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17.0006 胸が締め付けられるような思い出 その2-2

最初から祝福いっぱいというムードはなかったのだから、順調な出産準備ではなかった。
それでも、私は赤ちゃんに会えるのが楽しみになっていたし、
父も母も、初めて会う孫のために少しでもいいものを、と二人の精一杯の気持ちを込めて準備品を整えてくれた。
そんな時、入院2回目の原因となる妊娠中毒症の診断が出てしまったのだ。
確か、1999年3月の始めからだったかと思う。

ちょうど、父もペースメーカーの検査のため私と同じ病院に入院をしていた。
ただの検査入院。
だから、順調に終わって退院すると、私は思っていた。
父もそう言っていた。「美樹さん、体に気をつけろよ。」
そういった父の言葉を、思い出す。
それなのに。

ありえないことだが、ただの検査だったはずなのに、失敗したというのだ。
そのまま父は昏睡状態になっていた。らしい。
らしい、とは、私が入院している時、そんな父の状態を全く知らず、
母は、私には父の重態を知らせて初めての出産に何かあったら、、という思いで、ぐっと こらえて、私の病室と、父の病室を一日に何度も何度も
往復してくれていたのだ。
知らなかった。
私が父の病室に呼ばれたときは、もう、父は目が覚めませんと言われ、
心臓が止まるのを待っているだけだった。

いつもと変わらない 優しい 顔・・・

「あ~よく寝たなあ」と言って、目が覚めそうだった。
でも、目覚めることはなかった。

最期の最期に、父は目を開けた。
そして、私の顔を見てくれた。
あちらの世界に行く直前に私の顔を見て行ってくれたのだ、
と今でも、私は固く固く信じている。
そして、目を閉じた。
1999年3月9日の早朝だった。 

▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、
明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
 ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。死別ではなく、自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身だということを胸にとどめることが大切だとも思っています。
誰のせいでもなく、自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。


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