好きな書き出し

半年以上noteを放置してしまっていました。昨年末にシンガポールに赴任してなんとか元気にやってます。日本のスポーツは見られなくなってしまったけど、読んだ本やシンガポールで飲み食いした記録を書くためにnoteも再開しようかと。仕事と生活でいっぱいいっぱいだったけど余裕も出てきたし。

久しぶりのnoteは好きな本の書き出しについて。冒頭からグッと惹き込まれる作品には名作が多いと思うんです。たとえば渋沢栄一の『雨夜譚』。

”みじかしと悟れば一瞬にもたらず、ながしと観ずれば千秋にもあまるは、げに人の一生にぞありける。されどそのみじかしといいながしと思うも、必ずしもきえゆく年月の数によるにはあらず、その身に遭遇する言草の多少によりて、この観念に長短の差別を生ずるものぞかし。”

簡潔かつ格調高くて素敵だなと。

簡潔に趣旨を伝えていて見事だと思ったのは下村湖人の『論語』。

”東洋を知るには儒教を知らなければならない。儒教を知るには孔子を知らなければならない。そして孔子を知るには「論語」を知らなければならない。「論語」は実に孔子を、従って儒教を、また従って東洋を知るための最も貴重な鍵の一つなのである。”

凄みを感じて一気に引き込まれたのは阿佐田哲也の『麻雀放浪記』。

”もはやお忘れであろう。或いは、ごくありきたりの知識としてしかご存知ない方も多かろう。が、試みに東京の舗装道路を、どこといわず掘ってみれば、確実に、ドス黒い焼土がすぐさま現われてくる筈である。”

有川浩の『図書館戦争』は大学時代に最初の1ページを立ち読みしてそのまま買いました。

”前略
 お父さん、お母さん、お元気ですか。
 私は元気です。
 東京は空気が悪いと聞いていましたが、武蔵野あたりだと少しはマシみたい。
 寮生活にも慣れました。
 念願の図書館に採用されて、私は今・・・

 毎日軍事訓練に励んでいます。”

全体的に上手いなと思うのは森見登美彦。

『太陽の塔』では、

”何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。”

『夜は短し歩けよ乙女』では、

”これは私のお話ではなく、彼女のお話である。
 役者に満ちたこの世界において、誰もが主役を張ろうと小狡く立ち廻るが、まったく意図せざるうちに彼女はその夜の主役であった。そのことに当の本人は気づかなかった。今もまだ気づいていまい。
 これは彼女が酒精に浸った夜の旅路を威風堂々歩き抜いた記録であり、また、ついに主役の座を手にできずに路傍の石ころに甘んじた私の苦渋の記録でもある。読者諸賢におかれては、彼女の可愛さと私の間抜けぶりを二つながら熟読玩味し、杏仁豆腐の味にも似た人生の妙味を、心ゆくまで味わわれるがよろしかろう。
 願わくは彼女に声援を。

 「おともだちパンチ」を御存知であろうか。”

森鴎外の『舞姫』も好き。

”石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきも徒いたづらなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。”

キリがないのでこれぐらいにしておきますが、書き出しって大事だと思うんですよ。書き出しだけ魅力的で中身は大したことない本もあれば平凡な書き出しから物凄く面白くなる本もあるから一概には言えないけど、その作品の第一印象を決める、いわば顔のようなものだと思うので。大事なのは中身といいつつ、ちゃんと顔にも気を使ってる作品が僕は好きです。

時間的にも精神的にも余裕が出てきてだいぶ本も読めるようになってきました。どうせどこにも行けないし趣味が読書で良かったと思いながらまた励もうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?