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【水島予言#04】1981年の大学野球と、1973年の水島新司と藤村甲子園

 水島新司が野球マンガの大家である所以。それは、「野球」であればジャンルを選ばなかったことだ。野球=高校野球orプロ野球、という作品群ばかりだったマンガ業界のなかでその姿勢は異質なものであり、そして戦略的なものでもあった。

“野球なら水島新司”というものを持ちたかったんですね。“科学ものなら手塚治虫”“SFものなら石森章太郎“といわれてたようにね。(中略)とにかくおれは野球しかかかない、と。二年ぐらい続けているうちに、もうそろそろマンネリになってくるぞ、とまわりから言われたんですけど、自分ではそう思わないんですね。かくものはいろいろあるわけですよ。野球といっても、草野球から、プロ野球から、高校野球から、ノンプロ、大学野球といろいろあるでしょう。で、かいて手応えがあったのが「男どアホウ甲子園」ですよ((磯山勉著『水島新司マンガの魅力』)

 実際、水島は『がんばれドリンカーズ』や『草野球列伝』といったいくつもの「草野球マンガ」を上梓し、『野球大将ゲンちゃん』ではリトルリーグを、『朝子の野球日記』では女子野球を、そして『球道くん』ではノンプロの世界も濃厚に描写してみせた。

 今でこそ、野球マンガの世界も「スカウトもの」「中継ぎ投手」「監督視点」……と細分化されるようになったが、それは2000年代以降。水島新司はそれを50年も前からやってきたのだ(そして、水島新司が野球マンガでできることを総ナメしていたからこそ、現在の作品群がよりニッチな世界を描かざるを得ない、という側面もあるのだが……)。
 そして最初のヒット作『男どアホウ甲子園』から、この「いろいろある野球界」を描くことに成功する。剛球一直線、藤村甲子園は高校3年で甲子園春夏連覇を果たしたあとのドラフトで、意中の阪神ではなく巨人に1位指名されたため、これを拒否。野球部で培ったブロックサインを駆使した“カンニング”で東京大学に見事入学。神宮球場を舞台にする東京六大学野球でプレーするのだ。

 ときは1973年。甲子園は東大入学直後からエースとして活躍。早稲田、慶応との同率優勝決定戦の末、東大を初のリーグ優勝へと導いてしまう。


 史実では、過去も今もリーグ優勝を経験したことがなく、万年最下位と揶揄されることも多い東京大学野球部。だからこそ、剛腕一本で優勝に導く“漫画的展開”がハマるわけだが、藤村甲子園の優勝シーンから8年後、現実世界でも東大野球部が優勝争いを繰り広げて世間を驚かせた。1981年春に起きた「赤門旋風」だ。
 まずは、開幕戦で甲子園優勝メンバーらスター軍団がそろっていた法大から1勝を挙げて驚かせると、好投手・大山雄司を軸に、1点を守り抜く勝ち方で、早稲田、慶応から連続で勝ち点をマーク。スポーツ紙では「初V突進」「V1進撃」といった見出しが躍るなど、次の立教戦で勝ち点を取れれば、いよいよ創部以来悲願の初優勝が見えてくる、という状況を作ったのだ。
 もっとも、負けられない立教大はのちにプロに進むエース・野口裕美が4連投で東大を阻止。結果的に東大の優勝は夢と消えたが「赤門旋風」として社会現象にもなったのだった。

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80年代のプロ野球と高校野球で起きた出来事を、水島野球マンガは事前にどう予言していたのか? 有料設定にしていますが無料で読めるものも多いで…

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