求めることの責任

 今回のN党副党首に対する「住民基本台帳法」に基づく生活の本拠に対して、賛否両論の意見が飛び交っている。
私の意見を申し上げると、当然予想済みである。だからこそ、賛否両論の中で、確実な情報をいかにして入手するか。これは本当に大切なことなのである。
 もちろん、私は私の意見だけを鵜呑みにして物事を判断することは決して推奨しない。むしろ、自分自身の中でどんなに確度があっても「みなさん自身で情報を取りに行ってください」と一言申し添えるようにしている。なぜなら、その考え自体にバイアスがかかっていたとしたならば、正しい情報を知る機会を失わせてしまうだけではなく、誤った認識が知識として蓄積されてしまったときに私自身がその方に対して責任を取ることが非常に難しいからである。
 たくさんの情報の中から自分が正しいと思える情報を吟味して知識として積み上げてゆく。簡単なようでこれがなかなかできない。
私自身、人目につかないところで無理のない範囲で勉強をしているつもりではあるが、それが万人に向けた本当に正しいものであるのか?と言われると正直自信はない。
私は聖人君子でもなければ、東大卒の超絶エリートでもない。
 自分自身で吟味した情報を私自身に取り入れるようにしているだけだからだ。
 みなさんは世の中の不確かな情報だけをもとに、責任を問われるかもしれないことに対しての行動を起こす勇気を持っているだろうか?
 私にも生活があるし、信用もある。だからこそ、自らの行動を起こす際には自分で責任をとれる範囲できちんと計画し行うようにしている。
 今これを読まれている方々の界隈を見てほしい。

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