僕とレックリングハウゼン病 病気と知るまでの話。

僕の記憶している範囲では、物心ついた時にはすでにカフェオレ班と呼ばれるものがあった。右の横っ腹あたりに拳くらいのものと、右のおしりの全体にあった。後にカフェオレ班と分かったわけだけど、その時は親もよくわかっていないみたいだった。

小学校、中学校と年齢を重ねていくいちに少しずつ右のおしりにあるカフェオレ班の色が濃くなっていき膨れていった。体中にぽつぽつと何かできているのもこの時点で何となくわかっていたけど、その時点ではまだ病名も知らなかった。

中学3年生になったころに円形脱毛症になった。俗にいう十円はげだった。すぐに気づいて親に皮膚科に連れて行ってもらった。原因とかはよくわからなかったけど、円形脱毛症は薬をもらって毎日塗るだけですぐに治った。受診をした時にその先生が首にあるぽつっとしたものに気づいてくれて、受験終わったらちゃんと診てもらった方がいいよと教えてくれた。

中学を卒業して、春休みの時期だったかな。病院へ行き、そこで初めて「レックリングハウゼン病」という病気と知った。その時知ったのは治らない事と遺伝する可能性があるという事と3000人に1人という事くらいだったかな。

淡々と書いてしまったけれども、身体にあるそれが何なのか説明もできない頃に辛かった事も色々ある。知ったところで辛いのは変わらないんだけどね。

ほんと、どこから説明すればいいのかわからない。そして長くなる。次は手術した時と手術してからの話かな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?