領収の但し〜本屋哀歌(エレジー)〜

子供のころから、本屋が好きだった。

地方在住だったので、名の知れた大型書店は私の住む街にはなかったけれど、かわりに街の本屋が数店舗あって、放課後にそれらをハシゴするのが、学生時代の唯一にして最大の楽しみだった。月の小遣いのほとんどが書籍代に消えた。

大人になっても日々の本屋通いは続いており、好きが高じて、一時は書店にも勤務した。毎日、大量の本に囲まれてると、本そのもののありがたみは薄れてきてしまうという、いま考えると勿体ない状態に陥ったりもしたけれど、まあ、3分の1世紀近く続くこの愛は、おそらく永遠だよね、マイスイートハート(本)たち、っていうソウルを私がつねに持ち続けているという前提込みで、以下の文章をお読みください。

地元によく行く本屋があります。平日の仕事帰り、休日を問わず、だいたい2日に1回くらい行っていると思います。どちらかといえば、ヘビーユーザーです。

上京する前に、よく周回していたわが青春の本屋同様、こちらも町の本屋然とした佇まいで、新刊本を取り扱いながらも、独自のセンスの推し本を抑えめに主張してて、すごく調和のとれた棚づくりをしていらっしゃる。大きい書店はたまに行くぶんには最高に楽しいけれど、探し物で疲れちゃうぜってときに、そうだ、あそこに行こうってなるような本屋さん。好き。すごく好き。大好き。

でも、一点だけ、どうしても相容れないことがある。

それが、「領収の但し」問題である。

単刀直入に申し上げると、本屋で買い物して領収書をもらいますよね。そのときに、店員さん(♂)が「領収の但しはどうしますか?」って聞いてくるんです。初めて聞いたときは、シンプルに言葉の意味がわからず、心の赴くままに「は?」と最大限の疑問符で返した。でも、彼は何食わぬ顔で、もう一度言ったのだ。「領収の但しはどうしますか?」

正「領収書の但し書きはどうされますか?」

つまりは、こう言いたいらしい。待て待て待たれいぃぃ!そんな日本語ってありですか?

本屋時代、お客様に「お釣りとレシートのお返しです」と告げて、先輩によく叱られたものだった。「あのね、お釣りのお返しはわかるけど、レシートのお返しっておかしいでしょ。お渡しでしょ」。あのときの彼女に、いまこの問題を全力で提起したい。

なぜ「領収の但し」に、私が怒髪天を衝かんばかりに、毎回イライラしてしまうのか。以下に思いつくポイントを挙げてみた。

①接客業で省略語を使うのは、シンプルにあかんのではないか。

②一度のみなならず、毎回言う。初めて言われてから、2、3年経ったが、彼はいまだに買い物のたびに「領収の但し」とのたまう。

③つまり、彼を注意する人が店内に存在しないと思われる。「領収の但し」は、お店的にもOKな言葉使いなの? と白目を剥かざるを得ない私がいる。

④「お店の彼」が、たぶんそんなに若くはない(十代では確実にない。下手したらとしう…あばばば)。いや、若ければ、年を重ねれていれば許容範囲が広がるという問題でもないが、そこそこ年齢のいった大人が…シンプルにいかんのではないか。

⑤たぶん本人に悪気はいっさいない。毎回、「この、令和のフェアリーテイルが!」と心の中で泣きながら突っ込んでる私に気づいてほしい。

そんなわけで、すごく好きな本屋なのに、行くたびにモヤモヤしている。悩んだ挙句、たどり着いたのは、大変シンプルな回答でした。先手を打って、「領収書の但し書きは書籍代でお願いします」と領収フェアリー(仮)が口を開く前に言うことにしたのです。

そしたら、なんということでしょう。ストレスが8割減しました。こんな簡単なことでよかったんだね、と目から鱗ならぬ、変な汁がどばどば溢れてきた。

好きなものを好きでいつづけるので、じつはかなり難しい。相手(物なり店なり人なり動物なりetc)へのラブ度を不変にするためには、自分が変わらなきゃいけないときも、たびたびあるということを、この事件によって思い知った。ふぅ。なんだか思わず真理っぽいのが出てきてしまったぜよ。

ちなみに、領収の但しフェアリー(♂)は相も変わらずイノセント街道驀進中であり(だんだんお茶目で可愛い生き物に思えてきた)、件の本屋にも足繁く通っていることを、ここにご報告しておきます。



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