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「直感で生きる」の罠【ぷろおごvoicy文字起こしvol.53】

この記事はプロ奢ラレヤーのvoicy「直感で生きろ!」のワナ(2021年4月3日公開)を元に作成したものです。

はい、どうも。
過去累計3000人以上にメシを奢られてきた浮浪者が意味不明な独り言を垂れ流すラジオです。物好きな人だけ聞いていってくれればと思います。


その「直感」、どこから?

皆さんは、何かを始めたり終わらせたり、何かをするにつけて、直感で動いたことありますか?

「なんで、そうしたの?」なんて聞かれて、「直感で決めたんだ」なんて答える。「直感」てのはそんな使われ方をしていますね。

直感、感覚、それの対義として、論理、そういう言葉があるんじゃないかと思うんですが、「感覚的であること」そのどこに罠があるのか。

今日はその「罠」について話をしていこうと思います。


「罠ってなに?」なんてみなさん、思われるんじゃないですかね。
罠というとなんだか物騒な言葉ですが、「直感」について、勘違いしてる人がいるんじゃないかと僕は思っていて、その勘違いが罠というわけです。



「感覚的な人」、つまり自分の感覚に従って判断や行動をする人を指すわけですが、「感覚でやってみた」「後先考えず手当たり次第やってみた」これは似ているようで、違いますよね。


やっぱ直感だよな」「俺も感覚的に生きる!」「私も感覚を大事にするんだ!」なんて、感覚的に動く人にすぐ感化されてしまう人、いますよね。それもまた感覚的なものではあるんですがね。

そういうすぐに感化されてしまう人というのは、感覚的に動く人の見様見真似で、手当たり次第、目の前にあるものに手をつけて動き回る

そんでもって、気がついたら「なんでこんなことになってるの?」なんてこと、よくあるじゃないですか。

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確かに「感覚でやる」のは側から見ていかにもテキトーだし、これといって何も考えていないようにも見えるんだけれど、実はね…すごく地に足がついてるんですよ。

「そんなことないよ、考えてるように見えなかったよ!」と言われても、感覚的に動く人にも種類がありましてね。

感覚的にやってうまくいく人そうでない人がいるのを忘れちゃなりませんな。


「え?どうしてだって?感覚だよ」


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感覚的に行動してうまくいく人というのは、地に隠された地雷を踏まないし、なんだかんだで最短距離を取って進んでいくわけです。

そういう人が、「すげー!」なんて言われちゃったりしてるんですね。


僕は自分を感覚的に動く類の人間だと思っているんですが、手当たり次第に目の前にあるもの全部をやっているわけではなくて、これまで積み重ねてきた論理、現実・現状の認識、そういったデータが積み重なった上の「感覚」で動いていますよ。

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直感の土台になるもの

動いてる時はほとんど直感で、慎重に考えてから動いていませんね。それでも、何にも感覚を支える土台のない状態で、ただ手当たり次第に動いているのではないんです。

動く時にはすでにその方向が感覚的に定まっているわけです。

それは直感によって定まっているんですが、的確に現実を認識して、自分の行く方向というのを無意識的に分かっているから直感が得られるじゃないですか。


直感というのはナイフみたいなものなんですよ。直感の精度、切れ味がよくないとダメだし、ただ切れ味が良くても使い方を知らなければ危なっかしいだけで使えないでしょう。

それに、どういうものを切るのか、どういうナイフが必要なのかが分かっていないと、活かすことはできないじゃないですか。寿司の玉子を切るのと、肉の骨を叩き切るのでは、必要になるナイフが違うのは当然でしょう。

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自分が大方どこに行きたいのか、どこにいるのかが分かっていないと、目的地までたどり着けないですよね。地図を見ているだけでは進まないし、闇雲に動いているだけでは到底たどり着けないですよね。


「感覚的に生きるんだ!」「考えない!今を生きる!」なんて言葉が踊っている薄い本が流行ってるじゃないですか。

それに感化されてドドドって動いてしまう人は、直感、その土台の重要性をあまり理解していないなという印象があります。それが僕の考える罠です。

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そういう人は現実への認識やデータを軽視して、論理やそれを組み立てることの回避の弁明として「感覚的に生きる」を支持しているように僕には見えてしまうんですよ。


感覚だけではダメで、論理もないと機能しないんじゃないですかね。データを集めて的確に現実を認識して、その上で感覚的に動く。

これがやっぱ大切な順序で、どちらか一方でっていうのはうまくいかないんですよね。動かないとデータは手に入らないし、動かない内に現実は、狭くて偏った凝り固まったものになってしまう。

さらに、動かないと感覚は磨かれていかないから、動かないと感覚も鈍っていってしまうんですね。

動きながら拾ったもので、それを咀嚼しいかに血肉に変えて、土台を構築していけるか、足場を作れるかそういうことが大事なんです。直感とその土台があって初めて機能して、速く遠くに行けるんですよ。

車と同じで前輪と後輪、あるいは4つのタイヤ、そのいずれもが機能するから、走れるんですよね。


直感と論理、そのどちらに自分が偏っているのかを再考しながら、日々やっていくことでしか前進はないですね。それはもちろん僕も含めて。


着々と進んでいければなぁと思っています。


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ということで今日は、直感・感覚、あるいは、それに対応するものについての話でした。


またね

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