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映画「ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い」を観て「自由」の意味を考える

今日は2022年3月12日(土)です。
2月24日(木)に始まったロシアのウクライナ侵攻は、二週間を過ぎても終結の様相は見えず、それどころかロシアの攻撃はますます苛烈になっています。
ウクライナのゼレンスキー大統領はロシア軍による包囲が迫るキエフに留まり、欧米からの軍事的支援も得られぬまま十倍近い兵力のロシアに対して徹底抗戦を国民に訴えています。
国民総動員令を発令、18~60歳の男性国民を出国禁止とし、イギリスのチャーチルの言葉を引用して「私たちは海でも空でも、森でも畑でも、そして海岸でも街でも、最後まで戦い続ける」とその覚悟を世界に示しました。

これだけ聞くと「まるで戦前の日本のようだ」「プーチンもおかしいが、ゼレンスキーもおかしい」「国民の命を犠牲にまでして闘う戦争になんの価値があろうのだろうか?」「時代遅れではないのか?」と思ってしまいます。

さらには「ソ連時代は連邦国だったんだから、多くの国民の犠牲をうむ前に、とっとと降伏すればいいじゃないか」という意見も出たりします。
また、核に脅かされるウクライナを見て「アメリカの核を日本本土に置く核シェアリングをすすめるべきだ」「すくなくとも核保有について議論をタブー視すべきではない」「核を持たなければウクライナのように攻め込まれる」というまことしやかな論調が、非核三原則を掲げる我国の、しかも政府側の人間から出たりしています。

どの言葉も勇ましく、まことしやかに聞こえるので、ついついそうかと思いこみ、耳も頭を受け入れてしまいそうになりますが、やはりそこは「なんでこんなことになってしまったのか?」を自分で調べることが必要でしょう。

ウクライナってどんな国なの?
なんでゼレンスキ―はあのロシアに一歩も引かず徹底抗戦なんて無茶なことやってるの?
その答えが、NetFlixで配信されているオリジナルドキュメンタリー映画「ウィンター・オン・ファイヤー」にありました。
この映画はこんなナレーションで始まります。

何世紀にもわたって、ウクライナは東西を分かつ境界となる地域でした。
1991年 ウクライナは当時のソビエト連邦からの独立を宣言。
2004年 大統領選が行われ親ロシア派の候補者ヴィクトル・ヤヌコーヴィチがこれに勝利、しかし、この結果は不正に操作されたとして民衆がデモによる抗議、いわゆるオレンジ革命を起こします。
これにより選挙結果は覆されました。それから数年間、ウクライナは経済安定の道を探ります。
2010年ヤヌコーヴィチが再び大統領選に出て返り咲き、全権力を握ることとなりました。ヤヌコーヴィチは国民にEU加盟を約束しながら、ロシアとも密かに関係強化をすすめていきます。
2013年の秋、重大な局面が訪れます。EUとの連合協定が結ばれるものとして国民の目が西に向く一方、ときの指導者ヤヌコーヴィチは東のロシアになびいたのです。
ウクライナ国家の行く末が危ぶまれました。

2013年11月21日、国民は政府のこの選択に憤慨し、数百人の学生がキエフの独立広場に集まりました。それが徐々に人数が増えていき、数万人の規模に膨れ上がりました。
集まった人々の思いは「政府の選択は時代に逆行したものであり、国の未来と若者の夢を台無しにした、子供たちの未来を守らなくてはならない」というものでした。
デモ参加者たちは「ウクライナはヨーロッパの一部だ」と叫びデモ行進します。
2013年11月29日、政府はその声を聞きいれ、EUと交渉を行いますが破談してしまいます。するとますますデモの勢いは強くなり、その勢いを止めるため、警察特殊部隊のベルクトを独立広場に投入し、デモを行う人々を鉄のこん棒で情け容赦なく殴り始めます。女性も子供も関係ありません。平和的なデモを行っている丸腰の市民に対して、警察が暴力をふるって抑えつけ始めたのです。
その様子の一部始終がこの映画には収められています。ドキュメンタリー映画なので、その映像は本物です。本当に血まみれになって苦しむ市民たちの本当の姿が映し出されているのです。

しかし、そのような弾圧を受けても、ウクライナの市民たちは自分たちのために、子どもたちのために、ウクライナの自由のためにデモを続け、この警察特殊部隊ベルクトと90日以上の戦いに突入することになるのです。デモ隊は独立広場にテントを張って陣取り、市民会館を占拠し拠点とします。
そのデモ隊に対し、ベルクトは銃を使うようになり、デモ隊に死者が出始めます。それでも市民たちは丸腰でベルクトに対峙し、デモ行進を続けるのです。自分たちの要求を政府に突きつけるため、飽くまで丸腰で、冗談ではなくほんものの命がけのデモ行進が繰り広げられることになるのです。
なぜ、そこまで行うのか?デモに参加していた人が言います。

どれだけお金を注ぎこもうが構わないんです。どれだけ苦労しても構わないんです。大切なものが手に入るのなら、それでいいんです。その大切なもの、求めるものとは、それが人間としての尊厳なんです。

この言葉がこの映画、いやこの2014年の政変を貫く想いでしょう。政府の抑えつけが苛烈になればなるほど、老若男女問わず市民は「自由」を求めていきます。
しかし、政府はそんな市民の思いを踏みにじり、独裁への道を突き進みます。国会ではデモを禁止するための法律、反デモ法が可決されます。市民はますます怒りにふるえます。野党党首(ヴィタリ・クリチコ 現キエフ市長 元ヘビー級ボクシング王者)がデモに姿を現すのですが、何ら具体策を提案することもできず、その無策ぶりに市民は、野党党首も議員たちもデモの広場から追いだしてしまいます。
警察は暴力で抑え込みに来る、野党議員たちもあてにならない、市民は自分たちで自分たちの要求を政府につきあてるしかない。
さらにはベルクトより凶悪なティテュシュキーという刑務所から釈放された「はした金のために喜んで人を殺す」連中を、政府はデモ鎮圧のため投入します。
赤十字のスタッフでさえ彼らは撃ってきます。聖職者も撃たれます。
死者がどんどん出て、教会の裏庭は遺体の埋葬場になっていきます。ベルクトに連行された人たちの安否は当然、分かりません。
そんな状態になっても、苛烈さがますます増しても、市民たちはデモをやめないのです。
デモに参加しヘルメットを被り、盾を手にした中年の男性が銃弾飛び交うなか叫びます。

死ぬのは怖くないね! 僕らの自由を守るためだから。ここで勝てばウクライナは自由世界(ヨーロッパ)の一員だ。自由国の仲間入りができる。奴隷になんかならないね!

2014年2月21日、野党党首がデモ広場に姿を現し、12月に大統領選を行うという合意を政府と交わしたと市民に話しかけます。小さな成果を得たと野党党首は言うのですが、市民は納得がいきません。一年近くこのままヤヌコーヴィチ政権を続けさせたら生き残った者まで殺され、刑務所にぶちこまれることになる。防衛隊の若者が壇上にあがり、マイクをとって宣言します。

明日の午前十時までにヤヌコーヴィチに辞任を要求しなければ、我々は武力攻撃を開始する! 明日の午前十時だ! 必ずだ!

マイクを受け取った野党党首は何も言えず、その場に立ち尽くします。

そして、その翌日の夜明け前、防犯カメラは、ヘリに乗りこみキエフを飛び立つヤヌコーヴィチの姿をとらえます。彼はロシアに亡命したのです。
そして大統領のいなくなったウクライナ議会は3つの宣言を提案し、議員に投票を求めます。
1.ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領は憲法にない手順で大統領職を辞任した。今後、職務の遂行ができないものとする
2.次期大統領選を早急に実施する。選挙投票日は2014年5月25日とする
3.この決議の発効は採択の瞬間からとする
賛成多数で決議は採択されました。
市民の思い多くの犠牲を出し、やっと届いたのです。
警察に銃を向けられ、仲間を殺され、野党議員もあてにならない、そんな状況でもウクライナの人たちは、飽くまで丸腰でデモを続けました。最後に自由を勝ち取った市民が話します。

この23年間、独立は形だけでした。でも、多くの人の犠牲によって本当の意味で独立しました。

小さな広場には勇気が満ち溢れていました。子供たちの未来を守るため、ここにいた人々は死ぬ覚悟でいたのです。
子どものいない人も同じでした。国民のもつ力を見せつけたのです。

信仰する宗教はそれぞれ違っていました。それでも無宗教の人も含めて敬意をもって接していました。
自由な人は決して屈しません。

93日間で死者は125人、行方不明者は65人、負傷者は1890人を出しました。しかし、この革命により自由を得たウクライナは、直後にクリミア半島をロシアに併合され、さらには東部ドネツク地方で親ロシア派との紛争が激化していきます。それでもこのときの革命で得た「自由」はゼレンスキー大統領に至る今日まで、ウクライナに受け継がれています。
こんな革命を起こしたウクライナ国民が、ロシアの侵攻に頑として屈しないのも分かるのです。日本の常識でウクライナの現状を慮っても、それは到底分かることにはならないとさえ思うのです。
なんと言っても今の日本の民主主義と自由は、ウクライナの国民たちが経験したような形で得たものではありません。
それが良い、悪いではなく、決定的に違うということです。

しかもウクライナは1994年の「ブタペスト覚書」により、当時世界第三位だった核兵器の保有を放棄(ロシアに移転)し、その代わり、アメリカ、イギリス、ロシアに安全保障を約束してもらう形をとりました。
しかし、その内容は日米安保条約のような軍事援助の法的義務などないもので、今回のようにロシアが国境を超えて侵攻してきても、それを守る義務はどの国も有していないのです。
もちろん今、欧米各国が参戦しないのは、その約束以上に核の脅威による全面戦争を考慮してのことでしょう。いろいろ立て付けを変えれば、ウクライナに軍事協力できるかもしれませんが、いずれにしろ、ウクライナは元来、孤立無援の国家であり、核も持たないうえに自分たちで自分たちの国を守るしかない宿命を背負った国なのです。

一度、征服を許してしまえば、何をされても、どこの国も味方してくれない国、それがウクライナなのです。その思いを国民全員が持っているという前提で今回の戦争は見ていかないといけないのではないでしょうか。

余談ですが、この映画で悪逆の限りを尽くしたベルクトは数カ月後に解体されたと映画のエンドロールに出ていました。しかし、調べてみると、元隊員たちはこの革命後、ロシアが併合したクリミア半島に亡命し、同地でロシア内務省の指揮下において警護および暴徒鎮圧、対テロリズムを任務としている、とあります。まだ生きているのです。

また、ヤヌコーヴィチもロシアでプーチンの庇護のもと生きているようです。ウクライナの裁判所は2019年1月にヤヌコーヴィチに対し欠席裁判で国家反逆罪等を認定して禁錮13年判決を言い渡しました。今回の戦争の最悪の結果はロシアがウクライナを占領し、大統領としてヤヌコーヴィチが戻ってくることでしょう。

「自由」の意味が21世紀のいま、こんな重さと苦しさを伴ってくることになるとは思ってもいませんでした。しかし、その重さこそ、この苦しさこそ、本当の意味での「自由」なのかもしれません。



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