焼きいもと自己肯定感

日曜の昼間、家でだらだらしていると、焼き芋屋のコール(※個人的にそう呼んでいる)が聞こえた。
まさか。いま5月上旬だぞ…? と己の耳を疑いつつ、長年かけて身についた習性で、反射的に外に出て追いかける。
幸い、自宅のすぐ前に屋台がいた。

冬に、同じように石焼き芋コールを聞いて家を飛び出した際に、声は聞こえども姿が見えず、20分くらい近所を探し回った苦い記憶がある。
そのときは、つっかけ(死語か?)に、前髪をクリップ(文字通りのWクリップ)でとめ、パジャマに15年くらい前にティーン向けの雑貨屋で買った、大きめのイチゴ柄が激しくプリントされた、なんちゃってガウン、乱視入りなので、もはや魚眼レンズっぽくなっているメガネ姿という、恥じらいゼロの格好で近所を彷徨ったものだ。

今回は、初夏仕様なので、パジャマ→Tシャツにユニ●ロの綿のパンツ(やはり激しめの花柄。柄物が好きなのである)、Tシャツ、ガウン→これまたユ●クロのパーカーというマイナーチェンジで、屋台に突入。

すでに私と同年代くらいの女性の先客がおり、やはり同じような服装をしておった。人はみな焼きいも屋の屋台を捕まえるとき、日常においていちばん油断してる格好になるのだなぁと、しみじみ思いつつ、己の順番を待つ。
数分ほどで、焼きいも屋のおやじ(やはり屋台の店主にはおやじ呼びが似合う。愛を込めて)が、先客の対応を負え、あいよっという感じでこちらを振り向いた。

いまどきの都会の焼きいも屋は、なんとも贅沢で、紅はるか、紅あずま、安納いもなど種類が豊富である。私の子供のころ(平成初期)なぞ、焼きいもといえば、こんなオシャレな名前のいもなどなく、下手すると生焼けのいも一択だった。
時代が令和であることをしみじみと噛みしめつつ、「ねっとりした濃厚な甘さ」という文句に惹かれ、安納いもを注文。

五月だし初夏だし気温は25度超えてるし、本当は暑くて口の中に残るような感じの食べ物は口にしたくないはずなのだが、外で焼きいもコールをされると、つい追いかけてしまう習性がある。あと、甘い物が三度の飯より好き&貧乏性なので、どうせならねっとりしつこくて、もう冬まで食べなくてもいいかなとなるくらい、焼きいも感溢れるいもを心ゆくまで味わいたい。

秤に載せたいもを計ったおやじにお代(550円)を渡し、踵を返しかけたところで、ふいに屋台の貼り紙が目に留まった。

「ソフトクリーム 1個350円」

焼きいも屋の屋台に、ソフトクリームだと…?
しかも、スタンダードなバニラやチョコに加えて、いちごやバナナ、はてはマスクメロン味など10種類とはいかなくても、なんだか心ときめく味がたくさんある。
この夏日なら、焼きいもよりも選択肢はソフトだったかもしれないと愕然としつつ、このままでは引き下がれないという悔しさをバネに、おやじに斬り込んでみた。
「焼きいも屋さんの屋台で、いもとソフトクリームを一緒に売ってるの、初めて見ました」
すると、おやじは遠い目をして答えた。
「ああ、いまの季節、本当はイベントでソフトクリームを売ってるんだよ。でも、今年はコロナでいろんなものが中止になっちゃったでしょ? だから、こうして焼きいもとアイスを一緒にして売ってるの」
それなら、この気候でソフトクリームだけ売ったらいいのでは…? こんなに種類があるんだし…とツッコミかけたところで、はたと思い当たる。焼きいもホイホイだ!

説明しよう。
焼きいもホイホイとは、焼きいも屋のコールを聞くと、反射的に外に飛び出して、灯りに群れる蛾のごとく屋台に引き寄せられる習性を持った人々を集めるための巧妙なトラップである。
集まった客は、焼きいもを買うつもりが、この気候なので、ついアイスも一緒に買ってしまう。
この商売上手と思いつつも、誘惑に負けてマスクメロン味のソフトクリームを購入。おやじがしてやったりという感じで笑った。

焼きいも屋なのに、肝心の焼きいも味のソフトクリームがなかった。けれど、たとえあったとしても買わなかっただろうなぁと考えていたら、ふと子供のころに読んだ、さくらももこさんの焼きいもジュースのエッセイを思い出した。
ある日、自動販売機で焼きいもジュースと炭酸入り焼きいもジュースを見つけて、絶対にまずいだろう、でも試しに飲んでみたいと煩悶しながらも購入を先送りにしていたら、いつの間にかどちらもなくなっており、惜しい思いをしたというような内容だったと思う。


当時、炭酸入りは絶対に無理だろうが、スタンダードな焼きいもジュースはどうだろう、買うだろうかと真面目に悩んだものだった。
「オレ、とうとう焼きいもジュースを見つけたよ。買わなかったけどね」
昔、勤めていた会社で部署異動になる上司に最後に言われた言葉である。そのときも、このエッセイのことを思い出して、ああ、人は焼きいもジュースを見つけても買わないんだなと思った。
焼きいもは、焼きいもであるからこそ、コールだけで人を誘惑する力がある。それがわかっていたから、屋台のおやじも、「いーしやぁーきぃもー…おいもっ」を「ソフトクリーィィムゥゥー…ソフトッ」に替えることはしなかったのだろう(でも後者を焼きいもコールのトーンで演説していたら、相当面白いだろうから、聞いたら家を飛び出すかも)。

焼きいもジュースを見つけたとしても、購入に至るまでの可能性は限りなく低いだろう。
焼きいもソフトも、マスクメロンソフトやとちおとめソフトにはアイスになったときの豪華さ、そそられ度の点では負けてしまうかもしれない。
だが、その名前を呼ぶことによって人を強烈に引き寄せる唯一無二の魅力を備えている。むしろ、焼かれる以外のアレンジは自分の性質には適さないのだから仕方ないと開き直っているようにも見える。
見習いたい、その自己肯定感。
焼きいものアイデンティティの確かさに感じ入った初夏の午後でありました。


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