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東京都議会「不健全図書」名称変更の陳情とは何だったのか?

はじまり

 2022年12月、東京都議会に、「不健全図書」の名称を変更するように求める陳情が提出された。

 東京都では、ここ数年、ほぼ毎月BL系のマンガ作品ばかりが不健全図書として指定され続けており、自分の作品が指定された(特に若年の女性の)作家たちからは、「不健全図書」という禍々しい烙印を行政から押されたことが自分や家族にとって精神的に大きな苦痛になったという声や、指定が原因でインターネット上での嫌がらせを受けたなどの報告が聞かれるようになっていた。

 陳情の趣旨は、そうした「不健全図書」という用語の持つ、存在自体が好ましくない本だというイメージを払拭するために、あくまで未成年者への販売等が制限されるという条例の効果の通りの名称(成年向けの図書であることが明確にわかる名称)に変更するべきというものであった。

 マスコミでも何度か紹介されたので、ご記憶のある方も少なくないだろう。漫画家の森川ジョージが、賛同者として都議会議員たちとの面談や、マスコミへの取材対応を行い、ちばてつや、里中満智子、諫山創といった有名漫画家たちが次々に賛同メッセージをインターネットで公開したことから、なかなかの話題になった。

都議会に提出された陳情自体は、翌年2月の都議会文教委員会で不採択となったわけだが、採択に賛同しなかった主な会派(都民ファースト、自民)の委員たちからも、適切な名称への変更自体には前向きな意見が議事録に残る形で表明されており、今後の条例改正への弾みとなる第一歩といった感じの幕引きとなった。


 そしてこれから書くのは、この陳情がどうしてこういうことになったのかについての、いわば状況説明のようなことである。多少なりとも界隈の事情を知っている人たちは、今回の陳情について、いくつかの点で不思議な部分を感じていることだろうし、それについての何らかの解説を待っているだろうと思ったからである。

 本当なら、もう少し早く話すべきこともあったのかもしれないが、政局的な意図にとられることを避けるため、公開は統一地方選挙が終わったタイミングということにさせて頂いた。この点、ご理解を頂ければと思う。


傍聴コミュニティの誕生

 まず、今回の陳情について、どうしてそのようなムーブメントが生じ得たかの背景事情として、東京都青少年健全育成審議会を毎回傍聴している人たちのコミュニティの存在について語る必要があるだろう。

 2016年に小池百合子が東京都知事に当選し、公約で掲げた情報公開に取り掛かった。それまで非公開だった審議会が原則として公開されるようになり、知事からの諮問で不健全図書指定の審査を行っている青少年健全育成審議会についても、2017年度から一部傍聴が認められるようになった。

 マンガ等の規制問題に関心のあるコミュニティの人たち(その多くは、2011年の青少年条例改正に反対していたコミュニティの人たちだった)が、毎月開催される審議会の傍聴へと常連的に訪れるようになり、ネットの口コミなどで、次第にその人数は増えていった。


 だが、審議会では、私たち一般の傍聴人は、不健全図書に指定するかどうかの議論を聞くことはできない。その審査の時間は非公開の部分として傍聴人は退出を求められるのだ。

 では、集まった傍聴人はいったい毎回何を聞いているかというと、主には事務局からの報告である。ボランティアの健全育成協力員たちによる環境浄化活動(都内の書店で不健全図書やそれに似た図書が適切に売られているかの調査)の成果や、都民からの通報を受けて出動した都の担当官による書店立入調査の状況、そして今や東京都全体で8カ所を残すのみとなった本の自動販売機コーナーの現況について、事務局が審議員たちに件数を読み上げていくのを私たちは眺めることになる。

 そうした事務的な事項を除くと、私たち一般傍聴人が聞くことができるのは、審査が始まる前の「不健全図書をこれから審査しますから退出してくださいね」の案内と、審査が終わった後の「指定することになりましたが知事が公示するまではタイトルは公開できませんのでよろしく」という終わりの言葉だけなのである。

 それでも、傍聴コミュニティの人たちは、審議会の冒頭と終わりのわずかな部分を聞くために都庁に集まり、何か不自然なことがないかと気を付けながらメモをとる。終わると近くの喫茶店などに移動して、先月の不健全図書指定が妥当であったかどうかを議論し、それから都のホームページで公開された数か月前の審議会の議事録について議論する。先ほども述べたように図書の審査は傍聴ができず、数カ月後に公開されるのは、発言者が匿名化された議事録だけなのだ。

 それでも熱心に傍聴に集まるコミュニティの人たちの姿に、審議委員を委嘱されている都議会議員たちも自然と関心を持つようになる。審議会の終了後に、都議会議員たちとのちょっとした意見交換が行われたり、傍聴に関しての要望が伝えられたりするようになっていった。


傍聴コミュニティの不満

 ここまで読んで下さった方なら、だいたい想像できると思うのだが、傍聴コミュニティの人たちには、当然不満が溜まっていた。

 元来、不健全図書指定されること自体にも、あまり良い気持ちはしていないところに、わざわざ都庁まで足を運んでいるのに、審査は非公開で傍聴できないと言われ、おまけに、関心が高まって傍聴希望者が増えたために、定員がオーバーして冒頭と最後の傍聴すらできませんなんてこともしばしば発生していたからである。

 さらには議事録を読めば、ほとんどの委員が関心を払っているフリすら見せず、質問も意見も何もなく指定に機械的に同意しているだけのことにも不信感が高まっていた。

 一応公平の観点から述べるなら、東京都は事務局が業界団体とも事前に協議をしたうえで、相当に絞り込んで諮問をしているので、私からみても、さすがにこの本を不健全図書に指定するのはあり得ないというケースはあまりないようには思う。東京以外の都道府県では、ほぼ間違いなく包括指定に該当するような本だけが審査には上がってきている。

 でも、時には、これくらいの描写だったらメジャーなヤング誌でもあるんじゃないかとか、この物語はむしろ多感な高校生や中学生の子どもたちこそが必要とする内容なんじゃないかと思えるような本が、ろくに議論もされずに不健全図書に指定されていると思える時があった。作者本人がそうした指定で憤ったり傷付いたりしているという話なども、インターネットでは流れており、審議会終了後の喫茶店でも、そうしたことがたびたび議論になった。色々なことがモヤモヤと積み重なる中で、傍聴コミュニティで少しずつ、何か改善のための提案を具体的な形にするべきなんじゃないかという機運が高まっていった。

 整理していくと、傍聴コミュニティの要望は、次のようなものに集約されていったように思う。

・傍聴の定員を増やしてほしい
・青少年健全育成審議会を、都の他の審議会と同様に、オンライン・ストリームでも公開してほしい
・議事録をもっと早く作って公開してほしい
・議事録を匿名化せずに公開してほしい
・議事録と関連資料を年度経過で破棄せず公文書館で保存公開してほしい
・不健全図書の審査部分についても傍聴できるようにしてほしい
・事務局が調査検討のために購入したけど、審議会に諮問しなかった本の情報について公開してほしい
・不健全図書制度によって、いったいどのような健全育成上の効果があったのかを、科学的に検証してほしい
・会議の中で、いたずらに作家や作品を侮辱したり、創作ジャンルを否定したりするようなことを言わないでほしい
・そもそも「不健全図書」とか「有害図書」という指定された本に悪いものというレッテルを貼るような行政の用語を何とかしてほしい
・指定されるとAmazonをはじめとする大手のネット書店から商品の取扱い自体が削除されてしまう問題を何とかしてほしい


請願・陳情の試みと足踏み

 前述のように、2017年から青少年審議会の傍聴コミュニティが形成されて、議論する中で、少しずつ要望したい内容が具体化していったわけだけど、だんだんと見えてきたそれらの要望項目に、コミュニティの皆が必ずしも共感したわけではない。人によって、この項目は重要だけど、別の項目については必要性が理解できないと感じる場合もあったし、むしろ藪蛇・逆効果のリスクがあるんじゃないかと心配する人もいた。法令の規定や、他の審議会との兼ね合いや、その他の関係者の都合も考えたら現実的とは言い難い項目もありそうだった。

 そういうわけで、要望を具体的に誰にどう伝えるかのアクションが決まらないまま少しずつ時が過ぎていった。しかも2018年には、漫画村問題を発端とするサイトブロッキングや静止画ダウンロードの違法化・犯罪化問題があって、マンガの表現の自由に関心のある活動家の多くもそっちにかかりっきりになっていたという事情もあった。

 もちろん、比較的すぐに改善が実現できた項目もあって、例えば、傍聴人数の定員を増やしてほしいという話は、審議会に入っている都議会議員からの提案によって簡単に解決されたし、議事録の作成・公開が遅いという問題についても、同じように都議の審議委員が期の初めの方針会議で提案してスピードアップが実現したが、それ以外の重量級の要望については、知事なり議会なりに話を上げないことには話が進まないということが次第に明確になっていった。

 そんな中で、今回の名称変更の陳情の提出者である栗下善行(当時は大田区選出の都議会議員だった)が、青少年健全育成審議会の委員となった。2011年の青少年健全育成条例改正問題(いわゆる非実在青少年問題)で、石原慎太郎知事のマンガ規制の方針に真っ向から立ち向かった彼が審議委員になったことで、傍聴コミュニティの人たちはチャンスが訪れたと考えて彼にさまざまなインプットをした。

 2020年の始めくらいに、栗下から、コンテンツ文化研究会他いくつかの関係者に打診があり、自分が紹介議員になってもいいので、都議会に請願を出してみてはどうかという提案があった。不健全図書制度の運用に関しての界隈の意見を具体的な政策にまとめてみてはどうかというのである。

 未だ要望の内容も煮詰まっていなかったものの、界隈の反応としては、議会に提出するのなら確実に可決されなければ意味がないという感じであり、提言する内容の事務的な実現可能性を検討したり、超党派で紹介議員を確保しようといった、隙のない請願書を目指した結果、やはり提出にはなかなかゴーサインが出ないままに時が過ぎていった。

 そうこうしている内に、香川のゲーム条例の問題が起きて、緊急案件ではない不健全図書の運用改善の提案は、またもや後回しせざるを得ない状況となった。

 そのあとはCovid-19での自粛の時代である。傍聴人の定数も限られるようになり、ここでいったん不健全図書制度の改善に向けての動きは足踏みをすることになる。


都民ファーストからのコミットメント

 大きな変化が訪れたのは、2021年の都議会議員選挙のあたりからだった。傍聴コミュニティの人たちからの働きかけに、都民ファーストの会が、当時の荒木ちはる代表以下、会派全体として興味を持つようになった。実際その冬のコミックマーケットに合わせて開催されたAFEEの街頭演説会には、都民ファーストが都議会議員多数からなる議員団を送り込んでくるほどのコミットメントだった。

 特に、都議選後に新しく健全育成審議会の委員となった藤井あきらは、傍聴コミュニティからの要望を聞く窓口役となり、11月11日の都議会総務委員会でさっそく、不健全図書についての質問をしている。このとき、「不健全図書」という名称が、ネガティブな意味合いの強い用語なので、何とかならないかという趣旨の問題提起がなされることになった。少し長いが、この時の藤井の質問を議事録から引用しよう。


「不健全という言葉、ちょっとなかなか不健全って言葉も分かりにくいなというふうに感じております。自治体によっては有害図書としているところもあるというところで、有害とちょっと比べると、不健全の方が少しマイナスなイメージじゃないのかなとも思いながらも、価値判断が入っているように強く感じるところであります。一方で、実際何をしているかというと、いわゆる成人向け、十八歳未満は見ちゃいけませんよという本だったりとかというものを指定して、確認しているものだというふうに認識をしておりまして、成人指定、もしくは成年向けであったりとか、十八歳未満禁止、十八禁と実態に即したこの呼び方にする方が適切ではないかと感じるところであります。」


 翌年に栗下が提出した陳情と重なる部分が多い指摘である。そして、成年向けの図書として指定するという効果に着目した名称にするという提案の結論についても、趣旨を同じくしている。これは偶然ではなく、要するに傍聴コミュニティでの議論が深化する中で煮詰まっていった政策が、藤井にも栗下にもそれぞれに伝わっていたからである。

 こうして、都政与党の都民ファースト、都政野党の立憲民主党の両方に、不健全図書制度に関しての政策提言をするための準備が整っていったわけだが、しかし、政策推進のために決定的に欠けているものがあったように思う。それは「勢い」というか「風」というか、そういうものであった。確かに、この問題について大きな関心のある人たちにとっては、不健全図書という侮蔑的な響きのある名称を変えることの意義は自明に思えるかもしれない。しかし、その必要性は、一般の世論から見れば分かりにくく、関心も持ちにくいことだろう。こうして決定的な推進力がないまま少しずつ時が過ぎ、夏に参院議員選挙を控える2022年を迎えることになった。


2022年に起きたこと

 2022年になると、審議会の傍聴席には、国会議員や主要政党の立候補予定者たちが姿を見せるようになっていた。2017年に傍聴が解禁された直後、関心のある数人の人々が集まっていた頃とは、もはや雰囲気は完全に違っていた。そこは、夏の参院選に向けて、マンガ等の規制問題に関心のある人々への浸透を狙う政治家たちの思惑が交錯する空間になっていた。もちろん人々の意識にあったのは、その3年前の参院選挙での山田太郎の54万という得票数だった。

 こうした状況は、むしろ請願の提出を、傍聴コミュニティの人々に躊躇わせる状況となっていた。参院選挙直前の政治の季節に、特定の党派を頼って請願を出すことは、バランスを崩す危険性を露骨にはらんでいるように見えた。

 その年の4月、広く注目を集める出来事が起こった。

 作品が不健全図書に指定されたBL作家らが、Twitterで不健全図書制度の運用についての疑問を語り、それが世間の関心を引いて、賛否の分かれる激しい議論となった。

 賛意も寄せられる一方で、不健全図書に指定されるような本を出した作家に発言の資格などないと言わんばかりの中傷も可視化された。性犯罪者扱いして激しくバッシングするようなものまであった。不健全図書に指定されることの烙印効果を目撃した多くの人々が、否応なしにその問題について考えさせられることになった。以前から不健全図書制度の運用に必ずしも関心があったわけではない人々の間に、少しずつこの問題についての関心が広がっていったのである。


 不健全図書指定が招くスティグマ化・世間からのバッシング問題の他に、傍聴コミュニティの面々や作家たちが特に論点として挙げていた問題に、大手ネット書店からの削除の問題があった。

 Amazonをはじめとするネット書店は、成人図書コーナーを設けており、いわゆる「18禁」の書籍はそちらで取り扱っている。東京以外の道府県で「有害図書」として包括指定されているような、いわゆる「ポルノ」の作品は、成人であればそちらのコーナーで普通に購入することが可能なのだ。

 ところが、東京で個別に不健全図書に指定されると、成人向けコーナーで売られることもなく、取扱い自体が完全に消えてしまう。成人であっても購入することができなくなってしまう。それだけではない。条例の対象である紙の本だけではなく、電子書籍までもが停止される。条例の定めている規制を大幅に超えた効果が、実態として生じてしまっているのだ。

 この「ネット書店から消えてしまう」という問題が、いちやくマスコミの話題になる事件が起きた。

 三才ブックスの「アリエナイ」シリーズが、鳥取県で有害図書に指定され、Amazonからの取扱いが消えてしまったことが、全国的なニュースとして報道された。さすがにそれは行き過ぎなのではないか、人々の表現の自由や知る権利に重大な問題が生じているのではないか、という論調が高まった。

 それまで、マンガ等の規制の問題にマニアックに関心のあったごく限られた層だけで議論されていた不健全図書・有害図書の問題が、ここで一般の世論の時事的な関心事にもなったのである。三才ブックス編集部と、科学実験のYouTube動画配信で知名度がある著者のくられが、鳥取県の対応やAmazonの取扱いの問題について、新聞やテレビの取材に対して積極的に発言をしたことで、今まで一般の人には知られていなかった問題が広く知られるようになっていった。

 こうして、政治家たちがこの問題で動けるようになる下地が、少しずつ確立していった。

 2022年9月には、都議会で再び藤井あきらが不健全図書に関する質問をした。今度は委員会ではなく一般質問の場であった。Amazonを始めとする大手ネット書店で取扱いが消えることは、条例の本来想定している効果を超えた副作用であり、そのようなことのないよう都としても必要な補足説明を積極的に行うべきなのではないかという趣旨の問題提起がここで行われた。

 傍聴コミュニティの間でも、多岐にわたっていた要望の中で、「不健全図書」という名称の問題、そしてAmazonをはじめとするネット書店からの撤去という二つの問題に、アクションの対象がフォーカスしていくとになった。

「政策の窓」は、少しずつ開かれていくように見えた。


栗下の陳情

 都民ファーストの藤井が都議会本会議の一般質問で、不健全図書指定とネット書店の取扱い中止の関係について質問していたのとほぼ同時期、都議会立憲民主党でも不健全図書の問題について具体的なアクションを起こせないかという議論が内部的に少しずつ高まっていた。中心になっていたのは、7月の参院選挙でマンガ等の表現の自由をテーマに掲げていた前都議の栗下善行と、都議会幹事長の西沢圭太であった。

立憲は、所属の地方議員にAFEEの「表現の自由を守る約束」に賛同する者が増える一方で、党内のジェンダー平等的観点から性表現に批判的な層からはAFEEに対する不満の声も噴出しているという問題を抱えていた。不健全図書の名称変更は、党内で意見の分裂する「萌え系イラストを用いた公共機関の広報等に対する批判」のようなケースとは違って、「政府による表現規制」の分かりやすい論点であること、ゾーニング・レーティング規制自体への反対ではなく、あくまで東京都がゾーニング・レーティングを民間に義務付ける際に生じるスティグマ化に絞って異議申し立てて是正を求めていること、男性中心主義的傾向があると見られがちな類の性表現の問題とはやや系統が異なり、不健全図書として指定されている図書のほとんどが女性向けのBL作品であることなどから、党内で分裂しやすいテーマで合意できる点を見出せるという点で、今後の議論の取っ掛かりとなる可能性を持つ有望な政策テーマとして受け止められていたようであった。


 だが、請願をとりまとめようとした段階で、また同じ問題にぶつかった。

 どんな内容で、誰を仲間に入れるかについての合意が、なかなか取れないのだ。

 実際のところ、傍聴コミュニティ周辺の団体や議員の中でも、同じように何らかの請願を出そうとする動きはあったものの、結局、中断・延期してしまっていた。

 通せる内容にするためには、東京都の実務的に実現可能性がある隙の無い内容であることを大前提として、さらには議会の多数派の賛同を得られるような「話の持って行き方」をする必要があった。また、通らないような請願・陳情をいたずらに出して不採択となれば、それが一つの結果として残ってしまい、将来的な制度改正のチャンスを潰してしまうことにもなりかねない側面もあった。

 逆に、傍聴コミュニティのコアなメンバーではない周辺の人たちからは、ここ数年、続けて地方議会に対してあまり準備しない形での陳情が出されることがあった。いささか行政サイドの事情に不案内な内容だったために、賛否両論の状況すら作れないまま不採択となったり、むしろそうしたコンテンツに否定的な人たちの方に理があるような状況を作られてしまう結果にもなってしまっていた。

 地道な活動を続けている傍聴コミュニティの人たちとしては、そういう事態を避けたいという思惑があった。勝負をかけるからには、一定の成果を出せるような、きちんとした請願なり陳情でなければ、むしろ逆効果の可能性もあるし、やるべきではないという意識ははっきりとしていた。


 だが、今回は政策のブレイクスルーの機会が訪れていることは間違いない。法制理論的にも一定の裏付けはあった。あとは、誰かが火中の栗を拾って勝負をかけ、その時に世論がどうなるかを実証するしかない段階に至っているようにも思われた。

最終的にどの会派が賛成に回るかは、もはや実際に出してみての世論次第でしかないところまで機は熟したと栗下は決断したのだろう。

 そして12月、栗下は自分の名前で陳情を提出した。利害関係者や各会派の調整を、おそらくは、「あえて」事前には行わないままで。


 当初は従前から不健全図書などの政策に興味のあった界隈のみで話題になっていたこの陳情だが、森川ジョージが賛同を表明し、ちばてつや、里中満智子といった大御所の漫画家たちからの応援メッセージが紹介され、諫山創などの流行の作家からも賛同が表明されると、マスコミも本格的に興味を示し始めて、一般世論からの関心は一気に高まった。栗下の賭けは、少なくとも世論形成という面において、かなりの大勝を収めたと言えるだろう。

 立憲民主党の内部を固めきれるか不安視する見方もあったが、順調に会派として採択を求めることで一致した。傍聴コミュニティの人たちからの働きかけに応じて、共産党やミライ会議なども続々と賛同に傾いていった。

 公明党に関してだけは、これまでの経緯から賛同に回る可能性は低そうだったが、都民ファーストか自民党のいずれかが賛同すれば、採択に持ち込める状況となった。


なぜ陳情は不採択になったのか

 文教委員会で陳情は不採択となったが、委員会では、採択に賛同しなかった都民ファーストや自民党の議員からも、名称変更自体には前向きな発言があった。

 栗下からは、不採択自体は残念だが、これからにつながる結果となって良かったと一定の歓迎をするコメントがTwitterで出された。

 これに対して、陳情に協力していた一部の地方議員などからは、栗下の陳情のやり方にも問題があったのではないか、とてもこの結果がポジティブに評価できるものだとは思えないという趣旨の批判的反応もあった。Twitterで大っぴらに行われたそのようなやりとりに、陳情に賛同していた人々の間には動揺が広がった。

逆に、立憲民主党の一部議員からは、都民ファーストと自民党が、名称変更に前向きのような態度をとりながら採択に賛同しなかった対応が理解できないという趣旨の批判もあった。


 政治家たちの反応と異なり、陳情に関わった漫画家たちや、傍聴コミュニティの中心的な人々からは、表立って特定の政治家や会派を強く批判するような発言は今のところあまり見られない。今後の流れを考えて政局的な問題にしないように、皆が気を付けているからだろう。

 だが、もちろん、疑問は残った。

 どうして陳情は不採択となったのだろうか。今後も働きかけを続けていく上でも、その理由については知る必要があった。


 一つには身もふたもない俗っぽい説明をするなら、けっきょくのところ、陳情の名義が栗下だったからという説明になるだろう。

 直前まで立憲民主党の公認候補として参院議員選挙を戦っていた栗下が出した陳情であれば、他の党が警戒するのは自明のことだというわけである。もしも、党利党略ではなく超党派で政策を実現しようとしているのなら、党派性のない団体なり個人なりを陳情者にして、事前に主要会派には根回し・調整をして賛同を得ておくのが自然な流れだろうということである。

 この点については、鶏と卵の議論のようなもので、いったん政策を世に問うて、一定の賛同・関心が集まっていることの可視化がなければ、そのような根回し・調整もできなかった可能性がある。けっきょくのところ、アンダーテーブルのままでは、政治家も漫画家もそして東京都の官僚たちも、本気で賛否を明らかにしようとは思わなかった可能性があるのだ。


 そして、そのような事前の根回しが不十分でも、実は、この陳情は採択される可能性がなかったわけではない。文教委員会の採決までには、一定の世論の関心・支持があったし、元々知事与党の都民ファーストもこの政策に否定的だったわけではないからである。

 実際問題、委員会での採決の前日には、「趣旨採択」でほぼ決まったという観測が界隈には流れていた。

 この問題に関わった立場の異なる人々が語る、それぞれに異なる位相の話から、私が考えるに、陳情が採択できなかったのは陳情書の解釈にあった。「成人向けであることが分かる」という部分である。

 東京都の官僚たちは、「不健全図書の指定は、青少年の健全育成を阻害するおそれのある図書等を指定しているのであって、成人向けの図書を指定しているわけではない」という原則を繰り返した。

 これが、実はかなり重要な問題なのである。


 現行の条例において、「不健全図書」という名称は、「要件」に着目して名付けられている。つまり、どういう本の場合には指定することができるのか、という観点に基づく名称なのである。

 逆に、「成人向けの図書であることが分かる」という陳情の提言は、効果に着目した提言である。つまり、指定されたらどういう扱いになるのか、という観点に基づく名称にすることを求めている。

 ここに齟齬があった。仮に現行条例の構造のまま、もしも名称だけを機械的に入れ替えた場合、「成人向けの図書」という要件を満たす図書について、販売等を規制する指定をすることになってしまう。「成人向けの図書は、成人向けにしか提供してはならない」というトートロジーになってしまうのだ。

 そして、ここからが重要なのだが、実は東京都の不健全図書の運用では、「成人向け」の図書は不健全図書として指定されていない。出版社が「成人向け」として一定の自主規制をしている図書については、それによって健全育成を阻害しないための一定の措置がとられていると考えて、東京都はそこに対しては不健全図書に指定することはしていないのだ。この出版業界の自主規制を尊重する東京都の条例の設計・運用は、出版の自由、自律を尊重する極めて重要なシステムと位置付けられてきた。


 もちろん、この「要件に基づいた名称」か「効果に基づいた名称」かのズレについて、陳情の趣旨を明らかにして、賛同を得ることは理論的には可能であったと思う。

(それに当たり前だが、陳情側が、成人向けの図書であるという理由だけで、青少年の健全育成に特に影響がなさそうな本についてまでも販売制限をして構わないという趣旨の陳情をしたわけでないことも明らかだろう)


 実際、結果的に採択には反対に回った会派の中にも、その点について、会派の中での理解を得るために動いた議員も存在した。

 しかし、このかなり大きな技術的齟齬を明らかにしたうえで、そこから合意を形成して、趣旨採択に持ち込むためには、委員会までの時間は足りなかった。少なくとも継続審査にして、各会派で持ち帰って十分な議論をするための時間が不可欠であった。

 だが、継続にすることはできなかった。立憲民主党としては、時間稼ぎで誤魔化されて有耶無耶にされないためにも採択に持ち込んで白黒つけなければと考えていたし、他の会派もわざわざ他党の栗下が出した陳情の技術的弱点を解決するために骨を折ってまで継続審査を主張することはしなかった。ちょうど、都議会文教委員会はスピーキングテストをめぐっての対立が激化しており、都民ファーストを除名された議員が新会派を結成するなど、混迷していた。党派・会派を超えた信頼関係を築くことは、かなり難しい状況になっていた。

 文教委員会での不採択の前日、都民ファーストの何人かの議員たちは、名称変更自体を将来にわたって否定するような不採択とならないよう、何とかセカンドベターの討論を準備すべく奔走していた。



されど希望は残ったのか?

 不採択となった直後、傍聴コミュニティの人たちが荒木ちはるの事務所を訪ねて、今後について話し合った。その後、漫画家協会の有志が都議会を訪れ、与野党各会派の役員等と面談。今後の名称変更についての前向きな話し合いがもたれたという。

 漫画家有志や傍聴コミュニティの人たちの「政局にしない」という方針が明確なこともあり、名称変更の働きかけは、今後も着実に進んでいくとみられる。東京都以外で用いられているさらに烙印効果の高い「有害図書」という名称についても、今後、議論となることが予想される。

 東京都の条例については、政策を推進する枠組は既にできたと言えるだろう。問題はその他の地方である。

 東京以外の地方には、「傍聴コミュニティ」が存在しないのだ。そもそもほとんどの有害指定を、包括指定・団体指定という形で行っているので、個別指定が注目される機会自体が少ない。
 審議会のたびに人が集まるというのも地方では難しいかもしれないが、何らかのコミュニティがなければ、やはり政策の推進というのは難しいのも事実だ。道府県議員との関係づくりのきっかけとなるようなコミュニティをどう構築していくことができるかが鍵となりそうだ。

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