  優勝
・2年夏:2試合7打数5安打5打点3本塁打  2回戦敗退
・3年春:5試合8打数7安打11打点5本塁打  優勝
・3年夏:7試合25打数9安打13打点7本塁打 優勝

 ともに1年夏は1本塁打。さすがの甲子園の申し子たちも、入学直後からホームランを量産できるほどマンモス甲子園は甘くないようだ。そして、ともに最終学年の夏の甲子園でホームランを量産し、チームを優勝に導いている。

 清原自身、山田太郎から受けた影響は大きいことを次のように語っている。

実を言うと、私に野球を教え、4番バッターのイメージを強烈に植えつけてくれたのが、ドカベン・山田太郎だったんです。「ああ、山田は速球をこうして打つのか」「4番打者の心構えとはこういうものなのか」なんて、縦横無尽に活躍する山田にあこがれ、時にはハラハラしながらページをめくったものでした。(中略)明訓高校が山田の打棒によって、数々のライバルを下し、優勝し続けたように、私も現役を続けるかぎり、優勝し続けたいのです。チームを優勝させること、それが山田太郎が私に教えてくれた4番打者の役目だと思っているのです(『ドカベン文庫版』5巻解説より)


 「チームを優勝させることが4番の役割」という意識を持った2人のスラッガーは、のちに西武ライオンズでチームメイトになるのだが、その話はまた改めて。
 では、桑田と里中の相似性も見ていこう。

◆桑田真澄(PL学園)甲子園通算成績:20勝3敗(5完封)
・1年夏:6試合4勝無敗(完封2)優勝
・2年春:4試合3勝1敗(完封1)準優勝
・2年夏:6試合5勝1敗     準優勝
・3年春:4試合3勝1敗(完封1)ベスト4
・3年夏:5試合5勝0敗(完封1)優勝

◆里中智(明訓高校)甲子園通算成績:20勝1敗(6完封)
・1年夏:5試合4勝無敗(完封1)優勝 ※詳細不明な1試合あり
・2年春:5試合5勝無敗(完封1)優勝
・2年夏:2試合1勝1敗     2回戦敗退
・3年春:5試合4勝無敗(完封3)優勝
・3年夏:7試合6勝無敗(完封1)優勝

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80年代のプロ野球と高校野球で起きた出来事を、水島野球マンガは事前にどう予言していたのか? 有料設定にしていますが無料で読めるものも多いで…

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