35.0024 思い出の地 それは岐阜県高山市
日本で一番幸せな母子家庭になる、と、すっごい抽象的な目標を立てた私。
そして、娘を一人前の社会人にすることが私の人生のミッションだ!とエンジンをかけた私。
考えることは立派だけど、なかなか行動が伴わなかった。
まだアパートで潜伏もどきの暮らしを送っていた。
ご縁があって、父の死後、知り合いになったHさんは、以前のnoteにも書いたけれど、私の父が亡くなった頃と同じ頃に奥様と、奥様より前に一人娘様を、お二人ともガンで亡くされていた。
事情は分からないが、親戚とも縁が遠かったらしく天涯孤独のようだった。以前は事業をされていたのが雰囲気で分かる、いつもゆったりとして、余裕のあるダンディな方だった。
とにかくオシャレで、いつもきれいに身なりを整われていた。
それで、、私がいつも同じ服なのをきっと可哀そうに思ったのか、母に「美樹さんに買ってやれよ」と言い、洋服を買っていただいたりもした。
私ったら、自分は無職で、2歳の子供と共にすねかじりのくせに、『他人様に洋服を買ってもらうなんて、、』と最初は抵抗していた。
が、Hさんが、一人娘さんも亡くされたこと、娘さんが生きていらしたら、いつかお孫さんを抱っこできたかもしれないのに、それももう二度と叶わないこと、亡くなった奥様のことを話された時の悲しみのお顔、を見た時、きっと哀れみから私にお洋服を買ってくださったり、ご飯をごちそうしたり、いろいろなところへ連れて行ってくれるのではないんだ、と感じた。
人生の残りの時間で、私と娘の上に、二度と叶わない夢 <娘と孫と過ごす時間> を見ていらっしゃるんだ、、と思ったのだ。
そう思ったら、いろいろなところへ一緒に行ったりすることも、きっとHさんのためにいいことなのだ、と私は思えた。
それから、この大人3人プラス2歳児のグループで、本当にいろんなところへ行った。
その中でも、私たちにとって思い出深い町がある。
それが、岐阜県高山市。
岐阜県高山市は、古い町並みや高山祭がある有名な観光地。
Hさんは、高山市で仕事をしていたご縁があったようだ。
しょっちゅう、母と連れていってくれた。
ちょっと気難しいところがあるHさんだったが、私の娘には本当の孫のように甘く、高山の町並みの中に娘のお気に入りのお店ができると、必ず立ち寄っておもちゃを買ってくださっていた。
そして、私たちでは泊まるのに躊躇してしまう豪華で素敵なホテル、高山グリーンホテルに、いつも特別待遇で泊まらせていただいた。
ホテルのロビー横にあったラウンジの椅子にゆったりと腰かけるHさんは、その場の雰囲気にとてもよく似合う方だった。
実は、その時ホテルにいらしたスタッフの方とは、Hさんが亡くなられた後もご縁が続いている。本当に有難いことだ。
Hさんから学んだことは、
損得勘定では、人と人との本当に大切なつながりはできない、
ということだ。
そういう生き様を最後まで見せて教えてくださったHさんだった。
■■今回もお読みいただき、ありがとうございます。
全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!!
▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
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